101 静かな眠り
エルフナルドが部屋を出て行ってしばらくしてから、ユリアはゆっくりと目を覚ました。
まぶたを開いた瞬間、いつものような重苦しさや息苦しさがないことに気付き、ユリアは小さく瞬きをする。
――今日は……何だか……。
久しぶりに……ちゃんと眠れた気がするわ……。
夢を見ていた気はする。
けれど、あの悪夢に引きずり込まれることもなく、途中で何度も目を覚ますこともなかった。
胸の奥に残るのは、不思議なほどの静けさだった。
ユリアは天井を見つめながら、ゆっくりと息を吐いた。
コンコンッ
部屋の扉がノックされ、続いて静かに扉が開く。
入ってきたのはアリシアだった。
「おはようございます。ユリア様。……今日は、少し顔色が良いようですね。眠れましたか?」
アリシアはユリアの表情を一目見ると、ほっとしたように微笑んだ。
「ええ。不思議ね……。今日はしっかり眠れた気がするの。どうしてかしら……」
「それは良かったです」
アリシアは心から安堵したように、胸に手を当てた。
「ユリア様、では今日のご予定はいかがなさいますか?」
「そうね……。今日は、薬事室で薬を煎じてみようと思っているの」
「分かりました。では、朝食が終わりましたら、一緒に参りましょう」
朝食を終えた後、ユリアはアリシアに付き添われ、薬事室へと向かった。
途中で何度も休憩を挟みながらではあったが、その日はほとんどの時間を薬事室で過ごした。
震える手で薬草を選び、火加減に気を配りながら、少しずつ煎じていく。
細かな作業は思うようにいかず、指先に力が入らないもどかしさに、何度も息を詰めた。
――それでも……何もしないよりは、ずっといい。
集中している間だけは、余計なことを考えずにいられた。
それだけで、心が少し軽くなる気がした。
その日の夜、ユリアの部屋をエルフナルドが訪ねてきた。
「エルフナルド様、ご公務ご苦労さまでございます」
ユリアがそう声をかけると、エルフナルドは部屋に入るなり、少し呆れたように言った。
「ああ。……お前は今日、一日中薬事室に籠もっていたそうだな。昨日の私の話は、ちゃんと聞いていたのか?」
「も、申し訳ありません……」
ユリアは少し肩をすくめ、困ったように続けた。
「昨日は久しぶりによく眠れたものですから……つい、調子に乗ってしまって……」
「お前は本当に……」
エルフナルドは言いかけて、ふっと息を吐いた。
「……まあ、よく眠れたのなら、それでいい」
そう言って、ほんのわずかにユリアに微笑みかける。
「あの……今日は、久しぶりに薬草を煎じてみたんです。まだ細かい作業は難しいですが……訓練のおかげもあってか、手は前よりずっと動くようになってきています」
ユリアはそう言いながら、左手を少しだけ動かしてみせた。
「それは良かったな」
エルフナルドは静かに頷く。
「だが……ほどほどにしろ。無理をして、また眠れなくなっては意味がない」
「……はい。気をつけます」
「では、今日はゆっくり休め」
それだけ言うと、エルフナルドは部屋を後にした。
ユリアが眠りについた深夜、エルフナルドは昨日と同様、ユリアの様子を見に部屋を訪れた。
忍び足で扉を開け、音を立てないように中へ入る。
ベッドに近付くと、昨日と同じく、ユリアは苦しそうな表情を浮かべながら眠っていた。
眉は寄せられ、浅い呼吸が規則なく続いている。
「毎晩……悪夢を見ているのか……」
低く呟いた声には、苛立ちよりも自責の色が滲んでいた。
エルフナルドはユリアを起こさぬよう、そっとベッドに腰掛けると、背に手を伸ばし、優しく撫でる。
昨日はそれだけで次第に落ち着いたのだが、今日は違った。
ユリアの身体は小刻みに震え、呼吸も浅いままだ。
「……」
エルフナルドは一瞬ためらったが、意を決したようにもう一歩距離を詰め、自身もベッドに横になる。
おそるおそる腕を回し、ユリアを抱き締めた。
しばらくの間、ユリアの身体は強張ったままだったが、やがて震えが徐々に収まっていく。
エルフナルドは安堵の息を漏らしながらも、そのまま背を撫で続けた。
それからも、エルフナルドは毎晩ユリアの部屋を訪れた。
明け方近くまでユリアを抱き締め、震えが止まらない日は、眠りが深くなるまで背を撫で続けた。
その夜を境に、ユリアの眠りは少しずつ穏やかなものへと変わっていった。
エルフナルドが夜中、ユリアの元で過ごしていることは、アリシアやカリルは薄々気付いていた。
だが、ユリアには決して知らせないようにと、固く口止めされていた。
――それから、二週間ほどが過ぎたある日。
この日もユリアは、庭園へ向かうため車椅子に乗っていた。
「アリシア、今日は自分で車椅子を押して庭園に行こうと思うの。いつも押してもらっているけれど、左手もだいぶ動くようになったから……今日は自分で頑張ってみたいの」
ちょうど部屋に入ってきたアリシアに、ユリアはそう切り出した。
「最近は顔色も良くなってきましたものね。分かりました。では私は後ろから見守らせていただきますね」
「時間がかかると思うから、後で庭園に来てくれればいいわ。アリシアも他にお仕事があるでしょう?」
「そうですか……。ではお言葉に甘えて。後ほどティーセットを持って参りますね!」
ユリアはまだ震える手に力を込め、懸命に車椅子を漕いだ。
「……ふぅ……」
ようやく庭園に辿り着くと、先に来ていたクリックがユリアに気付き、歩み寄ってくる。
「ユリア様、こんにちは。今日はお一人でいらしたのですか?」
「はい。最近よく眠れていますし、訓練も順調なんです」
額の汗を拭いながら、ユリアは誇らしげに笑った。
「睡眠薬に頼らず眠れているのは、とても良いことでございますね」
「ええ。この調子で、薬草もどんどん煎じていこうかと」
「それでしたら……本日は、こちらなどいかがでしょうか」
話していると、後ろからアリシアが声をかけてきた。
「クリック様、こんにちは。ユリア様、お待たせいたしました。庭園までの道のりはいかがでしたか?」
「思ったより手が疲れてしまって……時間はかかったけれど、何とか来られたわ。もう少し体力をつけないとね」
ユリアはそう言って、両腕を軽く振ってみせる。
「まだ訓練を始めて一ヶ月半ほどです。ここまで回復されるのは驚異的ですよ。筋力や体力の回復には時間がかかりますから、焦らずゆっくりいきましょう」
「……そうね」
ユリアは苦笑いし、ほんの少し眉をひそめた。
先日は更新できず申し訳ありません。
本日よりまたよろしくお願いいたします。




