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霧の町  作者: 相田 依人


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第三十一章

 霧の中央に、光が形を持ち始める。


 ゆっくりと。


 確実に。


 白い裂け目のような道が、広場の中心から伸びていた。


 ざわめきが広がる。


「……開いた」


「帰れる……」


 誰かが泣き、誰かが笑う。


 さくは、息を呑む。


 その光を見た瞬間――


 胸の奥が、強く引かれる。


 同時に。


 隣に立つ気配を感じる。


「……さく


 しおりだった。


 いつの間にか、すぐ横に来ていた。


「……来てくれたんだ……」


「うん」


 短い返事。


 二人は並んで、光を見つめる。


 その時。


 霧が、ふっと流れた。


 まるで風が通ったように。


 次の瞬間――


 光が、分かれた。


 一本だった道が、二筋に裂ける。


 ざわめきが止まる。


 誰かが呟く。


「……分岐した?」


 二つの光は、ほんのわずかに方向が違った。


 片方は、まっすぐに伸びている。


 もう片方は、緩やかに湾曲しながら揺れている。


 違いは、それだけ。


 それなのに。


 さくの胸は、強くざわついた。


 理由は分からない。


 ただ――


 感覚だけが訴えてくる。


「……」


 しおりも、同じように光を見ていた。


「……どうなったんだ……」


 小さく呟く。


 老人が、背後から近づく。


「どちらも、帰還路だろう…」


 低い声だった。


 さくが振り返る。


「……斉藤さいとうさん……」


 斉藤さいとうは、霧を見つめたまま続ける。


「随分前にも、霧が別れたことがあるらしい」


 静かなざわめきが広がる。


「以前にも……?」


「……違いは?」


 誰かが尋ねる。


 斉藤さいとうは、しばらく沈黙した。


 やがて言う。


「覚悟の道は、帰った後に揺らがぬ」


 静かな声だった。


「迷いの道は――」


 霧が揺れる。


「帰った後に、何かを失う」


 誰も、すぐには理解できなかった。


 けれど。


 言葉の意味だけは、確かに胸に落ちる。


 「記録庫の古い帳面には、そう書かれておった」

 

 さくの喉が、乾く。


 ゆっくりと、視線をしおりへ向ける。


 しおりは、光を見つめたままだった。


 その横顔が、わずかに強張っている。


「……どっちが」


 しおりが、かすれた声で言う。


「どっちが、どっちなのかな」


 斉藤さいとうは首を振る。


「それは、霧しか知らん」


 沈黙が落ちる。


 光が、静かに揺れている。


 さくは、二つの道を見る。


 胸の奥で。


 何かが、確かに反応している。


 まっすぐな道を見ると――


 奇妙な静けさを感じる。


 怖さはない。


 ただ。


 重みがある。


 次に、揺れる道を見る。


 そこには――


 どこか柔らかい安心感があった。


 けれど同時に。


 胸の奥で、微かな不安がざわつく。


「……」


 さくは、拳を握る。


 視線を落とす。


 隣で、しおりが小さく息を吐く。


「……ねえ」


 声が震えている。


 さくが振り向く。


 しおりは、まだ光を見ていた。


「もし……」


 言葉が止まる。


 唇が動く。


 けれど。


 続きを言えない。


 その沈黙が。


 さくの胸を、静かに締め付ける。


 霧が、再び流れる。


 光が、少しずつ強まる。


 まるで――


 選択を急かすように。


 広場の誰かが、道へ向かい始める。


 一人。


 また一人。


 そのたび、光が揺れる。


 赤いハンドバッグを持った女性も霧の中に消えて行く。

 

 時間が、確実に減っていく。


 さくは、二つの道を見る。


 次に。


 しおりを見る。


 彼女の手が、わずかに震えていた。


 けれど。


 握りしめたまま、何も言わない。


 その姿を見て。


 さくの胸の奥で、何かが静かに形を持つ。


 それはまだ――


 決断ではない。


 けれど。


 確かに、そこにあった。


 霧が、強く波打つ。


 白い光が、二人を照らす。


 まるで。


「どちらを選ぶのか」


 問いかけているように。

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