89 疑念の確信
「ユリア様!!」
別の日。
ユリアが王宮を後にし、屋敷へ戻るため正門で馬車に乗ろうとした時、背後から切迫した声がかけられた。
振り返ったユリアの視界に入ったのは、今しがた王宮へ帰還したばかりと思しき、馬上のセルビアの姿だった。
セルビアはユリアを見つけるなり、慌ただしく馬を降り、駆け寄って跪いた。
「ご無事で……本当に何よりです! ご帰還の報を受け取っていたにも関わらず、すぐにお顔を出せず、誠に申し訳ございませんでした!」
「顔を上げて、セルビア」
ユリアは穏やかに言い、セルビアを見下ろした。
「勝手に王宮を出たのは私よ。貴方が謝ることじゃないわ。むしろ、謝るべきは私の方。私が出ていってから、別の任務に就いていたと聞いたわ。私の護衛のために雇われていたのに……本当に、ごめんなさい」
セルビアは、ユリアが王宮を去った直後のことを思い出していた。
自分の責任だとエルフナルドに詫び、必死に捜索の許可を願い出た日々。
数十名の騎士を率いての捜索は、約三ヶ月にも及んだが、結局ユリアを見つけることはできなかった。
その最中に起きた街での暴動。
人手不足を補うため派遣され、そのまま現地任務に就くことになったのが、つい先日までの経緯だった。
「任務が終わり、ようやく王宮へ戻ることができました。ユリア様……本当に、大丈夫なのですか? あの日、私が――」
「セルビア」
ユリアはセルビアの言葉を遮るように名を呼び、真っ直ぐにその目を見つめた。
その視線には、懇願とも警告ともつかない、強い意思が宿っていた。
「……本当に、問題ないの。私は自分の意思で出て行ったの。貴方を……欺いてね。……今日はもう帰らなくちゃ」
――セルビア、お願い。
これ以上、何も言わないで。
貴方なら……伝わるはず。
「……はい。どうか、お気をつけて」
ユリアの視線の意味を察したのか、セルビアはそれ以上踏み込まず、深く頭を下げた。
――今の視線は……何だ?
誰かに、見張られている?
だとしたら……一体、誰に?
そして、ユリア様は“どこ”へ帰っていかれるというのだ……?
胸に焦りと不安を抱えたまま、セルビアは王宮へと足を向けた。
真っ先に向かうべき場所は、ただ一つだった。
コンコン
「セルビアです。ただいま帰還致しました」
「入れ」
返答を聞き、セルビアは執務室へ入室した。
「この度、任務完了につき、王宮へ帰還致しました」
「ご苦労だった。今後の任務だが――」
「陛下!!」
セルビアは、珍しく大きな声でエルフナルドの言葉を遮った。
その剣幕に、エルフナルドも、傍に控えていたカリルも思わずセルビアへ視線を向ける。
「先程、帰還の際にユリア様にお会いしました。……ユリア様は今、誰とお過ごしなのでしょうか?」
「……フレドリックだ」
エルフナルドは、静かに答えた。
「フレドリック様が……? なぜですか? ユリア様は王宮に戻られたのでは? 一体、何が……」
「お前には任務に集中してもらう必要があったため、詳しくは伝えていなかったが……ユリアは自ら王宮を出たと言っていた。行く当てもなく体調を崩していたところを、フレドリックに救われたと。そして今は、フレドリックを慕っているから、私とは離縁したいと……そう申し出てきた」
「そんな……。フレドリック様を慕っていると、ユリア様ご自身が……?」
セルビアは、信じられないという表情で問い返した。
「そうだ」
「……それを、陛下は……信じられたのですか?」
その言葉に、エルフナルドの声色が低くなった。
「……何が言いたい?」
「今日、私が拝見したユリア様は……何も聞いてほしくない、何も察してほしくない、そんな口ぶりでした。そして……視線も。あれは、誰かに見張られているとしか思えません」
セルビアは一歩踏み込み、続けた。
「ユリア様が帰る先がフレドリック様の屋敷だとするなら……見張っているのは、フレドリック様ということになります。あのお二人が、恋人のような関係になるなど……私には、どうしても信じられません」
「……」
「ユリア様が、自ら“慕っている”と言ったからといって、それが本心だと……陛下は、本当にそうお思いなのですか? ユリア様と共に過ごしてこられた日々の中で感じたことこそが、真実ではないのですか!!」
セルビアの必死な訴えに、エルフナルドの脳裏に、数々の記憶が蘇った。
――舞踏会で手を取った時の微笑み。
ルトアで迎えた最後の夜。
市場で買った、あのブレスレット。
自分の瞳の色をした石を、嬉しそうに見つめていたユリア……。
エルフナルドは目を閉じ、額に手を当てた。
自分は、ユリアに「好きだ」「愛している」と……一度でも、はっきりと伝えただろうか。
能力が子に影響しないかと怯えながらも、それでも自分との子を望んだユリアに、何と答えただろうか。
望んでいる、と口にしただけで……それ以上、何も与えなかった。
拒んでしまった日々。
そして、傷ついたはずのユリアの言葉を、都合よく信じてしまった自分。
――私の、臆病さと……自尊心のせいだ。
エルフナルドは、ゆっくりと顔を上げ、セルビアを真っ直ぐ見た。
「……セルビア。すまなかった。お前のおかげで……気付くことができた」
そして、はっきりと告げた。
「ユリアを……迎えに行こう」
「……ありがとうございます。陛下」
セルビアは、安堵したように息を吐き、深く頭を下げて部屋を後にした。
エルフナルドは立ち上がり、ユリアの元へ向かおうと執務室を出た、その時――
「陛下! 大変です!」
一人の騎士が駆け寄ってきた。
「南の村で内乱が発生しました。負傷者も多数出ております」
「何だと……?」
「陛下。あの村はヤレン国との国境沿いです。早急に鎮圧しなければ、攻め入られる危険があります」
カリルの言葉に、エルフナルドは歯を食いしばった。
「……分かっている。先に、こちらを対処しよう……」
エルフナルドは、ユリアの元へ向かおうとしていた足を、無理やり止めた。
胸の奥がざわつき、視界の片隅に影が揺れるような気がした。
遠く、誰かの悲鳴が響く未来が――
それが、彼女の声でないことを、祈りながら。




