5話 暗雲
楽しかった。
幸せだった。
こんな日がずっと続けば良いのにと……本気で、そう思っていた。
けれどそんなことあるわけがなく……彼はただ、自分の何が悪かったかを責め続ける。
気づけば日も暮れ、仕事終わりの時間となっていた。
「お疲れ、さまでした……」
力なく、ソフィアはそのまま帰っていく。
「あ、ああ……。お疲れ」
俯き落ち込むその背に対し、ヴィンセントはそう返すことしか出来ない。
どうしてこうなったのか、本当にわからない。
ぱたんと閉じられたドアを、ヴィンセントは名残惜しそうに見つめた。
この状況がいつからだったのか、今はもうわからない。
ただ、ある日を境にソフィアの表情が徐々に曇っていった。
仕事はしている。
手なんて抜いていない。
体調が悪いわけでさえないらしい。
ただ、その笑みだけが消えていった。
日に日に会話が減り、接触が減り、今では朝から晩まで無言の時間。
お茶会だって、気づけば数か月も開催されていない。
「何が……悪かった?」
しつこ過ぎたか?
それとも単純に嫌われたか?
繰り返し自問自答するも、答えなど出て来るはずがない。
女性を嫌うことはあれど嫌われた経験がなく、また外見以外を愛されたことのない彼が見つけられるほど、彼女は浅くない。
女心という奴……とも最初は考えたけれど、すぐにそれは否定する。
悲しいが、女心が求められるほど、ヴィンセントは彼女との絆を結べていない。
じゃあ彼女がイライラしていただけとも考えたが、それもありえない。
この状態がもう半年を超えている。
不機嫌というには長すぎた。
「結局、誕生日を祝うことは出来なかったな」
自分のデスクをヴィンセントは見つめる。
そこには、渡すことさえ出来なかったネックレスが主に飾られることもなく眠っていた。
「……はぁ。私は駄目だな。本当。……一番やりたくないのに、権力を使う方法しか、思いつかない」
自分の生まれに憎悪しているくせに、その生まれを利用する。
そんな自分に心底嫌悪しながら、ヴィンセントは伯爵家の抱える情報調査部隊にソフィアについての調査を依頼した。
そうして依頼してから一月。
日に日に状況は悪くなっていた。
仕事が終わり、いなくなって安堵を覚えて……そんな自分に自己嫌悪して。
そんな日々だった。
ソフィアの笑みをもう数か月見ていない。
最近は顔さえ避けられている。
しかも、泣きそうな顔で。
どうやら、知らず知らずのうちに何かしてしまったらしい。
女性に嫌われたことがないから油断していたのだろう。
自分の愚かさに、とことん幻滅する。
それでも、仕事のため来てくれるのだから彼女は本当に真面目で、責任感があって、素敵で……。
ヴィンセントは、静かに唇を咬み、拳を震わせた。
ことん。
何か物音がして、ドアに目を向ける。
忘れ物か?
そう思ったが、誰か入った気配はない。
気のせいかと思い、デスクに目を向けるとすぐそこに、封筒が置かれていた。
「……普通に届けてくれよ」
ちょっとだけ怯えながら、ヴィンセントは封を切り、調査結果に目を向ける。
まず、書かれていたことは王宮内に出入りする貴族令嬢からの、彼女への慢性的な嫌がらせだった。
理由は……禁書管理室に所属していること。
一月保った人がいない中で一年間ずっと在籍する。
つまり、ヴィンセントとずっと二人っきりということ。
それに、他の女性が面白く思わないわけがなかった。
『下賤な身の癖に』
『立場を弁えず汚い恰好で』
『そんな芋臭い恰好で良くあの方の前に出られますわね』
聞くも堪えない罵詈雑言が、そこに記されていた。
資料を見るその手に、知らず知らずのうちに力が入り、思わず破りそうになる。
「馬鹿じゃねぇの」
そう、馬鹿だ。
一年間以上、そんな目に遭わせておきながら何の対処もしなかった己の愚かさにげんなりする。
報告の下には注釈として、言われっぱなしだった上終始笑顔だったと書かれている。
ずっと我慢して、受け入れていたのだろう。
その笑みを思い出し、ヴィンセントの胸にチクりと棘が刺した。
「……こいつら、どうしてやろうか」
そう思いながら、そのすぐ下の行を見て、怒りと憎しみが止まる。
『継続的な嫌がらせであることを踏まえると、これが変化の根本的原因とは考えられない』
そう、書かれていた。
女性の妬みによる嫌がらせは、資料範囲の二割程度。
まだ、八割も残っていた。
「別に何か……理由があった?」
恐る恐る、ページをめくって次の資料に目を向けると、ヴィンセントの表情が強張っていった。
更に読み進めるたび、徐々にその顔は青ざめていく。
そして……最後の一文を目にした。
「……結婚?」
――その瞳に、執着という狂気が宿った。




