82 解放と束縛
そんな生活がしばらく続いた頃、フレドリックは先王に呼び出された。
「お呼びですか、先王陛下」
フレドリックは、王の前に進み出ると静かに跪いた。
「お前は――あの女を、本気で孕ませる気はあるのか?」
先王は、低く抑えた声の奥に苛立ちを滲ませながら問いかけた。
「何をおっしゃっているのですか? 僕は毎日、あの女に子種を注いでおります。それでも身籠らぬのは、あの女が悪いのです!!」
フレドリックは、感情を抑えきれず声を荒げた。
「……お前は、何も分かっておらん」
先王は、冷たい視線でフレドリックを見下ろした。
「先日、あの女の姿を見てきたが……ひどく痩せておった。あれでは子はできん。医官でなくとも、この私にでも分かるわ。お前は、一体何をしている?」
苛立ちを含んだ声が、重く室内に落ちる。
その時、控えていた医官が一歩前に進み出て、深く頭を下げた。
「失礼ながら……私からも申し上げます。ユリア様のご様子ですが、初めの頃と比べ、著しく衰弱されております。先王陛下のお言葉の通り……今の状態では、妊娠は難しいかと……」
「――それは、僕が悪いと言っているのか?」
フレドリックは、医官を睨みつけた。
「……いえ、そのような意味では……。ただ、子を身籠り、出産に至るには、心身ともに健康であることが不可欠です」
医官は、言葉を選びながら慎重に続けた。
「……それで?」
フレドリックは怒りを滲ませたまま、先を促した。
「はい。ユリア様は、長く同じ部屋に閉じ込められていると伺っております。少し……自由をお与えになった方がよろしいかと。精神面が安定すれば、食事も自然と摂れるようになるかと思われます」
その言葉を聞いていた先王は、しばらく黙り込み、顎に手を当てた。
「……なるほどな」
やがて、ゆっくりと口を開く。
「致し方あるまい。やり方を変えよう。私に、いい案がある」
翌朝、先王はユリアが軟禁されている部屋を訪れた。
扉が開く音に、ユリアは反射的に顔を上げる。
そこに立っていた人物を見て、僅かに目を見開いた。
「久しぶりだな。……少し見ぬうちに、随分と痩せたものだ」
「……」
ユリアは何も答えず、ただ虚ろな目で先王を見上げた。
「お前、このまま子も身籠らず……いずれ死ぬつもりではあるまいな?」
その言葉に、ユリアの胸が小さく跳ねた。
――ばれて、いる……。
この地獄のような日々の中で、ユリアは考えていた。
自分が死ねば、この力も、争いも、すべて終わるのではないかと。
何度も終わり方を考えた。
だが、この部屋には何もない。
だから――食べなかった。眠らなかった。
それだけが、唯一自分で選べることだった。
このまま消えられるのではないかと――
それだけを、考えていた。
「お前が死ぬことを……この私が許すとでも思ったか?」
「……」
先王は、冷酷な眼差しでユリアを睨みつけた。
ユリアは、その視線から目を逸らすことができなかった。
次の瞬間、先王は歩み寄り、ユリアの肩に手を置いた。
びくりと、ユリアの身体が強張る。
「お前に死なれては困るのだ。……私には、お前が必要なのだから」
急に浮かべられた穏やかな笑みが、かえって不気味だった。
肩を掴まれた部分に、思わず力が入る。
「そこでだ。お前を、ここから解放してやろうと思っている。子さえ産んでくれれば……前のように、自由に過ごして構わん」
「……そ、それは……どういう意味でございますか……」
ユリアは、かすれた声を必死に絞り出した。
「王宮で過ごしてよいと言っている。エルフナルドの元に戻ることは許さぬが、元の環境で過ごせば、少しは落ち着くであろう」
――王宮に……帰る……?
エルフナルド様の、いらっしゃる王宮へ……?
一瞬だけ、胸の奥で何かが揺れた。
懐かしい回廊、静かな庭、そして――
優しく名を呼ぶ声。
けれど、それはすぐに打ち消された。
手紙一枚を残したまま、何の説明もせず去ってしまった自分が、今さら、どんな顔をして戻れるというのか。
「……結構です。私は、この部屋の中だけで――十分です」
「……まだ分からぬか?」
先王の声が、鋭く遮った。
「お前に、子を産まぬという選択肢はない!! だからこそ、少しでも健康を優先してやろうと言っているのだ。何度言わせれば理解する?」
「……分かり、ました……」
ユリアは、俯いたままそう答えた。
その言葉は、了承ではなく――
完全な、降伏だった。




