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第二話 居場所、らしい

 街へ着いた日のことは、今でもよく覚えている。

 門をくぐった瞬間、焼きたてのパンの匂いがした。

 市場では威勢のいい声が飛び交い、子どもたちが石畳の道を走り回る。

 どこを見ても、初めて見る景色だった。


 それなのに、不思議と怖くはなかった。

 むしろ少しだけ、胸が高鳴っていた。

 まず向かったのは冒険者ギルドだった。


 受付で登録を済ませる。

 スキルを見せると、お姉さんは驚いた顔をした。

「……勇者?」

 周りの視線が集まる。

 少しだけ居心地が悪い。


「失礼しました。」

 お姉さんはすぐに笑顔へ戻った。

「あなたならCランクから始められます。」

 よく分からなかったけれど、すごいことらしい。


 拍手してくれる人までいた。

 前の世界なら、こんなふうに誰かに期待されたことはなかった。

 少しくすぐったかった。

 最初の依頼は薬草採取だった。

 簡単。


 そう聞いていた。

「うわっ!」

 草むらから飛び出したスライムに驚いて転ぶ。

 情けない。

 異世界初日からこれだった。

 スライムが飛びかかってくる。


 その瞬間。

 銀色の剣が横から走った。

 一撃だった。

「立て。」

 短くそう言った青年が手を差し出す。

 無愛想だった。


 でも、その手はちゃんとこちらへ向いていた。

「ありがとう。」

「礼はいい。」

 立ち上がる。


「初心者か。」

「うん。」

「なら今日は運が良かった。」

「え?」

「そのまま一人だったら食われてた。」


 笑えなかった。

 本当にそうだったと思う。


「レン。」

「え?」

「名前。」

「あ、ごめん。」


 名乗り合う。

 それだけなのに、少し嬉しかった。

 異世界で初めてできた知り合いだった。

 それから何度か依頼が重なった。

 レンは無口だった。

 でも困っている人は放っておけない性格らしい。

 子どもが転べば起こす。

 荷物を運ぶ老人を見れば黙って手伝う。

 終わったら何も言わず帰る。

 本人は気付いていないみたいだった。

 ある日。

 魔法の練習場で一人苦戦していた。

「……また失敗。」


 火を出す魔法なのに、煙しか出ない。

「惜しいですね。」

 後ろから優しい声がした。

 振り返る。


 青いローブの少女だった。

「私はシアっていいます。」

 笑顔が柔らかい。

「私も最初は全然できませんでした。」


「本当に?」

「先生に”才能ないね”って言われました。」

「え。」

「でも。」

 シアは杖を構える。


 小さな火がふわっと灯る。

「できるまでやったら、できました。」

 その言い方が、なんだか好きだった。


 才能があったからじゃない。

 できるまで続けたから。

 その日、一緒に日が暮れるまで練習した。

 帰る頃には、小さな火が一つだけ出せるようになっていた。

「やった。」

 思わず笑う。


「やりましたね。」

 シアは自分のことみたいに喜んでくれた。

「暗い顔。」

 帰り道。

 急にそう言われた。

 隣を見ると、パンをかじる青年がいた。


「……そんな顔してた?」

「してる。」

 半分だけパンを渡される。

「食べる?」

「ありがとう。」


 パンを一口かじる。

 美味しかった。

「俺、ユウ。」

「よろしく。」

「よろしく。」


 少し歩いてから、ユウが言う。

「さっき魔法失敗した?」

「見てたの?」

「見てた。」


 少し恥ずかしくなる。

「向いてないのかも。」

 ぽつりと漏らす。

 ユウは笑わなかった。

「前の自分なら?」


「え?」

「今日のお前を見たら、なんて言うと思う?」

 考える。


「……何もできてないって言うかも。」

「そっか。」

 ユウは少し笑った。

「でも俺は違う。」


「?」 

「今日のお前、一回できただろ。」

「……うん。」

「じゃあ昨日のお前より強い。」

 それだけだった。


 でも。

 その言葉は、不思議なくらい胸に残った。

 初めて四人で受けた依頼。

 洞窟の中で魔物に囲まれた。

 足がすくむ。

 動けない。


 その時。

 レンが前へ出た。

「下がれ。」

 魔物を受け止める。


 剣がぶつかる。

 一匹。

 二匹。

 三匹。

 全部倒した。


 でも。

 レンの腕から血が流れていた。

「怪我!」

「かすっただけ。」

「ごめん。」

 レンはため息をついた。


「なんで謝る。」

「俺のせいで……」

「違う。」

 レンは剣をしまう。


「前衛は守るのが仕事。」

 そう言って歩き出した。

 照れたのか、こちらを見ようともしなかった。

 その背中を見ながら思う。

 強くなりたい。

 この人の隣で戦えるくらい。

 依頼の帰り。

 四人で肉を焼いていた。

 レンは肉を焼くのが異常に上手かった。

 ユウは味見と言って何枚も食べる。


 シアは「それ私のです」と怒る。

 レンは黙ってもう一枚焼く。

「お前、笑うと普通だな。」


 急にレンが言った。

「どういう意味?」

「暗そうなやつだと思ってた。」

「失礼じゃない?」

「当たってた。」


 ユウが笑う。

 シアも笑う。

 自分も笑ってしまった。

 焚き火が揺れる。

 こんな時間が、心地よかった。


 前の世界では。

 誰かと笑いながら夕飯を食べることなんて、一度もなかった。

 それから少し経った頃だった。

 王都の図書館。

 本棚の向こうから、大量の本が崩れてきた。


「わっ!」

 慌てて受け止める。

「す、すみません!」

 本の山の向こうから女の子が顔を出した。


 銀色の髪。

 少しだけ眠たそうな目。

 二人で本を拾う。

「ありがとう。」


「大丈夫?」

「はい……たぶん。」

 本を抱え直す。

 また落ちる。


 思わず吹き出した。

「……笑いましたね。」

「ごめん。」

「今のは本棚が悪いです。」

「本棚?」


「そうです。」

「本棚のせい?」

「……半分くらい。」

 今度は二人で笑った。


「あ。」

 そういえば。

「まだ名前聞いてなかった。」

「……アリアです。」


「よろしく。」

「はい。」

 少しだけ照れたように笑う。

「また図書館、来ますか?」

「たぶん。」


「なら。」

 少し迷ってから言う。

「また手伝ってください。」

「もちろん。」


 その日から。

 図書館へ行く回数が少し増えた。

 最初は本を運ぶだけだった。


 でも。

 気付けば、本の話をしていた。

 好きな景色。

 好きな食べ物。

 好きな時間。

 話すほど、お互い少し似ている気がした。

 人と話すのは得意じゃない。


 でも、一緒にいると落ち着く。

 そんな相手だった。

 夕焼けの帰り道。

 二人で歩いていると、アリアがぽつりと言った。

「あなたといると。」

 少しだけ間が空く。

「安心します。」


 返事が思いつかなかった。

 黙って歩く。

 風が吹く。

「……変な人。」


 アリアが笑う。

「そうかも。」

 自分も笑った。

 気付けば、この世界には居場所ができていた。

 待ってくれる仲間がいて。

 名前を呼んでくれる人がいて。

 一緒に笑ってくれる人がいた。


 胸の奥が、少しだけ温かくなる。

 空を見上げる。

「……夢みたいだ。」

 アリアが笑う。

「また、それですか。」


「口癖になっちゃった。」

「ふふっ。」

 その笑顔を見ていると、本当にそう思えた。

 夢みたいだ、と。

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