第二話 居場所、らしい
街へ着いた日のことは、今でもよく覚えている。
門をくぐった瞬間、焼きたてのパンの匂いがした。
市場では威勢のいい声が飛び交い、子どもたちが石畳の道を走り回る。
どこを見ても、初めて見る景色だった。
それなのに、不思議と怖くはなかった。
むしろ少しだけ、胸が高鳴っていた。
まず向かったのは冒険者ギルドだった。
受付で登録を済ませる。
スキルを見せると、お姉さんは驚いた顔をした。
「……勇者?」
周りの視線が集まる。
少しだけ居心地が悪い。
「失礼しました。」
お姉さんはすぐに笑顔へ戻った。
「あなたならCランクから始められます。」
よく分からなかったけれど、すごいことらしい。
拍手してくれる人までいた。
前の世界なら、こんなふうに誰かに期待されたことはなかった。
少しくすぐったかった。
◇
最初の依頼は薬草採取だった。
簡単。
そう聞いていた。
「うわっ!」
草むらから飛び出したスライムに驚いて転ぶ。
情けない。
異世界初日からこれだった。
スライムが飛びかかってくる。
その瞬間。
銀色の剣が横から走った。
一撃だった。
「立て。」
短くそう言った青年が手を差し出す。
無愛想だった。
でも、その手はちゃんとこちらへ向いていた。
「ありがとう。」
「礼はいい。」
立ち上がる。
「初心者か。」
「うん。」
「なら今日は運が良かった。」
「え?」
「そのまま一人だったら食われてた。」
笑えなかった。
本当にそうだったと思う。
「レン。」
「え?」
「名前。」
「あ、ごめん。」
名乗り合う。
それだけなのに、少し嬉しかった。
異世界で初めてできた知り合いだった。
◇
それから何度か依頼が重なった。
レンは無口だった。
でも困っている人は放っておけない性格らしい。
子どもが転べば起こす。
荷物を運ぶ老人を見れば黙って手伝う。
終わったら何も言わず帰る。
本人は気付いていないみたいだった。
◇
ある日。
魔法の練習場で一人苦戦していた。
「……また失敗。」
火を出す魔法なのに、煙しか出ない。
「惜しいですね。」
後ろから優しい声がした。
振り返る。
青いローブの少女だった。
「私はシアっていいます。」
笑顔が柔らかい。
「私も最初は全然できませんでした。」
「本当に?」
「先生に”才能ないね”って言われました。」
「え。」
「でも。」
シアは杖を構える。
小さな火がふわっと灯る。
「できるまでやったら、できました。」
その言い方が、なんだか好きだった。
才能があったからじゃない。
できるまで続けたから。
その日、一緒に日が暮れるまで練習した。
帰る頃には、小さな火が一つだけ出せるようになっていた。
「やった。」
思わず笑う。
「やりましたね。」
シアは自分のことみたいに喜んでくれた。
◇
「暗い顔。」
帰り道。
急にそう言われた。
隣を見ると、パンをかじる青年がいた。
「……そんな顔してた?」
「してる。」
半分だけパンを渡される。
「食べる?」
「ありがとう。」
パンを一口かじる。
美味しかった。
「俺、ユウ。」
「よろしく。」
「よろしく。」
少し歩いてから、ユウが言う。
「さっき魔法失敗した?」
「見てたの?」
「見てた。」
少し恥ずかしくなる。
「向いてないのかも。」
ぽつりと漏らす。
ユウは笑わなかった。
「前の自分なら?」
「え?」
「今日のお前を見たら、なんて言うと思う?」
考える。
「……何もできてないって言うかも。」
「そっか。」
ユウは少し笑った。
「でも俺は違う。」
「?」
「今日のお前、一回できただろ。」
「……うん。」
「じゃあ昨日のお前より強い。」
それだけだった。
でも。
その言葉は、不思議なくらい胸に残った。
◇
初めて四人で受けた依頼。
洞窟の中で魔物に囲まれた。
足がすくむ。
動けない。
その時。
レンが前へ出た。
「下がれ。」
魔物を受け止める。
剣がぶつかる。
一匹。
二匹。
三匹。
全部倒した。
でも。
レンの腕から血が流れていた。
「怪我!」
「かすっただけ。」
「ごめん。」
レンはため息をついた。
「なんで謝る。」
「俺のせいで……」
「違う。」
レンは剣をしまう。
「前衛は守るのが仕事。」
そう言って歩き出した。
照れたのか、こちらを見ようともしなかった。
その背中を見ながら思う。
強くなりたい。
この人の隣で戦えるくらい。
◇
依頼の帰り。
四人で肉を焼いていた。
レンは肉を焼くのが異常に上手かった。
ユウは味見と言って何枚も食べる。
シアは「それ私のです」と怒る。
レンは黙ってもう一枚焼く。
「お前、笑うと普通だな。」
急にレンが言った。
「どういう意味?」
「暗そうなやつだと思ってた。」
「失礼じゃない?」
「当たってた。」
ユウが笑う。
シアも笑う。
自分も笑ってしまった。
焚き火が揺れる。
こんな時間が、心地よかった。
前の世界では。
誰かと笑いながら夕飯を食べることなんて、一度もなかった。
◇
それから少し経った頃だった。
王都の図書館。
本棚の向こうから、大量の本が崩れてきた。
「わっ!」
慌てて受け止める。
「す、すみません!」
本の山の向こうから女の子が顔を出した。
銀色の髪。
少しだけ眠たそうな目。
二人で本を拾う。
「ありがとう。」
「大丈夫?」
「はい……たぶん。」
本を抱え直す。
また落ちる。
思わず吹き出した。
「……笑いましたね。」
「ごめん。」
「今のは本棚が悪いです。」
「本棚?」
「そうです。」
「本棚のせい?」
「……半分くらい。」
今度は二人で笑った。
「あ。」
そういえば。
「まだ名前聞いてなかった。」
「……アリアです。」
「よろしく。」
「はい。」
少しだけ照れたように笑う。
「また図書館、来ますか?」
「たぶん。」
「なら。」
少し迷ってから言う。
「また手伝ってください。」
「もちろん。」
その日から。
図書館へ行く回数が少し増えた。
最初は本を運ぶだけだった。
でも。
気付けば、本の話をしていた。
好きな景色。
好きな食べ物。
好きな時間。
話すほど、お互い少し似ている気がした。
人と話すのは得意じゃない。
でも、一緒にいると落ち着く。
そんな相手だった。
◇
夕焼けの帰り道。
二人で歩いていると、アリアがぽつりと言った。
「あなたといると。」
少しだけ間が空く。
「安心します。」
返事が思いつかなかった。
黙って歩く。
風が吹く。
「……変な人。」
アリアが笑う。
「そうかも。」
自分も笑った。
気付けば、この世界には居場所ができていた。
待ってくれる仲間がいて。
名前を呼んでくれる人がいて。
一緒に笑ってくれる人がいた。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
空を見上げる。
「……夢みたいだ。」
アリアが笑う。
「また、それですか。」
「口癖になっちゃった。」
「ふふっ。」
その笑顔を見ていると、本当にそう思えた。
夢みたいだ、と。




