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99 生きるということ

 次の日、ユリアは朝から医官の診察を受け、壊死しかけた手足の状態について、詳しい説明を受けた。

 血流の低下、神経の損傷、回復の見込み――淡々と告げられる言葉の一つ一つが、ユリアの胸に重く沈んでいく。

 だが説明を受ける前から、ユリア自身も、自分の手足の異変には薄々気付いていた。

 むしろ、切断せずに済んだこと自体が奇跡だと思ったほどだった。

 それほどまでに、あの毒薬は強力だった。

 自分の知識と力を注ぎ込み、確実に命を奪うため作り上げた毒。

 それを自分自身に使ったのだから、助かる道理などないと――そう信じ切っていた。

 だからこそ、こうして命を繋ぎ止められた事実が、素直に喜びにはならなかった。

 医官達がどれほどの時間と労力をかけ、必死に処置を施してくれたのかを思うと、胸の奥が締め付けられるように苦しくなった。

 

 ――自分がしてしまった事の重大さは、理解していた。

 それ故に、自らも命を落とすと決めた。

 罪からも、恐怖からも、力からも――何もかもから解放されたかったから……。

 まさか、自分が生き残ってしまう道など、考えたこともなかった。

 改めて「今、生きている」という事実を突き付けられ、ユリアの胸に広がったのは、安堵ではなく深い絶望だった。


 医官達が説明を終え、静かに部屋を後にすると、重たい沈黙だけが残った。

 ユリアはゆっくりと、自身の手を持ち上げて眺めた。


 変色した皮膚。

 生きているはずなのに、どこか死に近い色を帯びた手。


 しばらくして、ユリアは自分の左手に、右手をかざした。

 意識を集中させ、かつて幾度となく人を癒してきた感覚を思い出しながら、力を込める。

 だが、どれほど願っても、どれほど集中しても、赤黒く変色した肌が元に戻ることはなかった。


 ユリアは静かに息を吐き、ベッド横のテーブルに視線を移した。

 そこに置かれていたボールペンに手を伸ばし、迷うことなく、左手の皮膚に深く押し当てた。


 ぷつり、と鈍い感触と共に血が滲み出した。

 だが、思ったほどの痛みはなかった。


 ――痛みすら遅れている。

 麻痺が残っているせいなのだろう――そう理解すると同時に、胸の奥が冷えていく。


 ユリアはもう一度、左手に右手をかざし、力を込めた。

 すると、先程まで確かにあった傷口が、まるで最初から存在しなかったかのように、綺麗にふさがっていった。


 ――やはり……。

 傷を負った直後なら、力は働く。

 けれど、時間が経った傷には……作用しないんだわ……。


 自分の手足に起きている壊死は、すでに「過去の傷」なのだ。

 いくら力を使おうとも、元には戻らない。


 ――ならば……私の手足を、この力で治すことは……できない……。


 ユリアは小さく、かすれたため息をついた。

 手足が壊死しかけているにも関わらず、自分の力だけが、こうして残っていることが、どうしようもなく残酷に思えた。


 同時に――

 その力をもってしても、自分自身の体を救えないという現実が、深く心を打ちのめした。


 ――これでは……今まで以上に、この国のお荷物でしかないわ……。

 一体、私はどうしたらいいの……。

 こんな手足で……自分に、何ができるというの……。


 答えのない問いが、頭の中を何度も巡った。


 その日の晩、エルフナルドがユリアの部屋を訪ねてきた。

 ユリアは朝の医官の診察結果を、包み隠すことなく伝えた。

 エルフナルドは、特に口を挟むこともなく、ただ静かにユリアの話を聞いていた。

 その表情から、すでにおおよその内容は把握していたのだろうと、ユリアは悟った。


「この部屋は、以前と同じように使ってくれて構わない。訓練で必要な物や人材がいれば、全てこちらで手配しよう。急がず……ゆっくりやればよい」


 エルフナルドは真っ直ぐにユリアを見つめ、迷いのない声音でそう言った。


「陛下……。昨日も申し上げましたが……私は王弟に手をかけた罪人です……。そのような者が王宮に留まることなど、許されるはずがありません。お心遣いは大変ありがたいですが……それでは、陛下の評判が――」


 言葉を選びながらも、ユリアの声は次第に弱くなっていった。


「誰が何と言おうとも、お前を罪に問うことはない」


 エルフナルドは、即座にそう断じた。


「何度も言うが、罪を償うべきは私だ。お願いだ、ユリア。この王宮で……私の側で……療養してくれ」


 一瞬、言葉に詰まったように視線を伏せ、エルフナルドは続けた。


「私がお前に出来ることは、お前に最善の環境と、最善の医官達を付けてやる事しか出来ないのだ……」


 その表情は、国王としてではなく、一人の男としての苦悩に満ちていた。


「……」


 エルフナルドのあまりにも辛そうな顔を見て、ユリアはそれ以上、何も言えなくなった。

 しばらく沈黙した後、ユリアは小さく、しかし確かに――首を縦に振った。

 

 次の日の朝、部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 ユリアが返事をすると、静かに扉が開き、アリシアが部屋へ入ってきた。


「ユリア様、おはようございます。体調はいかがですか?」

「おはよう、アリシア。左手と両足は、相変わらずあまり動かないけれど……他は何にも問題ないわ」


 そう言ってユリアは、右手で自分の両足をゆっくりと撫でた。

 その仕草に、アリシアは一瞬言葉を失い、わずかに寂しそうな表情を浮かべる。


「昨晩、陛下とお話をして……とりあえず、少しでも動けるように訓練をしようと思うの。陛下が手配をしてくださって、今日の午後から訓練のために医官の方に見ていただくことになったのよ」


 ユリアは一晩中考え続け、ようやく決めたのだ。

 この王宮で世話になりながら、まずは“自分の身体を取り戻す”ことから始めようと。


 ――自分の罪を償うにも、まずは動けなければならない。

 何も出来ないままでは、何一つ始められない。


 その先に何をすべきかは、動けるようになってから考えればいい。

 今はただ、前に進むための準備をするだけだ。


「アリシアにも、たくさん迷惑をかけると思うけれど……頑張るからね」


 そう言ってユリアは、少しぎこちなく動く右手で、精一杯の力こぶを作ってみせた。


「……迷惑だなんて、とんでもございません」


 アリシアは首を振り、はっきりと言った。


「陛下からも、ユリア様にお仕えするよう命を受けております。それに……私自身が、どうしてもユリア様のお手伝いをさせていただきたく、お願いしたのです」


 ユリアは一瞬だけ目を伏せ、それから小さく微笑んだ。

 

「……ありがとう、アリシア」


 ユリアがエルフナルドと離縁し王宮を離れてから、ユリア付きの侍女だったアリシアは、通常の王宮侍女として働いていた。


 ――皆が、私のために動いてくれている。

 だからこそ……私も、応えなければ、いけない……。

第8章お読みいただきありがとうございました。

明日より第9章となります。

お読みいただけると嬉しいです。

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