ep.それはすべて、あなたのために
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ep.それはすべて、あなたのために
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記憶はない。
記録などもない。
何一つとして、最初から記されたものはない。
それら全ては唐突に始まり、唐突に終わる。
「関わるべきではない……でしたね」
はてさて、どこが始まりだったのか?
もしかしたらもっと前があったかもしれないし、なかったかもしれない。
言ってしまえばそれは、「誰に焦点を当てるか」で如何様にでも変わってしまうものだ。
見えていない話は当然のように。
出来事における主観とはいつだってそういうもの。
そう考えれば、あるいは始まりなどどこにもなく、終わりだって存在し得ないのだろう。
連綿と続くなにがしの、気になった部分を切って断面を見てみた。それがすべて。
いずれにせよ、バルキュリア機関はそこにある。
「異」なるものを収集し続け、エデンを観測し続ける。
ただ───今回に限っては、ある意味で五分より前は存在しない。
彼女に焦点をおいた時点で。
世界五分前仮説のモデルケース。それが人型として現れた異常存在。
彼女はその発生原因により「常に存在し続けてしまう」。その「五分前」を、「存在している」という前提を永遠に刻み続けてしまう。
超・超越的な観測視点においては、彼女は今よりも五分前に存在し始め、五分より前には存在していない。
「五分より前からずっと存在していた」という情報で周囲を上書きし、彼女は後ろ五分を包括して現時点に現れる。
その異常性を自力で認識できるのはおそらく、この世界に片手で数えられるくらいしかいないだろう。
星の女神は、そこまでしてでもこの世界に生きてみたかった。
「困りましたね……」
白く染め上げられた室内で、エイリー・ベラシフォワースは困り顔を浮かべる。
その視線の先にはソファーで横になり、静かに寝息を立てる少女の姿があった。
風村結華。
いや、今回の名前は違うだろうか? 死んではいないから変わることはないように思えるが……。
無意識下で積み上げられて爆発した、精神的損傷による影響が気になるところ。
あれですね、感覚遮断なんちゃら───おほん。
「───やはりお前だったか」
中空から転移魔法の瞬光とともに、背の高い一人の女性が姿を現す。
アッシュグレーに黒いメッシュラインの入ったロングヘア。それを後ろで一にまとめた女性。
裁定者サンタマリノス。
髪を結わえているのは紐だけの簡素な髪留め。
毎度のことではないが、もっとリボンとかを付けたらいいのにと思ってしまう。
もっとおしゃれしろ。
何かと男だと誤解されがちな人だけど、私はちゃんと彼女が「女性である」と知っている。
「小僧」と呼ばれたとき、少しだけ眉を顰めていたのも私は見逃さなかった。
「いつの間にかいなくなったかと思えば……お前以外にあのような芸当が出来ようはずもないな」
「裁定者さん。ごめんなさい。なんか死にそうだったので、助けてしまいました」
「まったく……」
サンタマリノスはソファで眠る少女を見やる。
彼女は小さく鼻を鳴らした。懐から紙タバコを取り出した彼女はそれれに火をつけ、口元に咥える。
「どうだろうな。そいつは、あそこで死んでおくべきだったとは思うが」
知っている。彼女はそう言うだろうと、記憶領域内の情報が告げている。
私が助け出さなかったのなら、サンタマリノスは風村結華という存在を殺していた。
実際彼女にはその力があるし、そうする理由もある。
他者に対する不合理な干渉と介入。
それはそれぞれの存在が個々に持つ、本来の価値と輝きを損ないかねない。
「もっとも、もう過ぎた話。お前が関わったのなら、私が口出しするフェーズは過ぎた」
「なにかアドバイスとか、あります?」
「そいつが死なないようにしろ。そいつの目的は「生きること」だ。死にさえしなければ、書き換え続ける情報は精々が数字程度のもの。簡単だろう?」
まあ不可能ではない。それだけならばぜんぜん可能なレベルの話である。
問題はこの少女自体が依然としてある種の不安分子であり、予測できない「不確実性」を持っていること。
───関わるべきではない。
送られてきていた伝達情報を思い出す。
関わるべきではない。けどそれと同時に、あれには「好きにしてもいい」というメッセージも含まれていたはず。
他にも何かごちゃごちゃ言っていたけれど、よく分からなかったから全部無視しておいた。
ふと、ソファの上の少女が身じろぎをする。
吐息交じりの小さな声。
向かい合っていた二人の視線がその少女に移る。エイリーはサンタマリノスと顔を見合わせると、少女の顔が見えるすぐ傍にしゃがみ込んだ。
ゆっくりと、その瞼が開く。
ぱちぱちと。
それから数回の瞬きを繰り返して、その半目の視線はエイリーと奥に立っているサンタマリノスを見る。
「お母、さん?」
「……はい?」
───灯火は解き放たれた。
二人を視認した彼女は、か細い声でそう呟いた。
まだ喉が開ききっていないのか、耳を澄まして聞き取れるギリギリの声量で。
彼女は確かに「お母さん」と言った。
「ちょっと。どういうことですかこれ!」
「知らん、知らん。何だお前、こいつの母親になったのか?」
「なってませんよ!」
慌てふためくエイリーを前に、サンタマリノスが愉快そうな笑みを浮かべている。
死んでいない以上、存在を刻む情報に変化は起こらないはずなのだが。精神的損傷が引き起こした幼児退行のようなものだろうか?
この一度しかない事例を思考するのは、わたしにとっても少しばかり難易度が高い。
「っていうかあれ、なんかあなたの方を見てませんか? サンタマリノス」
おろおろしながらその場でぐるぐると小回りしていたエイリー。
ふと彼女が少女に目を向けると、少女はエイリーではなくタバコをふかしているサンタマリノスのほうを見つめていた。
エイリーが顔の前で手を振ってみても、その視線が移ることは一切ない。
「馬鹿なことを。私が母親だとでも言いたいの……」
「お母さん? ここ、どこ?」
「…………」
間違いようもなく。
少女は確実にサンタマリノスを直視しながらそう言った。
呆気にとられた顔。
彼女は驚愕に目を見開き、ここ数百年で一度も見せたことのないような表情をする。
数秒間、まるで「宇宙銀河を背景に呆然とする猫」のような顔をしていたサンタマリノスは、その間にいったい何を理解したのか───吸っていたタバコをぎゅぎゅっと吸い殻ケースにねじ込んで、そそくさと転移魔法を発動した。
「私は帰る。あとは好きにしろ」
「逃がすわけないですよね。ね、お母さん。お母さん!」
「ふ、ざけるなっ…! この手を離せ!」
それを行かせまいと胴体を鷲掴みにするエイリー。
サンタマリノスの全力の膂力をもってしても、腰に回された腕は振りほどけない。
◇◇◇エイリー・ベラシフォワース→観測者エイリー・ベラシフォワース。
バルキュリア機関を治める「ウィル」にして、極彩色の幻想光から分かたれた「白色」を司る者。
「ウィルー!!! ちょっと手を貸しなさい! どっかの馬鹿野郎が逃走中よ! うちの博物館ぶっ壊して逃げてんの!!!」
◇
「彼女は散ったみたいだね」
「良かったじゃねえか。嫌いな相手が一人消えて」
「いやいや、困ったことになった。さすがに強すぎやしないかい?」
「そらそうだろ。まだそいつの魔法を使うつもりか?」
「いや……。いえ、この反転魔法はもう使い物にならないわね。これが一番楽そうだったんだけれど」
レアグリム・ムアーメイルはもうおしまい。
この男の反転魔法が手段として、要件定義を確認した上で、その実践工程が最も単純だったのは言うまでもない。
───証明し、定義する。
証明し得ないものすべてを排除し、排除し、排除して。定義できる状況を作り上げるだけ。
そのために必要な魔法も術式構築も揃えていたというのに。
現にあの異分子さえいなければ、とっくの昔に落星の儀は成功し、人類矯正化計画(仮)は行われていた。
レアグリムとは親和性も高かったのだ。
精神に入り込みやすく、魔法使いとしての素養も高く、幻視させるのもそこまで苦労しなかった。
サンタマリノスに倒されるまでの年月を、私は確かにレアグリムとして存在していた。私は確かにレアグリムであったし、人間であったし、それでいて人間を心から憎んでいた。
振り返ってみれば、むしろ私のほうがレアグリムに影響を受けていた節すらあっただろう。
ダエヤの唆しがレアグリムには強く働いたのか。
「あれはどうなったかしら」
「誰かに盗まれちまったみたいだな。アタシが見に行ったときにはもう無かったぜ」
「……まあ、もう必要ないからいいわ」
基礎研究博物館の地下十階。
そこにあった、偽装された神代の遺物。
「どうすんだ、これから」
「どうしようかしらね」
そう問われたところで、より良い次の案を考えつくまで、途方に暮れるしかあるまい。
また無駄骨を折り続ける日々が始まるだけだ。
───いっそのことアレみたいに、アダムとリリスでも用意して……なんて、私がやってもただの八つ当たりにしかならない。
それにそんなことができるはずもない。
「あの娘、まだ生きてるんだっけ?」
空想に空想を重ねて。頬杖をつきながら、彼女は思い出したようにダエヤに尋ねる。
「みたいだな。死んでたら良かったのにってか?」
「死んでたところでもう無理よ。言ったでしょ、あいつの一撃で使い物にならなくなっちゃったわ」
レアグリムの反転魔法。
あれは使い道さえ間違えなければ、かなり優れた革新を生み出す魔法になっていただろう。
最高階位の魔法仮説は伊達じゃなかった。
───私に目を付けられたのが運の尽きだった。
そんな皮肉めいた言葉が思い浮かんだが、そこまでくるともうただの自虐である。
あの娘。風村結華。
最後まで唯一の障害として残り続けたあれが、まさか星の女神の影だったとは驚きだ。
あの裁定者が言うのなら間違いないのだろう。
何がどうしてそんなものが産み落とされたのか疑問でしかないけれど、それは私にも言えることか。
「となるとあれ、実質お母様みたいなものなのよね」
彼女はぽそりと呟く。
人間を生み出す際、その礎となった神。
神代において礎とするために蒼き泉にて生み出され、その使命を見事に全うした四神。そのうちの一柱。
灯火をつけるための燃料となった存在。
その残滓が、どこからか零れ落ちたものが彼女である。
存在としては歪も歪。
彼女は四神のうち、「人間」を生み出すための精神的分霊核となった神であり、特に人間に対して強いこだわりを持っている。
ただし、彼女に神であった頃の精神はほとんどない。
記憶は辛うじてあるものの性質ゆえに感性は人間にほど近く、神らしからぬ個人的感情による動機を優先する傾向がある。
「あの子の気持ちが分かるわ。ずっと彼らを見てきて、裏切られて」
「あんま感傷に浸んなよ。空気がしける」
エデンへと飛び去ったあの子。別れを告げられなかったあの子。
成そうとした事のベクトルは違うけれど、おそらくその根本にある思いは似通っていたはずである。
ダエヤは私の信心深さを不思議がっていたっけ。
疑問かしら? だって生まれることがなかったのなら、これは抱くことさえなかった思い。
その神秘を真に理解できているのであれば、これは信心などではなく至極当然な生命活動の一環である。
そもそも、私にとっては産みの親であれば。
ダエヤは「生贄だ」と私を焚き付けたかったようだけれど、そこに対する思いだけは「私」となっても変わらない。
「次の憑依先見つけるまで、私も子守に転向しようかしらね?」
「おいおいマジで、勘弁してくれ」
◇
「おい! なんで俺たちが追われてるんだ!?」
絶妙にチャラそうな風貌の男が、ドレス姿の女性の手を引いて街中を走り抜けていく。
魔法による身体強化をしているのか、それもかなりの速度である。
その後ろからは紺色の身綺麗な制服を着込んだ警官隊が、「逃がすな!」などと大声を上げながら大所帯で追いかけてきている様子。
「転移魔法は!?」
「障壁が強化されたみたい。抜けれないわ」
「いやいやどうなってんだよ!」
チャラそうな男は悪態を吐き、女性は澄まし顔で、されるがままに手を引かれている。
雑踏の合間を、二人の足音がすり抜けていく。
彼ら二人がこのバルキュリア機関に到着したのは数刻前。
それでなぜ警官隊に追われているのかといえば……謎の大爆発とともに崩落した基礎研究博物館から「無傷でとことこ出てきた」から。
まあ傍から見れば至って正当な理由であった。
「ちょっと遅れちゃったみたい?」
「知るか! お前が散歩したいとかいうからだろ!?」
「だって、散歩したかったから……」
男は内心で苦虫を噛み潰す。
感じるはずのない苦味が幻肢痛ならぬ、幻味苦虫汁となって眉毛をピクピクと痙攣させる。
この女の発動した転移魔法でバルキュリア機関に着いた後のこと。
どこに案内されるのかと身構えていたら、この女はいきなり「散歩したくなった」とか言い出して俺を連れ回し始めた。
なんでもない大通りの歩道を歩かされ、路傍の花を数分間ガン見したり、どこぞの公園をぐるぐると歩かされたり。
そうして「満足した」とか言って、やっと目的地に連れてこられたかと思えば廃墟の中心。
デカいシンクホールみたいなとこの底から、アホらしく青空を見上げる始末。
女は何かを探して回収していたようだが、そんなのこっちにとっちゃ知ったことではない。
───ふざけるのも大概にしてほしいもの。
それで「どういうことだ」と地上に上がってみれば、なぜか集まってきていた数十人の警官たちにぐるりと囲まれ、咄嗟の判断で取り敢えず逃げているこの状況。
「ねえ、やっぱりあいつら殺したほうが早いと思うわ。殺しましょう?」
「俺まで指名手配食らうだろ! ダメダメ!」
こいつはこいつで馬鹿なことしか言わないし!
その時、引いていた手が突然離れる感覚がした。
驚きに思わず立ち止まって振り返る。
さきほどまで軽やかに走っていたはずの女が、なぜか地面に手をついて倒れ込んでいた。
「おいどうした!?」
「ヒール、折れちゃったみたい」
その言葉にそいつの足先を見る。
女が履いているハイヒール、その片方のヒール部分が途中からポッキリと折れてしまっていた。
少し離れたところにその折れたヒールが転がっている。
───こいつ化け物じゃなかったのか? なんだってそんなくらいで倒れるようなことになる!?
「くそっ! 文句なしだぞ!」
「あっ……」
後ろからあの警官どもが追ってきている以上、考えている余裕なんてない。
倒れ込んだ女を無理やり「お姫様抱っこ」で抱き上げ、俺は全速力で走り出す。
折れたハイヒールが脱げて地面に転がった。
女を胸元に抱えたまま街中を疾走する。
転移魔法は上手く機能しないらしいが、身体強化系の魔法は十全に機能している。
ならば何の問題もない。
俺が一番得意とするのは身体強化。少なくともこの系統において、他の魔法使いに後れを取ったことはない。
なぜなら固有能力持ちだからな!
最初からこうすればよかったか。
これなら走行ペースを気にして合わせる必要もない。
無詠唱魔法により強化魔法を発動し、一拍の深呼吸の後に追っ手を振り切る。
そして。
いざそうしようとした矢先、力強い手のひらが口元に押し付けられた。
「なんっ、おむえ! ふすぐな!」
「顔が近いわ。キスでもするつもり?」
「おいやむぇ、やめろ! 邪魔すんなァッ!!!」
「恥ずかしいわ恥ずかしいわ」
「おい待て───」
無詠唱魔法が暴走する。
口元と言わず、顔面全体を押し退けるように両手で覆われた俺の意識は魔法制御どころではなく、そのブレが強化魔法の異常発動を招く。
身体全体が急加速するような感覚。
ジェットコースターのあの感覚が、まるで百倍くらいになったような身の毛もよだつ感覚が全身を襲う。
そうしてやっと両手が視界から外された時。
───俺の身体は青空にあった。
青空に向かって、恐ろしい速度で上昇し続けていた。
何がどうしてそうなったのかはさっぱり不明だけれど、俺の身体はどうしようもなく青空にあった。
眼下に広がる小粒ほどの都市群。無意識に、女を抱
き寄せる両腕に力が入る。
ふざけるなとは言わない。
今日だけで何回この言葉を吐いたか、吐きそうになったかは覚えていないが。いやたぶん百回くらいは心の中で呟いているけれど。
絶対に口に出したくない。
なぜならば、俺はこの言葉を遺言にするつもりは断じてない!
「ふざけんなよこの女ァッーーー!!!」
◇




