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転生ゲーム理論家は笑顔で世界を掌握する  作者: どみさん


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嘘じゃないわ

 帝国軍の補給隊は、夜明け前に動く。


 斥候が三日間かけて突き止めた法則だった。街道沿いの林の中に隠された中継地から、食糧と矢弾を積んだ荷車が出発する。護衛は四十名。主力からは半日の距離。


「ここを叩く」


 天幕の中、地図の上に指を置いた。ヘルムートとリーゼロッテ、それにオットーが見ている。


「補給の一部を奪取する。物資が欲しいわけじゃない。帝国軍に『補給が危ない』という事実を突きつけるためだ」


「一部、ですか」


 オットーが眼鏡の奥で瞬いた。


「全部取ればよいのでは」


「全部取ったら『奇襲で補給を失った』で終わる。一回の事故だ。だが一部だけ取って、残りを逃がす。逃がした連中は本隊に戻って『補給線が襲われた』と報告する。その上で、別の経路からも同じ報告が入るように仕掛ける」


 ヘルムートの隻眼が俺を見た。


「偽報か」


「半分は本物だ。補給の一部は本当に奪う。検証可能な事実を作る。その上で、『全補給線が断たれた』と誇張した情報を帝国軍の耳に入れる。本当のことと嘘を混ぜる」


 オットーのペンが止まった。


「第一部の時は、完全な偽情報を使いましたね。ルドルフ公がそれを看破して対策を立てた。今度は」


「今度は、嘘に本物を混ぜる。ルドルフは『純粋な嘘』を見抜く方法を確立した。なら、嘘だけの情報は使わない。本物の中に嘘を紛れ込ませれば、『全部嘘だ』と切り捨てられなくなる」


 リーゼロッテが腕を組んだまま地図を見ていた。


「あたしの隊は?」


「奇襲の実行はお前に任せる。補給隊を叩いて、荷車の三分の一を確保。残りは壊さず、護衛も殺しすぎるな。逃がした兵が報告することが大事だ」


「殺しすぎるな、か」


 リーゼロッテの口元が歪んだ。笑っていなかった。


「戦場で加減しろってのは、一番難しい注文だ」


「お前なら出来る」


「……知ってる」


 視線を外して、鍛冶場で渡した剣に目を落とした。俺の腰にある。リーゼロッテの琥珀色の目がそこで一瞬止まって、すぐに地図に戻った。



    ◇



 奇襲は成功した。


 リーゼロッテの民兵隊が夜明け前に林を抜け、補給隊の護衛を押し包んだ。荷車十二台のうち四台を確保し、残り八台は護衛とともに本隊の方角へ逃がした。鉄と泥の匂いが暗い林に充満し、逃げる荷車の車輪が砂利を噛む音が遠ざかっていった。死者は帝国側が七名、こちらが二名。リーゼロッテの報告は「加減した」の一言だった。


 同時に、三つの経路から偽情報を流した。


「一つ目は伝令書です」


 オットーが地図の上に書状の写しを広げた。


「帝国軍の哨戒線の外にわざと落とす。中身は『南方の補給路も遮断に成功、帝国軍の全補給線は寸断された』。嘘です。南方には手を出していません」


「二つ目は商人の口だ」


 俺が引き継いだ。


「帝国軍の中に紛れ込ませた商人を通じて『街道が封鎖された、もう物資は来ない』と噂を流す。将校の報告より兵卒に広がりやすい経路だ」


「三つ目は?」


 ヘルムートが聞いた。


「本物だ。リーゼロッテが奪った荷車の中身を、帝国軍の斥候が確認できる場所に並べる。『我々はお前たちの補給物資を持っている』という証拠。嘘をつく気がないように見せるための、一番高い餌だ」


 三つのうち、一つは事実で二つは嘘だ。だが帝国軍の側からはどれが事実でどれが嘘か判別できない。全部嘘だと切り捨てれば、本物の奇襲による損害まで無視することになる。逆に全部本当だと受け取れば、補給線が全滅したと錯覚する。


 どちらに転んでも、帝国軍の判断が鈍る。嘘の中に事実を混ぜると、嘘を切り離すために事実まで検証し直さなければならない。その手間が判断を遅らせ、遅れた判断が前線の足を止める。鉱山の戦いで純粋な偽情報を使って痛い目を見た。同じ手は通じない。だから手を変えた。



    ◇



 三日目の夜、天幕で報告を受けた。


「帝国軍の北方面軍が、補給線の再構築を理由に前進を停止しました」


 オットーが斥候の報告書を読み上げた。


「ただし、中央の主力は動きを止めていません。指揮官が偽情報の一部を看破した可能性があります」


「一部を看破した、か」


 地図の上に駒を動かした。帝国の三軍団。北は足を止め、中央だけが街道を南下し続けている。南はまだ渡河すらしていない。


「北の指揮官は慎重だ。嘘かもしれないが、補給が危ないなら止まる判断をした。中央の指揮官は逆に、嘘だと見抜いて前進を続けた。だがどちらも全体像は掴めていない」


「つまり、三軍団の足並みが揃わなくなった」


「そうだ。それが狙いだ」


 ヘルムートが天幕の入口に立ったまま、黙って聞いていた。古傷だらけの腕を組んで、表情がない。この老兵は、策が正しいかどうかではなく、策の後に何が起きるかを見ている。


 その目が正しかったことは、翌朝に分かった。


 伝令が走ってきた。息を切らして天幕に飛び込み、膝をついた。


「東部方面の同盟軍、リンデン卿の一隊が壊滅しました!」


 リンデン卿。俺が情報戦と同時に出した指示を受けて、帝国軍の側面を突くはずだった隊だ。


「何があった」


「リンデン卿は『帝国軍の補給が断たれた』という報を信じて前進しましたが、中央軍の前哨部隊と遭遇し……伏兵でした。帝国軍の中央指揮官は偽情報を看破しており、補給線を囮にして待ち構えていたようです」


 胃の底が冷えた。膝の上で拳を握って、指の震えを押さえた。


 リンデン卿は、俺の偽情報を信じて動いた。帝国軍が混乱していると思い込んで前に出た。だが中央の指揮官は嘘を見抜いていた。俺の策を逆手に取って、前進してくる同盟軍を罠にかけた。


「……死者は」


「七百名以上です。リンデン卿自身は撤退しましたが、壊走状態です」


 オットーがペンを置いた。音がしなかった。


 俺は地図を見たまま動けなかった。七百名。俺の偽情報を信じて前に出た兵が、七百名死んだ。帝国軍を騙すための嘘が、味方も騙した。


「ユリウス様」


 オットーの声が遠くに聞こえた。


「リンデン卿から離脱の通告が来ています。『もうこの作戦には付き合えん。独自に撤退する』と」


 同盟の一角が崩れた。策が成功した部分と、策が裏目に出た部分が同時にある。戦争とは、そういうものだ。計算は全体の確率を動かせるが、個々の結果を保証しない。


 分かっている。だが七百名の数字は、フリッツの名前と同じ重さで帳簿に載る。



    ◇



 夜営の火が落ちた頃、密書が届いた。


 カタリナの紋章が押された封蝋を割ると、薄い羊皮紙が一枚だけ入っていた。字は細く、だが急いた形跡がない。いつも通りの丁寧な筆跡だった。


『帝国軍北方面軍の指揮官ハインリヒは、本国からの補給再開命令を待っている。再開がなければ十日以内に撤退する見込み。中央軍の指揮官ヴェルナーは強硬派。偽情報を看破しており、補給の不安を無視して前進する可能性が高い。南方面軍は動きが遅い。指揮官のカール・フォン・マイアーは老齢で、積極的な戦闘を望んでいない。


追伸。無事を祈る。嘘じゃないわ。』


 最後の一行を、二度読んだ。


 天幕の中は暗かった。蝋燭が一本だけ、机の上の地図と密書を照らしている。外では兵士たちが交代で見張りに立ち、低い話し声が聞こえている。


 密書を握ったまま、手首の内側を見た。


 脈が打っている。カタリナの書庫で、あの女の指先がここに触れた夜のことを思い出していた。脈を測るみたいに。速いわ、と言った声。嫌じゃないから触るなと言っている、と返した自分の声。


 セラフィーナはグレンツェン領の後方で兵站を管理している。俺の手元にはいない。今、この天幕にいるのは俺だけで、手の中にあるのはカタリナの密書だけだ。


 不在の妻と、手紙の女。


 どちらの顔も浮かんだ。白金の髪と翡翠の瞳。黒い髪と泣きぼくろ。二人とも、今頃はそれぞれの場所で眠れない夜を過ごしているのだろうか。それとも、俺が想像するほど俺のことを考えていないのか。


 後者のほうが正しい気がした。三十四年間モテなかった男の感覚が、そう囁く。自分が思うほど、人は自分のことを考えていない。


 だがカタリナは「嘘じゃない」と書いた。わざわざ情報の末尾に、作戦と関係のない一行を足した。嘘じゃないと断る必要があるのは、嘘だと思われることを恐れているからだ。あるいは、自分でも嘘か本当か分からないから、文字にして確かめたかったのか。


 密書を折り畳んで、懐に入れた。手首の脈はまだ少し速いままだった。



    ◇



 翌日、斥候の報告が入った。


「帝国軍北方面軍が撤退を開始しました」


 カタリナの情報通りだった。ハインリヒの軍が補給線の不安を理由に、国境方面へ後退していく。二万五千の三分の一、約八千が戦場から消える。


「一つ消えた」


 オットーが地図の駒を動かしながら言った。声が抑えられていたが、安堵が混じっていた。


「残りは中央のヴェルナーと、南のカール。二つの軍団の連携は崩れています。各個撃破の好機です」


「ああ。だが中央のヴェルナーは俺の偽情報を看破した男だ。油断はできない」


 リーゼロッテが天幕に入ってきた。革鎧の肩に朝露がついていた。夜通し哨戒に出ていたらしい。


「偵察から戻った。中央軍は隘路の手前まで来てる。あと一日で接触する」


「南は?」


「動きが鈍い。カールとかいう爺さんの軍は、渡河すらしていない」


 三軍団のうち一つが撤退し、一つが停滞している。動いているのは中央のヴェルナーだけだ。だがヴェルナーの軍だけでも八千。こちらの手元の四千五百より遥かに多い。


「各個撃破の好機ですが、兵力差は依然として不利です」


 オットーが帳簿をめくった。


「いや。兵力差だけで決まるなら、最初から勝ち目はない。問題は、ヴェルナーの軍をどこで止めるかだ」


 地図に指を走らせた。中央街道の隘路。両側を崖に挟まれた細い道。ここなら八千の兵力差を相殺できる。正面の幅が狭いから、一度に接触する兵の数が限られる。


「リーゼロッテ。お前の隊は側面に回ってくれ。隘路を抜けた先の丘の裏に伏せて、ヴェルナーの軍が隘路に入り込んだところで横から叩く」


「分かった」


 リーゼロッテが頷いた。迷いがなかった。


「ただし、途中に村が一つある。ヴァルツの集落だ。今のところ帝国軍は通過しているだけだが、戦闘が始まれば巻き込まれる可能性がある」


「村は無視して進め」


 言った瞬間、リーゼロッテの目が動いた。だが口は開かなかった。


「予定通りの経路で丘の裏に入れ。時間通りに側面を突くことが最優先だ。村に寄れば半日遅れる。その半日で、隘路が抜かれる」


「……分かった」


 リーゼロッテの声が低かった。分かった、とは言った。だが琥珀色の目の奥で、何かが硬くなったのが見えた。


「ヘルムート。隘路の正面は俺とお前で受ける」


「承知」


 ヘルムートの一言は短かった。だが白髪の老兵が剣の柄に手を置いた動作に、迷いはなかった。


 天幕の外で角笛の音がした。哨戒隊の交代の合図だ。兵たちが動き始める気配がする。鉄の擦れる音、馬のいななき、低い号令。


 戦場の朝が来る。帳簿の数字がまた動く。カタリナの密書は懐の中で体温に温まっていて、リーゼロッテは天幕を出ていく背中に朝日を受けていた。


 赤毛が光った。振り返らなかった。


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