242 おじさん同士のランブル戦(4/4)
◇◇◇
その歌声は、騎士団長のル=シッドの耳にも届いた。
およそ墓場に似つかわしくない、甘く哀切な色を帯びた女の歌声だ。騎士たちの間に動揺が走った。歌う化け物の噂はこの数日で尾ひれがつき、魔獣と番った女の怪談が無から発生してまことしやかに囁かれるほど、騎士たちに恐れられていた。現に化け物は正体すら掴ませず、精鋭を次々と打ち破っているのだ。
斥候も凍り付いていて動けないようだが、叩き上げの騎士であるル=シッドにとっては索敵くらい何ほどのことはない。動物的な聴覚の冴えは墓場独特のよどんだ魔力のせいで鈍っているが、軽く左右に頭を傾けると、どうにか方角は探り当てられた。
「誰かいるな。単独だ。魔術阻害をかけろ。全力でいけ」
「すべての魔法が出なくなりますよ。剣技も」
「問題ない」
騎士団のシンボルマークは伝統的に双剣であるらしい。騎士団長に代々受け継がれる二振りの握りに、手のひらを置いた。どちらも稀な名剣だ。互いの妖術奇術、魔術や魔道具の類いをすべて封じたあとの泥仕合でこそ最も真価を発揮する。
鼓舞する言葉をかけると、騎士たちは足音を絶って散開した。
女の歌は続いている。
現実味のない光景だった。
月の光はほとんど陰っていて届かず、星々が雲で覆われている。魔術阻害が展開され、明かりを落とした今、あたりは手元も覚束ないほどの闇夜だった。
美しい女の声だけが、誘蛾灯のように騎士たちを惹きつける。
気配を捉えた。二足歩行で大股に跳ぶ――男だ。ぐるりと取り巻く騎士たちには目もくれず、警告なしでいきなりル=シッドに斬りかかってきた。
骨まで軋むような重い一撃が右腕を襲った。強く地面を踏みしめ、双剣の片方で辛くも受け止めた後、もう片方で正確に相手方に打ち返す。
相手は引き下がっていなすと、間合いを取っていた騎士たちに襲いかかり、一刀のもとに倒して、さらに引き下がった。その間にも騎士たちが阿吽の呼吸で包囲し、打ちかかるが、的確に急所を突かれて立ち上がれないほどの重傷を負わされ、あえなくほとんどが沈んでいった。報告には聞いていたが予想以上に強い。血が沸き立つような興奮に任せてル=シッドも追撃を開始する。双剣での斬撃はことごとくが片腕では担いきれぬほどの強打によって弾かれた。強いが、太刀筋はそれほど鋭くない。身を守る動きに特化しすぎているようにも感じる。
とはいえ、体格に恵まれたル=シッドと打ち合っても遜色ない膂力の男と出会うのは久しぶりである。何者だろうか。是非とも捕まえて正体を暴いてみたい。
「お前が歌う化け物だな? なぜ墓を掘っている?」
答えはなかった。相手の姿は朧だが歌声が居場所を知らせてくれる。剣の重さといい、打ち合ったときの体格といい、色気のある女の声が出るとは思えない相手だが、悲しい歌は変わらず流れていた。
「いい歌だな」
何気なく口にした感想だったが、相手の男がそれで少しだけ呼吸を緩めたのが感じ取れた。
沈黙の間に流れる女の歌声が少しずつ間延びしていく。余韻を残して音が消えていくのが、命をかけたやり取りでたぎる脳にはことのほか遅く感じられ――フッと音が消えたその瞬間を狙い澄まし、男に再び斬りかかった。
賊は今度は切り結ぼうとしなかった。軽く流して、どんどん後退していく。舞踏のリードめいた明らかな誘いに強烈な悪意を感じたのはなぜだろう。
間合いからあえて少し足を踏み外し、剣を退いたその瞬間、歌う化け物は全速力で真後ろに走り出した。
「逃がすかっ!」
賊が大きな魔術を使おうとして、しくじった。魔術阻害に押し負け、生み出された火炎はごく小さなさざ波となって足元の地面を濡れたように光らせただけだった――が、その火がいきなり、すぐ隣の小山に燃え移った。
炎が吹き荒れ、わずかに周辺を照らし出す。何かが燃えていた。山に覆い被せてあった布のようなものが、オレンジの光に照らし出されて、一瞬だけ見えた。さざ波のように表面に炎が広がり、山全体を走り抜けていく。
べろり、と、炎によって引きちぎられた幕が剥がれ落ち、その下にあったもの――故意に隠されていた、魔獣の死骸の山が、炎の中に浮かび上がった。
この男が掘り返したのだろうか。おびただしい量の骨、腐りかけた四肢、爪、牙、土にまみれた毛皮などが、悪夢のように折り重なり合い、無造作に積み上げられている。
「墓を掘り返して、何をしていた?」
答えはなかったが、魔獣の死骸は、一斉におどろおどろしい魔力の燐光を放った。赤くぬめるような、血を思わせる不気味な光。
ぎょっとして剣技の構えを取る。魔術阻害はきちんと作動しているが、賊に倒された術者が少々多すぎた。威力を大幅に減じられながらも、ル=シッドが放った裂帛の気合いは、衝撃波となって相当な範囲の魔獣の死骸を切り裂いた。
吹き飛び、地面に転がる、かつて魔獣だった死骸たちは――
瞬く間に寄り集まって、不気味な集合体になった。骨と皮で作る生物の模倣品は、ゾンビと呼ぶのが相応しい見た目をしている。
「死霊術か……!? おのれ、妙な真似を……!」
ゾンビに囲まれたル=シッドは、音もなく闇夜に紛れて遠ざかっていく気配に苛立ちつつ、部下に怒号を飛ばす。
「魔術阻害を解け! 突破する!」
大声に反応したのか、おぞましく冷たい質感の、殺気にも似た魔力が一斉にル=シッドへと向けられる。不気味な赤光を放つ死骸の群れが、雪崩を打って飛びかかってきた。
◇◇◇
ディオールは遠くから聞こえてくる女の歌声と、大気にまじる澱んだ魔力と、両方に神経を尖らせていた。魔術戦はルールの把握がもっとも肝要だ。周囲にかかっている魔術が何なのか、その場を支配する力はどこから出ているか、速やかに読み取らなければならない。
女の歌には犬笛の効果があったらしい。声のする辺りに進むにつれ、魔力の流れに乗って、人の気配がかすかに感じ取れるようになってきた。しかしそれも、風のそよぎに紛れる程度の、微弱な変化だ。正確にどんな人間がどれほど集まっているのかを判断できるほどではない。
墓所を哨戒する騎士たちは確実に音の発信地へと向かっている。しかし、十分に警戒し、気配を絶っているようだった。いったい何故だろう? 何か敵対性の襲撃があることを見越していたのか、あるいは自分たちの侵入がすでに知れ渡っているのか。読み取るにはもう少し広範囲に索敵用の魔術を使用して、魔力の流れを読む必要があるが、かなり大がかりな魔術になる上、逆に探知される恐れもある。連れてきた索敵用の風魔法使いにはある程度信頼が置けるが、秀でた武芸者揃いの騎士相手にどこまで通用するかは未知数だ。
「……止まれ!」
だからこうして、いつの間にか取り囲まれていたとしても、ディオールに驚きはなかった。




