4話 『俺』から『私』に変わった理由
彼女を最初に見た時、ヴィンセントはあっけにとられ何の反応も出来なかった。
彼の前に現れる時、女性はいつだって本気の服装で勝負してきた。
豪勢なドレスや、美を追求した事務服。
イヤリングやネックレス、指輪やら腕輪やらで装飾品もじゃらじゃら。
極めつけは吐きそうになるほど強い香水。
それなのに……彼女は、そんなこれまでの女性とは何もかもが違っていた。
『ソ、ソフィア・ローウェルです! ヴィンセント・フォン・グレイス閣下!』
ガチガチに緊張した様子で、そう声を荒げるソフィア。
例え緊張したって、隠そうとするのが貴族の礼節、マナーである。
だというのに、目の前の彼女はそれを隠そうともしなかった。
『あ、ああ。話は聞いている。どうぞ』
そう言って、とりあえず招く。
すり抜け部屋に入る彼女からは嫌な香りはせず、何故かわからないが仄かに土の香りがした。
『それで、閣下。私は一体何をすれば良いのでしょうか!?』
その言葉の意味が、最初わからなかった。
悲しいことに、ここに仕事をしに来たのはソフィアが初めてだった。
だからなんて返せば良いか少し困って、何故かわからないが、その日は二人で部屋の掃除をすることになった。
そうして始まったソフィアとの二人の日々だが、思いのほか普通だった。
というのも……。
『閣下。仕事が終わりました! ご確認下さい』
ヴィンセントは仕事を受け取り、頷いてから流れ作業で次の仕事を手渡す。
『じゃあ、次これを頼む』
『はっ! わかりました!』
それだけ答え、彼女は仕事に戻る。
女性からこんなに放置された経験がなかった彼には、逆に新鮮だった。
お茶に誘われることもない。
仕事をサボろうと言ってもこない。
アバンチュールだとかなんとかいって迫っても来ない。
質問のフリをして会話をしようともせず、会話はすべて業務のみ。
まさか真面目に仕事をしに来る奴がいるとは……。
それは、ヴィンセントにとって完全に想定外のことだった。
とはいえ……多少マシであろうとも不快なことに違いはない。
ヴィンセントにとって他人というのは、煩わしい存在のことを示す。
他人が傍にいるというだけでストレスだ。
だから、いつも通り彼女にも嫌がらせを始めた。
今回は仕事に忠実だから、仕事で嫌になってもらうような形で。
まず、仕事の難易度をいきなり引き上げた。
今までは用意された資料をまとめ上げたり、禁書の目録を整理し並べ替えたりという程度の誰でも出来る仕事だった。
けれど、その日からは正式に禁書と関わり、責任が多くのしかかるようにした。
ジャブとして市民による王の暴言集を手渡し、暴言一つずつ分類分けするよう命じた。
各暴言を禁書指定、許されざる暴言、許される暴言、暴言でないの四つに分けるという大変面倒でかつ、やりごたえのないゴミみたいな仕事である。
それでも彼女は楽しそうに、僅か一日で仕上げて見せた。
続いて法律に関する禁書……いわゆる犯罪教唆となる書物についてのまとめ。
わかりやすく要点をまとめないといけないのに、同時に要点を犯罪に利用出来ないようにしなければならないなんて、非常に面倒なテクニックが要求される。
だが、それだけじゃない。
本当の問題は、この禁書管理室と周辺の資料室に、法に関する資料は存在しないこと。
事前に法律の知識がない限り、そう簡単に出来ることではないのだが……。
『出来ました!』
彼女が作成した原稿を提出したのは、無茶ぶりから僅か二日後のことだった。
怪訝な表情をしながらヴィンセントは受け取って……愕然とする。
これは初めての彼女の失敗と言えるだろう。
ただし、それはヴィンセントの想像とは全く違う方向の失敗だった。
『間違ってない。ないんだけどさ……もう少し……その……かみ砕けないか?』
これまで散々女性を泣かせてきたヴィンセントらしからぬ、慎重な物言いだった。
そうせざるを得ないくらい、文章が堅苦しかった。
王国法〇〇条に従い規定は〇〇となり、ゆえに〇〇は認定されることは事実であるものの上位法の一つに〇〇が優先され○○が〇〇で……。
そんな文章が、延々と五ページ程続いてから、ようやく本文に入る。
理解出来ないわけじゃない。
ないんだが……この要点は普通の官僚が読むことを想定しているため、難読過ぎてオーケーサインは出せなかった。
『す、すいません! すぐ作り直します!』
慌ててソフィアは自分のデスクに戻り、ペンと紙を取り出した。
『ちょっと聞いても良いか?』
『えっ? は、はい! なんでしょうか!?』
『法律について、知っていたのか?』
『いいえ。恥ずかしながらまったくの無知でした』
『じゃあ、それ、どうやってやったんだ?』
『国立図書館で学ばせて頂きました』
『……は?』
ヴィンセントは、言葉の意味がわからなかった。
一つや二つではない。
何もかもが、わからない。
まず、国立図書館の学術コーナーの、それも政治や法律に関わるものは閲覧出来る中で最重要エリアであり、閲覧には高級ホテルを超える程度の寄付金が要求される。
続いて、ソフィアに頼んでからまだ二日しか経っていない。
それもこの二日は平日で、彼女は朝から晩までここに居た。
図書館の閉会時間と彼女の空いた時間を考えると、どれだけ時間をやりくりしても、二日で四時間程度しか取れない。
これも朝晩通うなんて相当無茶をしての四時間だ。
たったの四時間で、犯罪に関する全域の法律書を全部読んで、理解した?
そしてそれを全部まとめあげた?
再び、提出された成果物に目を向ける。
内容そのものに一切のミスはない。
ただ、やたらと重苦しくわかりにくいだけ。
それは使い慣れていないことの証拠であるが、同時に正しく理解出来ていることの証明でもあった。
『未熟で閣下の手を煩わせて申し訳ありません』
そう言って、ソフィアはぺこりと頭を下げた。
『いや……別に良い。というより、少し、無茶が過ぎた。すまない』
流石にそこまでするとは思っておらず、ヴィンセントは謝罪する。
下手すれば、この数日彼女は一睡もしていないのではないだろうか。
『いえ、そんなことはありません! 楽しく学ばせていただいております。まだまだ閣下に追いつけませんが』
『俺に?』
『はい! 閣下程聡明な方を私は見たことがございません。そのように私がなれるかはわかりませんが、精進してまいります!』
そう、彼女は決意を新たにし、再び机の虫となる。
ぼーっとしたまま、ヴィンセントはデスクに戻った。
頭が、うまく働かなかった。
――生まれて初めて、内面を褒められた。
外見でなく、生まれでもなく。
努力し、磨いた頭脳を褒められた。
生まれて初めて、誰かに内面を見て貰えた。
その事実は、ヴィンセントにとって決して軽いものではなかった。
そうして、しばらくしてから……ヴィンセントの一人称が、『俺』から『私』に変わった。
理由は教えてくれない。
教えられるわけがなかった。
彼女が、頭の良い人が好きだと聞いたからなんて。




