95 王妃の眠り
その翌日になっても、ユリアが目を覚ますことはなかった。
朝が来ても、彼女はただ静かに眠り続けていた。
それから一週間ほどが経ち、治療にあたった医官から、ようやく峠は越えたとの説明を受けた。
だが――目を覚ますかどうかは、もはや治療の範疇ではなく、本人の生命力次第だという。
――あの時、ユリアが意識を手放す直前。
私は「生きてほしい」と言った。
だが、ユリアは確かに……首を横に振った。
それほどまでに、彼女は追い詰められていたのだ。
ユリアが目を覚まさないのは、
もしかすると――
生きることそのものを、彼女自身が拒んでいるからなのかもしれない。
「陛下。準備が整いました」
部屋に入ってきたカリルが、静かに声をかけた。
「ああ……では、慎重に頼む」
カリルの背後で待機していた者たちに合図を出すと、数人の男たちがユリアを起こさぬよう細心の注意を払いながら、寝台ごと屋敷の外へ運び出した。
ユリアはそのまま馬車に乗せられ、王宮へと向かった。
本当は――ユリアが目を覚ますまで、この屋敷で看病するつもりだった。
だが、彼女をここまで追い詰めたこの屋敷に、これ以上留めておくことなど、エルフナルドには耐えられなかった。
――ここは、彼女が傷ついた場所だ。
峠を越えたと聞かされた時、エルフナルドはすでに決めていた。
あとは目覚めを待つしかないのなら――
ユリアを王宮へ迎えると。
すぐに対応できるよう、医官数名とクリックを王宮に常駐させたのも、そのためだった。
ユリアを元の自室へと運び終えた後、エルフナルドは部屋に残った医官に声をかけた。
「何か、ほんの些細なことでも構わない。ユリアの様子に変化があれば、すぐに私に知らせてくれ」
「かしこまりました」
エルフナルドはそれだけ言うと、静かに部屋を後にし、執務室へと向かった。
アリシアとセルビアには、カリルを通じてユリアの状態を伝えた。
報告を受けたアリシアは、その場に崩れ落ちるように涙を流したという。
一方、セルビアは報告を聞いても何も言わず、ただ静かに目を閉じたと、カリルは告げた。
午前の政務を終えたエルフナルドは、再びユリアの部屋へと足を運んだ。
仕事の合間ごとに様子を見に行くことが、いつしか日課になっていた。
「ユリアの様子に、変わりはないか?」
付き添っていた医官に問いかける。
「はい。特にお変わりなく……眠っていらっしゃいます」
「……そうか」
眠っている。
それだけの言葉が、今は救いだった。
コンコンッ
控えめなノックの音の後、カリルが扉を開けた。
「陛下。セルビア殿がお見えです。ユリア様のお見舞いをしたいとのことですが」
「ああ……通してくれ」
セルビアは部屋に入ると、まずエルフナルドに深く頭を下げ、それからユリアの元へと歩み寄った。
「ユリア様……」
今にも崩れそうな声で、セルビアが名を呼ぶ。
「セルビア……すまない。お前の言った通りだった。私は……ユリアのことを、何一つ分かっていなかった」
「私に謝る必要はありません。陛下は、ユリア様をお救いくださいました」
「……救ってなどいない」
エルフナルドは小さく首を振った。
「現に、ユリアは目を覚まさない。お前の忠告を受けた後、もっと早く迎えに行っていれば……こんなことにはならなかった」
悔しさを滲ませたその横顔に、セルビアは静かに首を振る。
「南の国で内乱が起きたと聞いております。陛下は王です。国を優先されるのは、当然のことです」
「……王妃一人、守れなくて……何が王だ……」
吐き出すようにそう呟き、エルフナルドは俯いた。
「ユリア様は……きっと目を覚まされます。どうか、信じましょう」
「……ああ。そうだな」
しばしの沈黙の後、エルフナルドはゆっくりと顔を上げ、セルビアを見た。
「セルビア……。お前は、いつからユリアの側に仕えていた?」
「ユリア様が戦に参加されるようになったのは五歳の頃でした。それから、ずっとお仕えしております」
「……そうか」
エルフナルドは小さく息を吸った。
「ユリアは……ユーハイムで、どのように過ごしていた? どんな暮らしをしていたのか……お前が知る範囲でいい。教えてくれないか」
そして、わずかに声を落とす。
「私は……ユリアが望まないと思い、過去のことも、力のことも、聞かずにいた。辛いことを思い出させたくなかったからだ。だが……本当は、聞くべきだったのかもしれない」
――そうだ。
私は、ただ怖かったのだ。
すべてを知ってしまえば、ユリアの過去ごと背負える自信がなかった。
彼女を支えられると胸を張って言える自分ではなかった。
だから聞かなかった。
ユリアのためだという言葉で、自分の弱さから目を逸らしていた。
自分の力が知られる恐れも顧みず、あの少年を救った彼女に比べて――
私は、あまりにも臆病だった。
セルビアは静かに語り始めた。
自分が見てきた、ユーハイム国でのユリアのことを。
エルフナルドはその話を聞きながら、終始、胸を締め付けられる思いで、ただ黙って耳を傾けていた。




