銀髪の男 1
ようやくヒーローが登場します……。
いくら温かい時期と言えど、夜も更けると肌寒くなってくる。
薄手のワンピースに上着を羽織っただけのマリーヒェンは、行く当てもなく王都をさまよっていた。
(行く当ても、頼れる人もいないわ……)
自身の腕をさすりつつ、マリーヒェンは薄暗い空を見上げる。
舞踏会のあと、クラウヴェル公爵邸に戻ると、執事に両親からの伝言をもらった。
彼らはヘンリクの告げた通り、マリーヒェンを勘当すると。
執事は小さなバッグを一つ渡し、今から一時間以内に荷造りをするようにと言った。
私室として使っていた部屋に案内され、執事と侍女の見張りを受けて荷造りをする。あらかじめ部屋からは宝飾品やドレスの類はなくなっていた。大方、親不孝な娘には高価な品は必要ないということだろう。
簡素なワンピースと上着に着替え、マリーヒェンは小さなバッグを一つ抱えて長年暮らしたクラウヴェル公爵邸を後にした。
見送る人物は一人もいなかった。
公爵邸を出て三時間が経ち。マリーヒェンは広場のベンチに一人腰かけていた。目の前の噴水から飛んでくる飛沫は冷たい。ただでさえ肌寒い夜なのに、ここに居続けては風邪を引いてしまう。
しかし、ほかに一人で休めそうなところがないため、ここに居るしかない。マリーヒェンはバッグを抱え、片手で上着のポケットをあさる。そこには数枚の銀貨。これが今のマリーヒェンの全財産だ。
「宿を借りようにも、このお金を使うわけにもいかないし……」
公爵令嬢として育ったマリーヒェンが働くなど簡単にはできない。求人に応募したところで、門前払いされるのは目に見えている。
このお金でなんとか生き抜いていくしかない。
(だけど、さすがに寝床の確保は必要よね。どうしましょう……)
あたりをきょろきょろと見渡す。このあたりで野宿をすることも考えたが、やはり抵抗がある。でも、宿を借りるわけにはいかない。
そんな風に一人考えていると、マリーヒェンのお腹がぐぅと音を鳴らした。思い返せば、昼からなにも食べていない。その昼ごはんもあってないような量だった。
「とにかく、なにか食べましょう。食べないと頭も働かないわ」
勢いよく立ち上がり、マリーヒェンは灯りのついた飲食街へと向かった。
通りにある一軒の店に入り、カウンター席に腰かけたマリーヒェンはぎこちなくも注文を済ませた。お冷を口にして、ほっと息を吐く。そういえば、水もろくに呑んでいなかったと今さら思い出した。
「本当にこれからどうしましょう……」
ここでの食事の会計は辛うじて払えるが、そこから先はどうなることか。今の持ち金ではどれだけ切り詰めても一週間も生きられない。早急に仕事を見つける、もしくはだれか頼れる人を見つけないとならない。
(きっと全部リーゼロッテの思惑通りなのね。私を追い出して、ヘンリク殿下の婚約者に収まって。国唯一の魔法使いだとちやほやされて。彼女はとても幸せでしょうね)
比べ、今の自分はなんと惨めなことだろうか。
婚約者に捨てられ、家からも追い出され、頼れる人もいない。お金だって数えるほどしかない。
この調子では、野垂れ死んでもおかしくない。
(ふふっ、だったらもういっそ、野垂れ死んだほうがましなのかもしれないわ)
あれやこれやと心配するよりも、野垂れ死んだほうが楽かもしれない。
人の悪意や嫉妬などの感情に触れ続けることにも、疲れてしまった。
自分がどれだけ潔白を訴えようとも、だれも信じてくれなかった。いや、信じてくれた人はたった一人だけ、存在したか。
(だから、私は彼女を遠ざけた。彼女にまで被害が及ぶくらいなら、私は一人で大丈夫だって)
きっと彼女は、マリーヒェンが公爵邸を追い出されたことを今になって知ったはずだ。もしかしたら、捜そうとしてくれるかもしれない。だからこそ、マリーヒェンは彼女に頼れない。必死に自分に尽くしてくれた忠義の侍女のことを、危険にさらしたくない。
「もう、いっそ全部投げ出してしまいたい――」
マリーヒェンがぽつりとつぶやいたとき、自分の隣の席にだれかが座った。店は混んでいるが、ほかにも空いている席はある。どうして、マリーヒェンの隣に腰かけたのだろう。
失礼のない程度に、ちらりと視線を向ける。隣に座っているのは若い男だった。
見るからに背が高そうで、すらりとした体格だ。銀色の短い髪の中に、一房だけ赤色のメッシュが入っている。
瞳は鋭い形をしており、色はエメラルド色。彼は頬杖をついて、目を伏せていた。その姿は、恐怖を抱くほどに美しい。
(なんて、きれいな人……)
彼の美貌は、ヘンリクにも劣っていない。いや、人によってはヘンリクよりも美しいと称するかもしれない。
マリーヒェンは、失礼になることも忘れて彼に見惚れた。どこかの劇場に所属する舞台俳優だろうか? もしくは、花形職の騎士だろうか? その割には華奢なので、やはり舞台俳優のほうが可能性は高そうだ。
「――あのさ」
少しして、男が声を発した。
彼の声は不思議なほどに聞き心地が良く、聞き入ってしまいそうだ。
だが、夢見心地だったのはここまでだった。
「キミ、マリーヒェン・クラウヴェルでしょう?」
彼は淡々とマリーヒェンの正体を口にした。




