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転生ゲーム理論家は笑顔で世界を掌握する  作者: どみさん


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それぞれの場所

 焚き火の音が遠い。


 帰路の野営地で、カタリナが隣に座った。膝を抱えて、炎を見ている。首元の蛇の首飾りが火に照らされて鈍く光った。


「ルドルフ様から接触があったの」


 声が低かった。炎を見たまま、こちらを見ない。


「二重の密偵になれと。報酬はグレンツェンの情報と引き換えに帝都での身分保障。裏切る利得は計算できた。割に合う取引だった」


 俺は黙って聞いた。薪が爆ぜて、火の粉が夜空に散った。周りの天幕は静まり返っている。兵たちの寝息すら聞こえない距離だった。


「でも、あなたを信じたいという気持ちは、計算できなかった」


 カタリナの指が膝の上で組み替わった。利得の目を起動した。


 靄が見える。一番上に浮かぶ色が、変わっていた。灰色ではない。温かい、名前のつけにくい色だった。信頼に近い。誰かと共にいることへの渇望。灰色の生存が、初めて二番目に落ちている。


「私はあなたの妻にはなれないわ」


 声は穏やかだった。


「でも、あなたの隣にはいたい。……それで十分」


「十分なわけあるか」


 俺は笑った。カタリナの手を取った。冷えていた。焚き火のそばにいるのに、指先だけが冷たい。


 カタリナが首飾りに触れた。蛇が絡み合う細工。銀が火を受けて赤く染まっている。


「これ、自分で買ったの。知ってた?」


 知らなかった。誰かに贈られたものだと思っていた。


「蛇みたいに生きていくつもりだった。誰も信じず、どこにも属さず。……もう要らないかもしれない」


 指が留め金にかかった。外そうとして、止まった。親指が金具の上で動かなくなっている。


「でも、まだ外す勇気はないわ」


 俺は何も言わなかった。その手に触れもしなかった。これはカタリナの問題だ。俺が外していいものじゃない。


 カタリナが立ち上がった。膝の土を払って、こちらを見下ろす。


「帰ったら、セラフィーナ様と話しなさい。逃げたら承知しないわよ」


 背を向けて歩いていく。蛇の首飾りが、まだ首元で光っていた。



 グレンツェンに戻って三日目。鍛冶場の炉が赤い。煤の匂いと鉄の匂いが混じっている。


 リーゼロッテが剣を研いでいた。砥石の上を刃が滑る音が、一定の間隔で響く。腕まくりした袖から、火傷の痕が覗いている。戦の前と同じ姿勢だった。何も変わっていないように見えて、目の据わり方が違う。戻ってきた人間の目だ。


「あんた、三人の女に囲まれてどうすんだ」


 手を止めずに言った。笑っている。


「お前に嘘はつかない。セラフィーナが正妻だ。それは変わらない」


「知ってる」


 砥石が止まった。剣を持ち上げて、刃の角度を炉の光に透かす。


「あたしはあんたの隣で戦えればいい」


 間があった。砥石を置いて、リーゼロッテが腕の火傷痕を見た。


「……嘘。本当は全部欲しい。でも、あたしにはあたしの場所がある。それでいい」


 火傷痕を俺に向けた。引き攣れた皮膚が炉の光で赤く浮かぶ。


「これが、あたしの勲章だ」


 俺はその腕に手を伸ばした。指先が火傷の縁に触れた。皮膚が硬い。リーゼロッテの目がこちらを見ている。逸らさなかった。


 鍛冶場の入口で、足音がした。革靴が石床を踏む音。鍛冶場には不釣り合いな、軽い足取り。


 セラフィーナが立っていた。扇子を右手に持っている。閉じたまま。指が白くなるほど握り込んでいた。鍛冶場の熱気で頬が赤い。ここに来たことがあるのかどうか、俺は知らなかった。


 リーゼロッテと目が合った。


 炉の音だけが続いた。五秒。十秒。どちらも動かない。俺も口を開けなかった。


「リーゼロッテ」


 セラフィーナが言った。扇子を握る手が震えている。


「あなたのことは嫌いよ」


「知ってる」


 リーゼロッテが即答した。砥石に手を戻しかけて、止めた。


「でも、あなたがいなかったらこの人は死んでいた」


 セラフィーナの声が詰まった。扇子が開きかけて、また閉じる。


「……ありがとう」


「礼を言うな。気持ち悪い」


 リーゼロッテが顔をしかめた。セラフィーナが息を吐いた。炉の熱が二人の間を通り抜けた。


 二人の口元が同時に緩んだ。笑い声ではなかった。ただ、敵意が消えた顔を初めて見た。完全な和解でもない。でも、同じ場所に立てる程度には何かが変わった。


 鍛冶場の外から、松葉杖の音が近づいてきた。


「おお、賑やかだな」


 ヘルムートが入口に立っていた。包帯の巻かれた左足を庇いながら、鍛冶場の中を見回す。セラフィーナ、リーゼロッテ、俺。三人を順に見て、古傷だらけの手で顎を撫でた。


「若様、いい顔になったな」


 目が細くなった。


「……モテたんだろう?」


 リーゼロッテが砥石を投げる真似をした。セラフィーナの扇子がぱちんと開いた。俺は笑うしかなかった。


 だがセラフィーナの目が、笑いの奥で俺を見ていた。まだ話は終わっていない、と言っている目だった。


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