旅館、古戸暁の場合
「我孫子村、到着です。お忘れ物のなきよう気をつけてお降り下さい」
運転手の声でトランプを片付ける。
熱中していると、2時間とは案外短いものだ。
手早く荷物を下ろしてバスから降りると、懐かしの景色が広がり、自分がまだ少年だった頃の記憶が少しずつ戻ってきた。
ああ海でよく泳いだな、とか、村の子供達が少ないから、全学年合同クラスの小学校とか。
俺は10歳で引っ越したから卒業は出来なかった。
村には中学も高校も大学もないので、中学は全員受験なのでどうせバラバラになるけど。
後になって父親から聞いたが、全員名のある中高一貫校に入学したらしい。
ちなみに俺はというもの、引っ越した先の都会に舞い上がり毎日のように新しい同級生と遊び回ってしまい、6年生時の勉強を一切しなかった為当然のように成績は急降下。受験せず引っ越した先の普通の中学に進学した。
受験させたかったらしい父親と、反抗期真っ盛りの俺は大喧嘩した記憶がある。
夏だー!と大手を奮ってはしゃぐキアノに、こいつを連れてきて良かったと思った。
「綺麗な所ですねぇ」とポツリと零した或巫の声が聞こえて、自分が誇らしい気持ちになる。
「暁氏、なんか涼しいでござる」
「そりゃアスファルトの照り返しとか、風を遮るものがないからな。たまにはいいな、田舎も」
「いやぁオンセンが楽しみでござる!期待値上昇するぅ〜!」
「俺はキアノが温泉に興味があったのは意外だった」
「元より日本文化には興味津々ですぞ~。……あー、臀が痛いでござる」
「ずっと座っていましたからね。私も少し疲れました」
硬い椅子に座り続けていて、俺も同じように少し体が強ばっていた。
チェックインを先に済ませよう。
「そうだな、早いとこチェックインするか」
「賛成でござる……」
「お気を確かに。ほら、旅館は入口はすぐそこですよ」
花咲亭の門を超えると、立派な枯山水の庭が飛び込んできた。
定期的に整備されてるようで、とても整っている。
滅多に人が来る事がない、というのは本当にもったいないことだ。この旅館に客として泊まることは俺も初めてで、ワクワクとした気持ちが沸きあがる。
自動ドアが開くと中はエアコンによって心地よい気温だった。
40台に差し掛かった女将さんが出迎えてくれる。
「お客様方、よくおいでくださいました。私はこの旅館の女将をしております。精一杯おもてなしさせて頂きます」
「こんにちは、綺麗な女将さん。今日からよろしくお願いします」
「いえいえ、お荷物お運びしましょうか?」
プライベートとは違う余所行きの紳士然とした喋り方でキアノは女将と喋っていた。前に言っていたが、それなりの名家で育ったらしくこういった躾は一通りされているらしい。
普段の妙な言葉遣いはジャパニーズカルチャーリスペクトと言っていた。初めて喋った時はあまりの見た目とのギャップに驚いたものだ。
女将はキアノに鍵を渡してーーキアノが女将の手にキスした。
「おま、おまお前! 外国人コミュニケーションやべぇ!」
「おや暁、僕は何か間違いをしてしまったかな? レディに失礼をしてしまったかな?」
「古戸さん、これもきっと海外、伊太利亜では普通の事なのではないですか?」
わかりやすく狼狽える俺にキアノはこてん、と不思議そうに首を傾げて見せた。
ここ!日本!
わかっているのかわかっていないのか。キアノの目はハテナを浮かべている。わかってないらしい。
或巫は海外では普通の事なのでは、と言ったが絶対普通じゃないと思う。俺は海外行ったことねぇけどさ。
新しく呼ばれてきた男性従業員に荷物を渡し、一足先に案内されそうな王子様ムーブ男に慌てて声をかける。
「あ、ロビーで待ち合わせな! 良かったら或巫も一緒に村回ろうぜ」
「おや、いいですか?」
「拙者は大歓迎でござる。或巫氏面白いし」
「では、ロビーで、また」
「じゃあ先に部屋荷物置いてくるでござる~」
せっかく仲良くなったのだから、或巫も一緒に回らないか、と聞いたら快く了承してくれた。
素を出せる相手の少ないキアノも嬉しそうな顔をして首を縦に振り、そしてそのまま宿泊する部屋に案内されていった。
「では古戸様。或巫様。こちら部屋の鍵になります。お荷物お持ちします」
「お、頼むわ」
「私はボストンバッグだけお願いします。こっちの袋は自分で持つので結構です」
「じゃ、俺らもいくか」
「ええ、また後で」
従業員に荷物を渡し、一時解散とした。
この従業員、見覚えはある気がするので村の人間なんだろうが、なにぶん久しぶりのため顔と名前が全然一致しない。というか、世話になった人以外は名前すら覚えてない。
まぁ見たところこの人も40歳前後くらいだろうし、住んでた時もほとんど関わり無かった人なんだろうな。
向こうは一方的にこちらを知ってるだろうけど。
「古戸さん、お父様はお元気ですか」
部屋までの案内中、2人きりになったので従業員が話しかけてきた。
やっぱり一方的に知られてたらしい。
「あー、親父?元気だよ」
「今年は息子が行くと聞いた時は驚きました。来年からは暁さんが行う、という事ですか?」
「いやーわかんね。来年は俺も新入社員だし、何かと忙しいから、たぶん」
「左様ですか」
もうやりたくねぇ。という言葉はさすがに飲み込んだ。
村起こし頑張って自然と人が集まる村にすればいいのに。まぁたまに来るならいいけど、住むのは不便な村だ。
「荷物はこちらに置きます。ごゆっくりどうぞ」
「ほい、ありがとよ」
部屋に入る。
あー相変わらずいい部屋。
旅館の外見とは裏腹に洋風のシックな落ち着いたイメージで纏められた部屋。全て前の女将さんが内装デザインを手掛けたらしいが、趣味がとても良い。生前も多才でオシャレな人だった。
冷蔵庫の中に入っているジュースを開けてそのままラッパ飲みした。
うーん、高いジュースは違うぜ。
半分ほど飲み干して再び冷蔵庫へ。
荷物の中から貴重品とスマホだけ取ってそのままロビーに戻る。
盗むやつなんてこの村には絶対にいないと思うが、まぁ念の為、というやつだ。
ロビーに行くと、或巫が既に待っていた。
誰かと話しているので、相手を見ると、すぐにわかった。
キングオブ顔面の茉莉子だった。
やべぇくそ可愛い。
語彙力を無くすほど可愛い。
こんなんド田舎に置いとくには勿体ない。芸能の道に進んだら一瞬で天下取れる気がする。
気がついたら、俺は財布を開けて1万円を取り出していた。
合流した或巫に指摘されて1万円を財布に仕舞うが、俺は何故1万円を取り出したんだろう?
茉莉子の顔面にお布施しようとしたんだろうか。
或巫と茉莉子の顔にも疑問符が浮かんでいた。
そうこうしているうちに、眠そうに目を擦りながらキアノがやってきた。




