第三話 違和感、らしい
異世界へ来て、一年が経った。
最初は右も左も分からなかった街も、今では目を閉じて歩けるくらいには慣れていた。
市場のおばちゃんには「今日はパンいらないの?」なんて聞かれるし、ギルドの受付のお姉さんには「また無茶したんでしょう」と呆れられる。
そんな毎日だった。
気づけば、それが当たり前になっていた。
◇
「おーい!」
朝からユウが手を振っている。
「遅刻。」
「まだ約束の十分前だけど。」
「でも最後。」
「それはそう。」
レンは壁にもたれて腕を組んでいた。
シアはパンを食べながら本を読んでいる。
「歩きながら読むと危ないよ。」
「もう三回ぶつかりました。」
「反省して。」
「してます。」
しているようには見えなかった。
思わず笑う。
レンも少しだけ口元が緩んだ。
……笑うようになったんだな、この人。
◇
依頼はあっさり終わった。
帰り道。
丘の上で昼寝をする。
風が気持ちいい。
「平和だなぁ。」
ユウが空を見ながら呟く。
「魔王とか本当にいるのかな。」
「いる。」
レンが即答する。
「夢がないな。」
「現実派。」
シアがくすっと笑う。
「でも。」
ユウが起き上がる。
「こんな日が続けばいいのにな。」
誰も答えなかった。
たぶん。
みんな同じことを思っていたから。
◇
その日の夕方。
図書館へ向かう。
アリアは窓際で本を読んでいた。
こちらに気づくと、小さく手を振る。
「今日も来たんですね。」
「約束したから。」
「律儀ですね。」
「そう?」
「はい。」
本を閉じる。
「今日は休憩しませんか。」
「勉強は?」
「少し疲れました。」
二人で外へ出る。
夕日が街を赤く染めていた。
噴水の縁に座る。
「昔から本ばっかり読んでたの?」
聞いてみる。
アリアは少し考えた。
「人と話すより、得意だったので。」
「俺と一緒だ。」
「そうなんですか?」
「話しかけるの苦手。」
「……少し意外です。」
「え?」
「最初はそうでした。」
「最初は?」
「今は。」
少し照れたように笑う。
「話しやすいです。」
胸の奥が少しだけ温かくなる。
なんだろう。
この気持ち。
ずっと、この時間が続けばいい。
そう思った。
◇
夜。
宿へ戻る途中だった。
ふと、足を止める。
「……どうしました?」
アリアが振り返る。
「いや。」
何か聞こえた気がした。
風でもない。
足音でもない。
誰かに呼ばれたような。
そんな気がした。
辺りを見回す。
誰もいない。
「気のせいか。」
そう呟く。
アリアは少し心配そうに見ていた。
◇
それから数日。
魔王討伐隊の正式メンバーに選ばれた。
王様から直々に任命される。
街中がお祭り騒ぎだった。
「すごいじゃん!」
「勇者様!」
「絶対勝ってこいよ!」
たくさんの人が笑っていた。
嬉しかった。
こんなふうに応援されたことなんて、一度もなかった。
胸を張って言える。
ここは、自分の居場所だ。
◇
出発前日。
四人と一人で食卓を囲む。
いつも通り。
くだらない話ばかりだった。
ユウが肉を取りすぎてシアに怒られる。
レンは黙って焼き続ける。
アリアは笑っている。
何気ない夜だった。
でも。
だからこそ。
忘れたくないと思った。
◇
宿へ戻る。
ベッドに横になる。
目を閉じる。
眠りに落ちる、その直前。
――ピッ。
音がした。
目を開ける。
部屋は真っ暗だった。
「……誰?」
返事はない。
耳を澄ます。
静かだった。
夢だったのかな。
そう思って、もう一度目を閉じる。
◇
白い天井だった。
知らない部屋。
体が動かない。
何かが、規則正しく鳴っている。
ピッ。
ピッ。
ピッ。
誰かが泣いていた。
「……ごめんね。」
知らない女の人の声。
でも。
胸が苦しかった。
何かを思い出しそうになる。
その瞬間。
「起きて!」
アリアの声だった。
目を開ける。
宿の部屋。
朝日が差し込んでいる。
「うなされてましたよ。」
「夢……か。」
額に汗が滲んでいた。
「怖い夢?」
「……うん。」
少しだけ。
いや。
すごく怖かった。
何が怖かったのかは、自分でも分からなかった。
でも。
胸の奥に、小さな棘が刺さったような感覚だけは残っていた。
アリアが心配そうにこちらを見る。
「大丈夫です。」
笑ってみせる。
アリアも笑い返してくれた。
その笑顔を見ていると、不思議と安心した。
この世界は、本物だ。
そう思いたかった。
窓の外では、朝の街がゆっくり動き始めていた。
今日も一日が始まる。
いつもと同じように。
そう。
思っていた。




