6.再共鳴
◇
6.再共鳴
◇
■
人間。人間。人間。人間。
このおぞましき生物に呪いあれ。
この忌避すべき生命に災いあれ。
貴様らに救いなどない。
貴様らに幸福などない。
呪われよ。
呪われ続けよ。
揺籃の中で揺蕩うことを止めた者共よ。
それこそが貴様らの罪。
それこそが貴様らの贖いの始まり。
許されざる咎には、終わりなき罰を。
この呪いこそが、貴様らにとっての希望である。
■
───半世紀。
それだけの年月をこの研究に費やしてきた。
私に与えられた能力には限界があった。この道程は、およそ一人で歩けるものではなかったと言える。
ある幼い日を思い出す。
穏やかな陽射しの中で精霊たちに囲まれながら、私は「蒼き泉」と呼ばれる世界の光景を覗き見た。
それは星の母が眠る場所。
かつて生命の契りが結ばれた場所。
星の杯の娘。蒼き泉の子はもういないけれど、それでも、どこまでも透き通る泉は交わした契りを忘れない。
そこに巨大な光が浮かんでいた。
いくつもの光。
まだ微睡みの中にある柔らかな光。
羽ある者たちに愛され、育まれている巨大な光。
それは「幻想の揺りかご」であると精霊たちは言う。いずれ生まれくる幻想たちが眠る場所。
無垢なる奇跡の眠る場所。
それこそは星が抱く希望の一つ。
それはより美しくなるはずのものだった。
それは一切の穢れを知らず、穏やかなる神々しい光を放つはずのものであった。
───人間さえいなければ。
人間の悪意がそれを穢したと知ったとき、私の無念は怒髪天の極致に達した。
黒く汚れゆく光。
精霊たちの嘆きが聞こえる。咽び泣く声は、やがて永遠の眠りを誘う声へと変わる。
カビのごとき人の悪意。
見よ。かつて交わされた生命の契り。その末裔たる人間の愚かしさを。
あの美しき契りはどこへ消えた。
あの気高き誓いはどこへ消えた。
このおぞましい穢れが、貴様ら人間が生み出すもの。
よく発展した。よく成長した。
そうして。よくもまあ。
ここまで愚かになったものだ。
……だが、それでも許すだろう。遠きに見えるエデンにて、彼の光は人の愚かしさを許すだろう。
星の母よ。あなたはどうだろうか。
ああ。あなたもまた、人の愚かしさを受け入れるだろう。
あなたがかつてそうであったように。
だが。
だが。
だが、私は許しはしない。
この星に生きる同じ人間として、その所業に終止符を打ってみせよう。
光よ。
あなたの為したすべてに意見することはない。あなたの意向は、およそ私の目の届く年月を遥かに超えているゆえに。
しかしながら、人間は醜くも成長し続けるもの。
そうであるならば……その成長に見合った矯正が必要であると、私はそう考える。
光よ。どうか、拙いこの意を。
遠く、遠く、届かぬとしても。
願わくば、あなたに判じていただきたい。
「……祈りは済んだかよ?」
───清廉なる霊廟。
ひざまずく男。
目の前には小さな墓標が一つ。
幼き娘よ。いや、幼いというにはあまりにも、あまりにも多くの苦難を乗り越えた娘よ。
……私は君に別れを告げることができなかった。私に課された制約は、この年月を経てなお、それを許してはくれない。
男は静かに立ち上がり、声をかけた女に振り返る。
水面を滑る音が聞こえる。
「ダエヤ、外で待っているよう言ったはずだけど」
「だって暇すぎんぜ、ここ。お前祈り出したら一時間は出てこねーし」
石同士がこすれ合う音が響き、巨大な石造りの扉が精緻に閉まる。
ここ数百年のうちに見られる建築様式ではない。それよりももっと古い、原始的でありながら一切手の抜かれていない構造様式。
それは神代における逆感性の流行り。魔術や魔法的機構に頼らない物理的な「設計」による機構を好む、そんな一時の流行りによく見られた建築の特徴である。
素材に宿る自然エーテルからは、未だ古い神性を感じ取ることができる。
水浸し(ミストリニル)の聖霊廟。
ここはかつてそう呼ばれていた。
軽々しい様子の女が、大口をあけて欠伸をする。
静謐な空気が好まれるであろうこの場所には少しばかり不釣り合いな女。男はその女を「ダエヤ」と呼び、呆れたように微笑む。
「祈りは心を洗うもの。君もやってみるといいさ。祈りはすべてに通じている」
「へっ、そうかよ。生憎とアタシには祈る相手がいないんでな」
「寂しいな。自己紹介か?」
「余計な世話だっつのコラ」
その二人の仲は悪くないように見える。
例えるなら悪友の空気感だ。
「それにしても。信心深いもんだよなぁお前。あっちの連中と仲良くなれそうじゃないか?」
ぴくりと男の眉が動いた。
反射的なその動きはほとんど痙攣に近く、発言に対する生理的な嫌悪感をつよく感じさせる。
男は両眉を抑えてため息を吐く。
「一緒にしないでくれるかい。俗神を盲信し、あまつさえ世界を壊そうとする下卑た連中と比べないでくれ」
「お前だって世界を手に掛けてるじゃねえか」
「これは私の意志であり、どこまでも私の願いだ。この決断を「神意」とすり替えたことは一度たりともない」
抑えているようで、その語気には怒りが滲み出ていた。
ダエヤに対してではない。不遜なる者ども、それはこの世界で最も唾棄されるべき「騙る者」たちに向けられている怒り。
───かの光こそは太陽のごとく。その信じる場所によって陰りを生むことはなく。愛は等しく、全ての生命に。
世に陰りを生むのはいつだって人間の側なれば。
それを正すのもまた人間であろう。
たとえその先に裁きが待ち受けるとしても。
◇
7.再考証
◇
可逆融合炉心燃焼、対精神汚染結界起動、対魔術魔法障壁発動、輪郭観測複眼開眼。
観測する。観測する。観測する。
機能を分離し、ただ一人を観測する。
観測塔グラン・ヴェーヌス。
それは11本。
総じて11本の塔である。
バルキュリア機関の広大すぎる土地を囲むそれらの塔は、そこにあるだけでエデンの存在を観測し続ける。
証明の必要はない。それはたしかに存在しているゆえに、ただ観測するだけでよい。
かつて無貌の女神が完成し得なかったあの大巨塔。
アズラの天輪に照らされていた、霧に包まれていた洋上の大神塔。
その内部特性を分割形成することで擬似的な再現を果たしたものがそれである。
「それそのもの」ではない。
それらは真なるエデンへの道を開くことはなく、また誰一人も送り届けることはない。
いや本物でさえも片方は模造品であり、届いたかどうかは不明である。
神門を開く鍵も失われた今、無貌の女神が抱いたかつての夢は叶うことのない泡沫と消え去った。
大神巨塔はとうに失われた。
遥かなるエデンへと、役目を終えた鍵たる最後の幼神は飛び去ったのだ。
星に遺されたのは残滓のみ。星の女神がその胸に抱いている、末裔たる人間たちの灯火である。
我らは針路を変えなければならない。
暗黒の荒れ果てる酷海の中で、目指すべき星は。燦然と光り輝く北極星たる星は。
星の女神、星の母。
蒼き泉にて揺りかごを揺らす女神よ。
どうか、その内にあるもう一つの灯火を解き放ちたまえ。
◇
「いいかげん、起きたほうがいいと思うが」
頭上から声が聞こえる。
痛む頭と軋む身体。その二つに耐えながら、なんとか意識を浮上させる。
「……誰?」
「一応は貴様を助けた者だ。もっとも、すでに加護が付いていたが……あの金目が手を貸したようだな」
完全に目を覚ました私はとっさに立ち上がった。
少々アクロバティックな動きにスカートがぶわりとめくれ上がる。
目の前に立つスーツ姿の男。
あのナハシェとかいう奴かとも思ったが、どうやら容姿が大きく異なる。グレーのロングヘアに、黒いメッシュライン。
端正な顔立ちだ。直前の記憶から男かと思ったけれど、この人物の性別を断定することはできない。
かなり中性的な人物に見える。声色もどちらとも取れる。
胸はあまり無いように見えるが、着やせ、あるいはそれ以外の可能性も考えられるだろう。
周囲に一瞬だけ視線を送る。
ビリーがいない。太もものガンホルダーは空っぽで、そこに入っているはずのリボルバーはどこにも見当たらなかった。
手元に軽くエーテルを収束させておく。
それと同時に、自分の領域定義が浸食されているのを認識した。まずは領域定義を再構築しなければならないか。
「身だしなみを整えたらどうだ? 下着が見えているぞ」
「……!」
男、あるいは女。暫定は男。
その男に警戒を送りながら現状を確認していると、不意にそれが口を開いた。
自分の腰元を見下ろせば、スカートの裾が変に引っかかって鼠径部までタイツがむき出しになっている。
素足だったならすぐ気づけたものを。
スカートを叩いて着崩れた部分を直す。恥ずかしさ? そんなものはない。
「お前、誰だ。さっきのやつはどうした」
「知らん。なにを勘違いしている?」
「ナハシェ……だったか。お仲間じゃないのか」
「知らん」
領域定義の再構築完了。
浸食によって大きく影響を受けていたのはエーテルの流れ。水道管が詰まるような感覚を強く受けていたが、再構築によってそれは解消された。
定義解析の結果わかったのは、今いるこの空間が「かなり古いもの」だということ。
男の言葉数はかなり少ない。
コミュニケーションというものを知らないのかこいつは。
こちらは最大限の警戒をしているというのに、男はこっちをまるで敵視していないようだ。
なんなんだ一体。
───改めて、この空間を再確認する。
さっきからやけに眩しさを感じていたけれど、見渡してみれば「なるほど」と納得する。空間全体が結晶のような煌びやかな鉱石で覆われている。
これは……エーテル結晶だろうか?
それもかなり純度の高い、まるで星の底から削り出したような結晶。
そして、実に認識しづらいが。
幾多の輝きに紛れて、離れた場所に立っているもう一人の人物。
魔法使い然とした重厚なローブを身にまとっている者。
ずっとこちらを眺めていたのだろうか。
静かにじっと立っている様子だったその男は、私がそれを認識したと同時に動き出した。
ゆっくりと歩き近づいてくる男。
彼は、ちょうど声が届くくらいの距離で足を止める。
「目が覚めたようだね。ならそろそろ、私も話をしたい」
男は軽快に笑う。
それは実に爽やかな笑顔で、まるで春に吹くそよ風の様である。
「いや君さあ───本当は確実に殺すつもりだったんだけど。立て続けに邪魔が入ってしまって。そこにいる彼とか」
だが、その次の発言で全てが覆る。
本当に不気味なものだ。ラムネソーダだと思っていたものが酸性溶剤だったときの様。
ただ単純なる笑顔であったはずのその表情が、善悪を認識していないかの如き純粋悪の狂気へと早変わりする。
心臓の動悸が早まる。
無意識にエーテルの収束が強まる。
「な、なんなんだお前ら。殺す? 私を?」
「そう。殺す。いやもう殺した……はずだったんだけど。なんでか生きてるね」
「なんで……」
「うーん。剥製にしたいから?」
……はく、せい。剥製?
戸惑いを隠せない。
こんな、猟奇的な殺意をぶつけられたのは初めてだ。
「剥製はちょっと違うかもだけど。君を殺したほうが楽なんだ、いろいろとね」
近距離戦闘用術式から遠距離戦闘用術式へ。
攻撃系術式から防御系術式へ。
脳のストッカーに込めている術式を切り替える。
いやだ。こいつと戦いたくない。
ファントム探しで苛烈な戦闘になったことはある。
その最中に他の魔法使いと戦いになったことも少なくないし、命の奪い合いレベルの戦闘だってそれなりに経験してきた。
だけど、これはちがう。
───怖い。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……!!!
危険信号を発する直感。
せり上がる恐怖感に、身体全体を支配されそうになる。
初対面のはずなのに私はこいつのことを知っている。
震える手でポーチから薬剤ケースを取り出し、アンプトープ錠を数個口の中に放り込む。
それを噛み砕けば、少しだけ精神が楽になった。
「……ふん。レアグリムといったか貴様。歪な魂が透けて見えるが、まともな生命ではないな」
「うん。そうだよねぇ、君にはバレてしまう」
隣で黙りこくっていた男が口を開く。
その様子は至って冷静で気圧される素振りすらない。
私がここまで怯えているのが馬鹿みたいじゃないか……!
「まあそれは置いといて。そっちの君に聞きたいことがあったんだ。本当は、君を解剖して調べるつもりだったんだけどね?」
びくりと肩が震える。
「君は……何者なのかな?」
顔を上げれば目線が合った。
いやだ、いやだ、いやだ、いやだよ。死にたくない。
どこからかそんな思いばかりが湧き上がってくる。
何度つばを飲み込んでも喉の奥がカラカラになる。
レアグリム、レアグリム。
こちらを見るその男を、無理やり睨みつける。
睨みつけてやる。
「……そんなの、知るわけない」
「この世界において君は異常だ。君だけが異常なんだよ。まるで宝石の中に転がる軽石さ。沈めようとしても浮かび上がってくる」
「……どういうこと」
「私にだってわからない。だから聞いているんだ。君は何者だ?」
今度こそ閉口する。
もう口を開く気力なんて残っていなかった。
立っているだけで精一杯だった。睨みつけることもできなくなって、目線がゆっくりと落ちてしまう。
その時、右肩に掴まれるような感覚が走る。
見上げればスーツ姿の男が、私の肩にその大きな手を添えていた。革手袋をした大きな手。
「それを聞いたところで、こいつに答えられるわけがあるまい」
張りのある低いような声の響きの振動が、肩を通してビリビリと伝わってくるような気がした。
ああくそ……この一瞬だけで、こいつに身を委ねてしまいそうになる。
「君は……なにか解ってそうだね。サンタマリノス」
「ほう、名を知っているか」
「知っているとも。───裁定者。君がそういう存在だとね」
◇◇◇サンタマリノス→【裁定者】サンタマリノス。
星の女神。星の母。彼女が手ずから産み落とした最後の幻想。極彩色のそれが分かれた内の一柱。
「存在の価値」を知る者。
「存在の価値」を司る者。
宿す青き光は海の色。静かなる海の底から見上げるその瞳は、如何なる時も眩い光を捉えている。
照らし合わせよう。
存在の始まりと終わりを見届けよう。
裁定を下す者はここに在り。そこに在る輝き、その価値を判じてやろう。
「君の役割、その司るところを信じて問おう。彼女は何者だ?」
私の肩に手を置いたまま、サンタマリノス呼ばれた男は深くため息を吐く。
聞こえた言葉の意味はわからない。「裁定者」とはなんであるのか。役割とはどういうことなのか。
私は静かに息を呑み、彼の言葉を待つ。
意味は分からない……が、それと同時に得られた確信もあった。
彼は、私のことを知っている。
大きなため息のあとで、彼はゆっくりと口を開いた。
「こいつは微量たる影だ。星の母のな。もっとも、こいつ自身にそこまでの記憶は無いだろうが」
───なんと、言った?
「……なるほど、そういうことか。合点がいった」
わからない。
よく聞こえなかった。
「ただの作り物か、君。哀れだね」
わからない。
わからない。
わからない。
わかりたくない。
それは最初から理の外にいた。
はなから人間だと決め込んだのが間違いだった。レアグリム・ムアーメイル、彼は彼女を「人間として」証明しようとした。
いや、彼女は一応は人間だ。だが人間ではない。人間であり人間ではない。
この矛盾が証明を狂わせる。
ゆえに反転魔法は成立しない。落星の儀は崩壊する。
証明できていないものを定義できるはずがないからだ。
そして残念なことに。
彼女の存在はどうしたって証明できないだろう。「魂」などという外殻では、到底測り切れない領域がそこにある。
あるいは「生きている」、「生きてきた」と認識したのが間違いだっただろう。
───あたかも何年も前からいると、そう認識されていたこと自体が間違いであった。
世界五分前仮説。
彼女はその極小のモデルケース。
生命として生まれ落ちたこともなく、生命として存在していた事実すらない。
その存在は周囲を含む認識を誤認させる。整合性を作り上げ、辻褄を作り上げ、最終的には「そこにない」という事実そのものをねじ曲げてしまう。
「ぁ、ああ……あああぁぁああああッ!!!」
頭の中をかき混ぜられる感覚に襲われる。
視界がペンで書き殴ったように黒く染まり、足に力が入らなくなる。
雄叫びのような叫声が響き渡った。
───私はいつから存在しているのか?
繰り返されてきたはずの言葉。朝起きるたびに乖離するような感覚。ふとした時に浮かぶ疑念。
否。
否。
やめろ、思い違いだ!
世界を更新し続ける存在。
それはもはや生物ですらない。星の女神、その権能のほんの一部が零れ落ちたもの。
涙の、一滴の雫のようなもの。
彼女はすでに、数千回は死んでいる。
「ならやっぱり、君を殺すしかないね。君がいる限り私の願いは叶えられない。ここからは実力行使だ。何度でも何度でも、君がいなくなるまで殺すとしよう。何回目でちゃんと死んでくれるか楽しみだよ」
頭を抱え込み、うずくまる少女に対してレアグリムは魔法を展開する。
どうすれば殺せるのか。
何をすれば殺せるのか。
それを試すための多様な手段が、彼の周りに色とりどりの魔法陣として展開される。
「出来ると思っているのか? 私が何もしないとでも?」
少女を庇うように、サンタマリノスがその矢面に立つ。その周囲に魔法的な構えなどはない。
だが手の内の見えないその出で立ちこそが、敵対する者にとっては一番の脅威となる。
傍目には見えないが、そこに確かに攻撃の算段が存在しているという事実。
目に見える圧倒的な手数の多さか。
目に見えぬ隠者の奇手か。
相対するレアグリムは眉を下げて困った顔をする。
「……まいったな、私では君には敵わない。裁定者である君の力は、神代の貴神に匹敵するからね」
「ならばどうする。諦めるか」
「目には目を、歯には歯を。猛毒には猛毒を。これは……あまり使いたくはないんだけれど」
レアグリムはおもむろに、ローブの内側から一本の酒瓶を取り出した。
栓を開き、その中身を地面へと垂らす。どろりとした赤黒い液体が地面へと垂れ落ちる。
「我らは共命する───」
レアグリムを中心とする巨大な魔法陣が展開される。
空間を覆うエーテルの結晶壁に魔法陣の赤い光が反射し、空間全体を赤く染め上げる。
放つのはファントムを呼び出すための言葉。
だがその枕詞から先は、独特の異様な文言に作り換えられていた。
「───砂の星、荒野の空、我は此処に存在せり。光は去り、果ての夢、其は此処に顕現せり。血と灰を願う者よ、汝の栄光はここに相成らん───」
レアグリムを中心に展開された魔法陣が、花の蕾のようにレアグリム自身を包み込んでいく。
共命化。
シンクロナイズとも呼ばれるその力は、主人とファントムの究極形として知られている。
ファントムを使役するのではなく、その身に宿し融合することで力全てを我が物とする修練の技術。
そうして閉じられた蕾は開き、大輪を咲かせる。
「───やっと、出てこられたわ」
現れたそれはどう見てもレアグリムではなく。
ふわりと地面へと降り立ったのは可憐な女性。
ファントムの力を主人が取り込むのではなくその逆。ファントムがその主人を取り込んで顕現する。
共命化のもう一つの究極形が、そこに姿を現していた。
◇
8.再闘争
◇
現れた女性、レアグリムのファントムはどこか呑気な様子である。
さきほどまでのピリついた空気を知らないのか、その表情は実に穏やかなものだ。
対するサンタマリノスは怪訝そうな表情である。どことなく「彼女を知っていそうな感じ」と言うべきか。
「戦争の神……。よもや貴様直々の登場とは」
彼は知っている。
その女こそは西の女神。戦乱を率い、兵を鼓舞する戦場の神。
もとは名も知れぬ部族の悪神だったものが地域神となり、勝利を重ねて大神を名乗るにまで至った女神である。
しかしながら、なぜそれがここにいる?
「へえ、あなた。少し見ないうちに現代かぶれしたのね」
「……久しいな女神よ。仮初の力はよく馴染んでいるか?」
「あは」
閃光が走る。
サンタマリノスのすぐ右横を赤い光線が貫いた。
風圧で髪がバサバサと揺れるが彼は微塵も動いていない。
忌々しい女神だ。
それなりに古い神格ではある。
だがこいつが生まれたのは神代が過ぎた後。サンタマリノスが幻想光から分かれた後の時代の生まれである。
大それた力などあろうはずもない。
それがなにゆえか、神代まっさかりの神にも引けを取らないであろう力を内包している。
正しく歪。
現代風に例えるならば、安い軽自動車に豪奢なリアウィングを付けるようなもの。あまりに不釣り合いな力であった。
当然だ。いくら勝利を重ねたとはいえど、もとの神格を鑑みればおよそ大神になどなれるわけがない。
ではこいつは何をしたのか。
何を「しでかした」のか?
───率直に述べよう。
こいつは浅ましくも騙ったのだ。自らこそが「この星を統べる主神である」と。
「神を騙る」。
いまが神代であったなら、その存在ごと消し炭にされているであろう所業。恐るべき罪。忌むべき悪業。
そしてそれが、悪運ひどく疑似的に成立してしまった。その結果がコレである。
神代の完全なる神性と違い、新しい時代の神はその力の多くを人間からの畏怖や信心に依存する。
ゆえに「宝石」をすり替えた。
展示されていた宝石を地面に叩き落とし、自分がその場所に収まってしまった。
国庫に入るはずの金の一部を、警備員がピンハネし続けたようなもの。
勝てば官軍。地域の戦神としての力は、偽りの信仰を築き上げるにはこれ以上ないほど効果的であっただろう。
勝てば信仰される。
勝つことで信仰される。
たとえ嘘であっても、勝てばその嘘が補強される。人間とは「勝利に酔いたい」生物であるがゆえに。
人間の歴史の中にあって、勝者の真偽の裁定は、そうしていつまで経っても棚の上に置かれ続けた。
「ダメよ。言葉には気を付けないと」
「あやつの中に潜んでいたな。よほどあの魔法使いがお気に入りだったと見える」
「心外だわ。出来レースの相手だっただけ。ま、結果は私の勝利みたいだけど」
───私に頼った時点で負けみたいなものよねぇ。
「人間同士の争いには飽きたのか? 貴様を崇める者どもが、今も喜んでその血を流しているだろう?」
「んふ、私は神だもの。そもそも人間なんてどうでもいいわ。ただ───ひたすらに、私のために戦って死ねばいい。私の栄光を打ち立てる駒として、必要なのは畏れだけ」
「反吐のような教義だな」
「合理的でしょう?」
「俗神が」
「主神と呼べ、愚か者」
朗らかな声音から良き感情が抜け落ちる。
空気が痺れるような感覚があった。
そこに一切の微笑みはなく、見開かれた双眸は怒気を孕んでサンタマリノスを睨みつける。
戦神としての本性。軍官としての規律を重んじ、序列と階級に対する絶対的な服従を定める性質。
そうだ、そのはずだ。
それが何の欲に駆られたか。何を欲さんとして、 伸ばしてはならぬ腕を伸ばしたのか。
もとより悪神であったからとは言わぬ。
憐れみの瞳を向ける。
しかしながら、怒りもまたそこにあった。
「……ずいぶんと驕ったものだ。貴様が主神ならば、この星には主神がごまんと在ることになる」
交錯する両者の視線が鋭さを増す。
「───なにが言いたい?」
「騙り、驕り、嘲りもここまで極まれば清々しい。貴様は所詮ただの日食。光に為り代わらんと策謀したところで、生み落とすのは影でしかない」
結わえていた髪をほどく。
灰と黒の髪が光を帯び、その髪が硬質化していく。
「貴様が歩いた後をよく見てみるがいい。戦争、腐敗、貧困。絶望を積み上げ、勝利を重ね、ここに残るは屍のみ。世界を煤だらけにするつもりか? 救う力など微塵もない辺境の俗神風情が!」
硬質化した髪によって、その背に編み上げられた紋章こそは星の装飾の一部。
幻想光を彩っていた星の女神の装飾。分かたれた際に授けられたその紋章は、嘘偽りのない星の女神の権能を示すもの。
炎が跳ね上がる。
先に仕掛けたのは戦神のほうであった。
サンタマリノスが声を張り上げた直後、舞台が戦場へと変わる。
空間を形成するエーテル結晶すべてを燃料とし、周囲の領域を阿鼻叫喚の戦場へと作り変えた。
戦神の双眸を見よ。その目つきは鋭く、およそただの生命であれば一瞥で死んでいる。
「───ここに戦場を再演する」
ああ。ああ。
精神を蝕む怨嗟の叫びが聞こえる。
並みの観測者であればすでに精神を侵されているやもしれぬ。隔絶された魔法領域にあってなお、それは現実空間へと漏れ出している。
赤黒い空に希望はなく、焦げ付いた大地には絶望が広がる。
空を仰ぎ見よ。
あの赤黒い空を埋め尽くす爆撃機の葬列を。
燃え上がる無数の火の粉、空に立ち上がる数多の黒煙。宵闇に照らし出される鉄の機体は、まるで両翼を広げた悪魔のように群れを為し、黒い卵を産み落とす。
大地を俯瞰せよ。
鋼鉄の戦車が瓦礫を踏み潰し、人間を轢き潰す様を。
止むことのない砲撃音が鼓膜を震わせ続ける。重苦しい機械音をとともに、戦列が火炎の中を突き進む様を見よ。
どこからか、砲弾のようなものがサンタマリノスを襲う。
数十発の砲弾が肉薄するがそれらはすべて、彼に届く前に一瞬で撃ち落とされた。
上空の闇から放たれる無数の光線もまた然り。
サンタマリノスの身体を貫くことはなく、まるで対消滅するかのように消え去ってしまう。
再演。巨大な戦闘機が上空で損傷する光景。
耳をつんざく爆撃音に伴って破片が落下する。
山程もある異様なサイズの航空機が、ガラス張りの円筒状の機首をぶらりと垂らしながら、両翼と後部を炎にまみれさせて落下してくる。
爆音が鳴り響く。
それが彼めがけて地面に墜落した直後、その全身は爆炎と爆風に否応なくさらされて見えなくなった。
「短気なことだ。愛の欠片もない」
彼は、それでもなお健在であった。
風が吹きすさび、煙と炎が振り払われた中心で、彼は傷一つ負うことなくそこに立っていた。
「愛だと? 笑わせるなよ小僧。我は神であり、すべての犠牲は我が捧げ物である。我が供物である」
「そうか? 成り代わるだけでは足りなかったのだろう。力を盤石にするために、畏怖と規律で人間を縛るしかなかった」
中空に浮かぶ戦神は眼下に戦列を再演する。
瓦礫は一掃され、出現した鋼鉄の戦車の車列が、その長大な砲身をサンタマリノスただ一点に向ける。
数百の砲身にエーテルが収束する。
「人間にかける慈悲などない。人間は神の飾り物。人間は死をもって神の栄光を讃える───」
一閃。戦神の身体を数本の光線が貫く。
張り巡らされていた数枚の結界を、薄紙のように容易く貫いて。
何の予兆もなかった。
戦神の右腕は消え去り、左足は根元から千切れ落ちる。その脇腹には大穴が開き、口からはせり上がる血が漏れ出す。
「その言葉が、私を否定するものだと理解しているな?」
存在の価値を知る者にとって。
その始まりと終わりを知る者にとって。
それが「神」であるのならばなおさら。言ってはならないことが確かにある。
灯火を否定してはならぬ。
星の女神は未だそれを手放さぬ。
星の母はその揺り籠を揺らし続けている。
「驕るなよ小娘。全ては私が見逃してやっていただけのこと。貴様とて星に生まれた存在なれば……それを見届けるのもやぶさかではなかったが」
「……馬鹿な。サンタ、マリノス」
「ここまでだ」
神であるならば自己修復くらいは出来よう。
もっとも、それを見届けるつもりは毛頭ない。
「戦神よ、貴様が名乗るその名を私は認めぬ。ゆえにこの権能を持って貴様を処断する。その価値を、輝きを、今ここに照らし合わせてやろう」
背負う紋章が後光を放つ。
深海のごとき青いエーテルが放出され、衝撃波によって作り変えられた領域に亀裂が走ってゆく。
彼の右手にエーテルが収束し、一振りの直剣を編み上げる。
「私は存在の価値を知る者。その行く末を見届ける者。なればここに凝集せよ、存在の輝きよ! その結末を見せよ!」
一つの結晶が顕現する。
荒々しい赤色を放つ人の頭部ほどの結晶。
それは存在の価値を凝集したもの。その輝きを目に見える形で現したもの。
空中から煌めきながら現出したその結晶の中心には、禍々しくもどこか儚げな光を放つ核が見える。
「───私はその色を知っている」
サンタマリノスの持つ直剣に魔法陣が浮かび上がった。
刻印されるは裁定の証。
星の母に、その権能を行使することを知らしめるもの。
彼はスルリとそれを天に振り上げ、そうして躊躇なく勢いよく振り下ろす。
その一連の動作でもって、結晶は両断された。
パキリ。
空中に浮かぶ結晶が左右にズレ落ちると同時───戦神の身体にも変化が起こる。
未だ塞がらぬ傷口から光が漏れ出す。
節々からヒビが入って広がって、割れるような音が鳴っている。
そのヒビからも次第に光が漏れ出すだろう。
白い、白い光。無垢なる光。睨みつける双眸からも、血を溢す口からも光が漏れていく。
「また勇ましき夢で会おう、戦争の女神よ」
そして呆気なく砕け散る。
その存在も嘘偽りなく、美しいものであった。




