繰り返しゲーム
同じ手を使う相手には、同じ読みが通る。
書斎の卓に広げた羊皮紙には、この二週間で俺が書き出した全てが並んでいた。ルドルフの行動原理。帝国軍の編成。降伏勧告の条件。あの大敗で突きつけられた事実——あの男は、俺と同じように考える。
だから読まれた。
同じ計算をする相手に、計算で勝てない。それは分かっている。分かった上で、二週間ずっと同じ場所をぐるぐる回っていた。
「何が違う」
声に出していた。セラフィーナが扇子を開いたまま、書斎の椅子に座っている。議論の姿勢だった。扇子の骨を指先で辿りながら、こちらを見ている。
「俺とルドルフは同じ理屈で動く。同じ計算をする。なのに、あの男には読めて、俺には読めなかった。同じなら五分のはずだ。何が違う」
セラフィーナの指が扇子の骨を止めた。
「同じではないわ」
「どこが」
「あの男は、全ての関係を一回きりの取引として扱っている」
扇子が微かに揺れた。言葉を選んでいるのではない。確信を持って言い切る前の、一瞬の整理だった。
「王都の社交で何百人と会ってきたけれど、あの種の人間は稀にいるの。誰に対しても丁寧で、誰とも二度目がない人間。約束は守る必要がない。次がないから。恩を売る意味もない。返ってこないから。あの男には同盟者がいない。部下がいるだけよ」
窓の外で鳥が鳴いた。春の半ばの風が書斎に入り込んで、羊皮紙の端をめくった。
一回きり。
その言葉が頭の中で転がった。一回きりの取引なら、裏切った方が得をする。約束を破っても、次に会わなければ報復されない。ルドルフが降伏勧告の条件を守る気がなかったのは、そういうことだ。あの男にとって、全ての人間関係に「次」がない。
だが俺は違う。
椅子の背に体重を預けて、天井を見た。リーゼロッテの据わった目を思い出す。ヘルムートの片目を。セラフィーナの扇子を。オットーの眼鏡を。
俺はこいつらと明日も会う。明後日も。来月も。「次」がある関係だ。
だから何だ。それが何の武器になる。
指が卓を叩いた。自分でも気づかないうちに、考えるときの癖が出ていた。
明日もまた会う相手を裏切れば、明日から信用を失う。だが協力すれば、明日もまた協力が返ってくる。一回きりなら裏切りが得だ。だが繰り返すなら——。
息が止まった。
繰り返すなら、協力が得になる。
ルドルフの計算は正しい。あの男の理屈の中では、完璧に正しい。だがあの男の理屈には「次」がない。全ての人間関係が一回きりだから、裏切りが常に最適解になる。恐怖で従わせ、不要になれば切り捨てる。合理的だ。一回きりなら。
だが俺の周りには、明日も来る人間がいる。リーゼロッテは殿軍を買って出た。ヘルムートは片目を失った。セラフィーナは王都を捨てた。全員、一回きりの取引ではありえない選択をしている。
感情だ。
拳を握った。感情が、一回きりの関係を「次がある関係」に変えている。俺がリーゼロッテに「すまない」と思うこと。セラフィーナを信じること。カタリナに賭けたこと。全部、計算じゃない。だが計算では作れないものを作っている。
感情は計算の邪魔じゃない。「次」を作る装置だ。
ルドルフにはそれがない。あの男が読めないのは、計算の外にあるものだ。恐怖で繋いだ鎖は、鎖が緩んだ瞬間に切れる。
「セラフィーナ」
声が出た。喉の奥が乾いている。だが手は震えていない。
「あの男の部下は、鎖が緩んだらどうする」
セラフィーナの扇子が止まった。目が細くなる。
「逃げるか、裏切るか。どちらかね」
扉が開いた。オットーが帳簿を抱えて入ってくる。眼鏡を押し上げた。二週間ぶりに見る仕草だった。帳簿番の目に、張りが戻っている。
「帝国軍の補給について計算しました。25,000の兵を遠征で維持する費用は、月あたり金貨12,000。帝国の年間歳入から逆算すると、この遠征は帝国内の重税で賄われています。そして——」
オットーが帳簿の一頁を開いた。
「帝国内でも不満が出ているはずです。これだけの負担を、末端の領民が黙って受け入れるとは思えません」
その時、扉の外から伝令が駆け込んできた。手に封書を持っている。封蝋にカタリナの紋章があった。
封を切った。短い文面だった。
『帝国内で重税と徴兵への不満が高まっている。ルドルフの統治に反発する貴族がいる。だが彼らには互いを繋ぐ手段がない』
羊皮紙を握る手に力が入った。
離反者は、いる。だが繋がっていない。一回きりの関係しか持てない男の足元で、不満だけが散らばっている。
繋げればいい。
だがどうやって。帝国の内側に手を伸ばす方法を、俺はまだ持っていない。三ヶ月の期限は、あと半分を切っている。
カタリナの密書を卓に置いた。セラフィーナが扇子の骨を一つ、弾いた。




