243 復讐の女神(1/2)
騎士が真っ向から、こちら側に剣を突きつけてくる。姿は見えねど、そこにいるのは分かっているのだと言わんばかりに。
「風の魔術師だな? そこで何をしている!? 隠れていないで出てこい!」
交戦自体は望むところだ。騎士をひねり潰すのは造作もない。相手はたったの四人。制圧には一呼吸の間もかからない。
しかし今夜のディオールはあくまで王子の護衛として付き従っている。どうするつもりかと問うつもりで軽く気配を探ると、ふいに王子が口をきいた。
「歌の邪魔をしないでくれる? まだ歌い足りないんだ」
思いも寄らぬ発言に、ディオールはあっけに取られた。
「もっと歌わせてよ」
何が言いたい?
歌う女になりすまそうとした?
性別も声もまるで違うのに、苦しすぎる。
「お前が歌の化け物か!?」
ところが目の前の騎士はあっさりと騙され、虚勢の見え隠れする怯えた声音で怒鳴り返してきた。その誰何の返事ひとつで、この男は歌声の正体について何も知らないばかりか、魔術の素養に欠け、訳も分からず異変に突っ込んできている、ということまで瞬時に察せられた。
うまく引っかけたものだと遅れて感心する。
「【跪け、騎士ども】」
それは王子からの、魔術言語で魔法を使うと見せかけた、ディオールへの命令だった。
気配を殺し、正体を隠したまま、魔法を操り、騎士を這いつくばらせる。詠唱は風の魔法使いが消し去った。不意をつくことができるのなら、数秒で意識を絶てる。彼らは基本的に無意識下の魔力のコントロールで身体能力の底上げを行っているため、想定していない事態に対応できるかどうかも本人の先天的な能力によることが多い。
三人の騎士は、為す術もなく死体のように寝転がり、次々と気を失っていった。
自分たちにニールダウンを強いる力の正体が、単なる重力方向への引力強化であると瞬時に察することができればまだ対抗もできただろうが、魔術の知識がない騎士たちにそこまでの応用は難しかったようだ。本能的に引っ張られていると理解して反対方向へ魔力を流し、体勢を立て直せたのはひとりだけだった。しかし、勘を頼りに天性の恵まれた肉体で魔力を操る騎士が、綱引きの方向を縦横無尽に変更できるディオールと争っても、勝算はない。
膝をつきつつ、意外に粘る最後のひとりに、呪文を追加する。
「【落ちろ】」
呪文は速やかに作用し、騎士を完全に沈黙させた。
再び静寂を取り戻した墓場に、女の歌声だけが取り残される。
すでに、風使いでないディオールの耳でも直接聞き取れるほどの距離に迫っていた。
高く、低く、響く歌に耳を澄ます。
やはり、ドワーフ語だ。
はっきりと意味が取れるわけではないが、ベーシックな単語が、韻律に従って並べられている。
『生命』、『道具』、『作る』、『生み出す』――
といったような言葉だ。
ドワーフは種族全体が巧みな工匠だから、生活に根ざした労働歌を歌うこと自体に不思議はない。ただ、ここが鉱山などであるならばともかく、墓場で歌う歌としては、いかにも奇妙であるように思われた。
墓場で流れる悲しい女の歌は、魂の慰撫、安息、死者への祈り――そういった類いのものであるべきだろう。
――何の歌だ……?
慣れない風の魔術を使い、音を分析してみる。肉声にしては、どこか不自然なざらつきがあるようにも思う。魔術の一種だろうか。
魔術師は戦場で、その場を支配するルールが何であるのかを見極めることに全神経を注ぐ。見落とせばこの騎士たちのように、地べたに転がされて敗北するからだ。
ざっと分析したところ、この歌に魔術的な強制力はない。あったとしても、こちらに影響を及ぼすものではない。しかし、これが無害な歌だとはどうしても思えなかった。深夜に墓場で歌って、注目を集めるリスクに見合わない。おそらく、歌わなければならない理由があるはずだ。
――一体何が目的なんだ……?
じりじりと距離を詰めながら思案するディオールの視界の先で、突如として炎がぱっと火の粉を舞い上げた。何者かが魔術を使ったのだと、魔力のうねりから推察した。小さな火の魔法が燃えやすい何かを勢いよく燃やし尽くしたのだ。
火は小山に燃え移り、派手な炎を吹き上げ、すぐに燃え尽きた。
「……交戦してる?」
「そのようです。どうしますか?」
炎はさざ波のように山を走り抜け、表面を一瞬だけ明るく染め上げていく。何が燃えている? 布のようなものだ。やけに燃える速度が速い。自然現象ではあり得ない。しかし、あれに何の意味があるのだろう?
「少し見えたね。かなり近い。声を大きくしたら、普通に聞かれそうだ」
「引き返しますか?」
「ここまで来たのに? 見つかったらその場で解散して逃げよう」
「逃げ遅れても助けませんが」
「それはこっちの台詞かな。私には助けを期待しないで。君を盾にして逃げるつもりだから。君たちも、私を助けようとは思わなくていいよ。勝手に逃げてくれて構わない。逃げ出す手段は自分で用意しているから」
言う間に、炎が遠くの土手を舐め尽くしていった。
燃えかすのような布がまくれて、隠されていたものが露わになる。
掘り返された土手はほとんどが闇に沈んでおり、見分けることができない。かといって明かりをつけるわけにもいかなかった。また騎士に見つかって、囲まれかねない。分析対象が女の歌声、炎、暗闇への索敵と、複数にわたる今、騎士が増えれば増えるだけ厄介だ。
やがて赤い光があちこちで一斉に灯った。土手が一面、明かりで埋め尽くされる。その様はまるで、地上が赤い星の海に変わったかのようだった。
見覚えがある光だ。岩に取り憑き、疑似生命としてゴーレムを動かす『理性』の輝きが脳裏によぎったその瞬間に、目の前に音もなく迫っていた黒い塊を、氷漬けにしていた。
凍結された氷の中央に、赤い光が見える。
そこを中心に、魔獣の頭蓋骨や骨がでたらめに寄り集まっているのが見えた。
「……これは何? 公爵」
「山から持ち帰ったゴーレムのコア……の、ような何かです」
「何? その『ような』って。研究者って変なところで正確性に拘るね……まあいいや、報告は読んだよ。『ティアマトの血』……だったっけ」
「はい」
「じゃあ、あれもそう?」
氷漬けのはるか後ろで、赤い星の海がゆらゆらと揺れている。わずかな光源の照り返しで、魔獣のパーツの寄せ集めが蠢いているのが見えた。
ディオールはとっさに結界を確かめた。墓場をぐるりと囲む魔獣避けの結界は市街壁に使われているものと同じで、問題なく動作している。ここを乗り越えて魔獣が入り込んできたとは考えにくい。であれば、あれは墓から起き上がったものの集合体だとみるべきだろう。
「おそらく」
「危ないかな?」
「まず仕組みが不明です。破壊の条件もはっきりしません。長居は危険かと」
戦闘では、仕組みが分からない、というのが一番持て余すのだ。
見守る間にも、騎士達が闇に乗じてゴーレムを破壊しにかかっているのが、わずかな光源から読み取れた。しかしそれも暗闇でほとんど見えない上に、魔術阻害が解けたからか、魔力の対流も激しく、そちらからも動向を読み取りにくい。
「仕方がないね。帰ろう――」
そのとき、夜空に光が閃いた。
真っ白な稲妻が、不自然なほどの直線を描いて墓地の直上に降り注ぐ。
結界が雷の直撃を受けたのかと早合点しかけたが、雷鳴を伴わない直線光の一閃、二閃が何度も続くのを見ているうちに、鳥肌が立った。あんなもの、断じて雷ではない。
雷が『神の怒り』にしばしば喩えられるのは、誅戮に用いられる魔力の一撃が、雷によく似ていたからだ、と言われている。
ディオールが目にしている光は、指向性を持たされた巨大な魔力の束だった。
四度目で、結界は跡形もなく消失した。
内側に押し込められるような息苦しい圧力がふいに消え、澱んだ魔力がさあっと外に流れていくのが感じられた。
そしてはるかな上空から、天使の翼に似た白い魔力を大量にまき散らしながら、何かが下降してきた。それは神々を含めた上位存在が、人間のいる世界に降り立つときに固有の魔法現象だということは、魔術を習う人間なら誰もが知っている。
――何が起きている……!?
考える材料が余りに乏しい。そして、深く考察する暇もなかった。
巨大な魔力の中心に、女性の形をした何かがいた。




