3話 こんな日がずっと続けば良いのに
王宮の裏口は、荘厳かつ壮大である表と違い静寂に愛されていた。
呼び出した馬車の扉をヴィンセントが開き、ソフィアを導くよう、そっと手を差し向ける。
街灯が、その手を淡く照らしていた。
「さあレディ、お手を拝借」
冗談めいた態度が面白くて《《くすり》》と笑った後、ソフィアはおずおずと静かに自分の手を、上から重ねる。
その手が冷たいのはきっと、自分の体温が上がっているから。
これは単なるエスコート。
わかっているのに……勘違いしそうになるのだから、貴族の礼節とこの人の美しさは恐ろしい。
だからソフィアは笑みが零れそうになるのを軽く俯いて誤魔化した。
ソフィアが足場を乗り越え、馬車の中に入ってから、お互い惜しむようその手を放す。
「ありがとうございます。ヴィンセント様」
「構わない。大切な部下のためだ」
「なら、もっと頑張って成果を出さないといけませんね。……ちゃんと、就業時間内で」
ジト目に気づいたソフィアは語る内容を慌てて軌道修正。
それに気づいて、ヴィンセントはうんうんと頷いてみせた。
「君は頼れる部下だが、頑張り過ぎなのが玉に瑕だ。もう少し肩の力を抜くと良い」
「もしかして、それでお茶会を開いて下さるようになったのですか?」
「いや、あれはむしろ……上司の趣味に付き合わされる可哀そうな部下という感じだな」
「なんとまあ。毎日高級スイーツが食べられて、体重を気にしないといけないなんて可哀そうな部下さんですね」
「それなら一緒に運動の時間でも作るべきか……。それも悪くない。私も正直運動に関してはあまり優れていないというのは自負している」
「ご謙遜を」
「そうでもない。……そうだね。週に一度国立図書館までのジョギングとかはどうだろうか?」
ソフィアの表情が、だらしなく崩れる。
それは、断れないとわかった上での誘いだった。
ソフィアが図書館に行けると聞いて断るなんてこと考えられるわけがなかった。
「それは狡いですよ。楽しみになっちゃうじゃないですか……」
もじもじと照れながら呟くソフィアに、ヴィンセントは微笑を浮かべた。
名残惜しいからだろうか。
御者が待っているとわかっているのに、なかなか会話を打ち切ることが出来なかった。
こんな時間がずっと続けば良いのに――。
駄目なことだとわかっているのに、そう、ソフィアはいつも思わずんにはいられなかった。
こんな時間が、ずっと続いてくれたら良かったのに。
ソフィアが見送った後、寂しさと充実感という相反する感情に満ちながら、ヴィンセントは王宮に戻る。
ギリギリまでソフィアと一緒に居たかったから、彼は片付け等の業務を後回しにしていた。
「バレたら叱られるな。これは」
他人に残業するなと言いながら自分は何をしているんですか、なんて言われて。
それはそれで良いなと思い、ヴィンセントは微笑を浮かべた。
「あら、ご機嫌ですわね。ヴィンセント様」
そう声をかけられ、ヴィンセントは足を止める。
「ええ、つい先ほどまでは」
そう返事をヴィンセントの表情は、まるで氷のように冷たいものとなっていた。
けれど、そんなこと気にせず相手の女性は話しかけ続けた。
「そう言えばヴィンセント様。このたび私は内政事務次官に任命されましたの」
「そうですか。それはおめでとうございます」
「ええ! つきましては、今晩のパーティーに出席願えないでしょうか? その、ヴィンセント様は賢い女性が好みと聞きましたので、私も立候補を――」
もじもじと、頬を赤らめ女性は声をかける。
それが――ヴィンセントの限界だった。
「行くわけないだろうが。汚らわしい」
「……え? ……あの、ヴィンセント様?」
無表情から憎悪に変わり、吐き捨てられる嫌悪に女性は面食らうことしか出来なかった。
「貴様の頭が良い? 笑わせるな。大体《《内政事務》》がどういう役職がわかっているのか?」
「それは……内政の優れた方をサポートするための……」
「口だけ煩い無能を放り込むため特別に作られた役職だ。馬鹿が。貴様が本当に優秀なら正規の《《内政官》》か《《事務員》》、もしくは《《秘書》》になっている。それさえわからない程の無能が、《《俺》》に声をかけるな。煩わしい。せっかく良かった気分が台無しだ」
それだけ吐き捨て、ヴィンセントは彼女の元を去っていく。
彼女が泣こうが崩れようが、どうでも良いとばかりに。
外見ばかり良くて、地位だけを求め寄って来る毒蛾。
そんな女が、ヴィンセントは何よりも嫌いだった。
ヴィンセント・フォン・グレイス。
彼の不幸はきっと、持って生まれ過ぎたことにあるだろう。
ヴィンセントは王の血族という実際の地位以上に特別な名門伯爵家の嫡男として生まれた。
血族と言っても、王家に連なっているわけではない。
単なる遠縁、遠い親戚に過ぎない。
けれど、それでも……彼は王位継承権を持っていた。
とは言え『継承権四十八位』であるため、単なる名目上に過ぎない。
万が一、彼が王位を継ぐような事態が来るとするならば、その時はとうに国は滅んでいるだろう。
そのくらい、無意味な継承権。
けれど、その単なる名目にさえ、十分な価値はある。
恵まれた地位を持ち、恵まれた容姿を持って。
だからだろう。
彼に寄って来るのは、欲望に囚われた者ばかりだった。
幼い頃から下卑た瞳を浴び続け、何度も拉致誘拐未遂を味わって。
更に彼にとって不幸だったのは、家族もまた歪んでいたこと。
王家の血筋であることを自慢とし、調子に乗って顔だけが良い男と浮気し、托卵して自分を作らせた母。
自分だって外で山ほど種をばらまいている癖に、托卵の被害者面する父。
この世すべてが自分のためにあると思う傲慢な妹。
せめて性格が悪くても、誰か一人でもヴィンセントを愛していれば少しはマシだっただろう。
けれど、家族さえも彼という中身を見ず、外見と地位だけを利用価値とした。
だから、ある意味当然のことと言えた。
ヴィンセントが、人間嫌いになるというのは。
今から七年前。
それはヴィンセントがまだ十五歳にもならないという歳だった頃。
その時彼は王宮住み込みの内政官としての試験を受けることとなった。
彼自身が望んだわけではない。
それは両親が箔付けのために行ったことで、しかも権力を用いてのごり押しである。
とはいえ、断る程人生に希望を持っていなかったから、彼は抵抗もせずそれを受け入れた。
筆記試験の手応えは、そう悪いものではなかった。
自己採点の結果で言えば九十五点から九十八点辺り。
流石に合格しないわけがないだろう。
そして、帰って来た結果は百点満点。
そんなわけがないなんてのは、自分が一番わかっている。
不可解な点数、その理由なんてのは悲しい程にわかりきっている。
まったくもってくだらない。
この世界で、ヴィンセントの中身に興味ある者など誰もいなかった。
そうして、十五という若さでヴィンセントは、凄腕内政官として知られることになる。
実績など、一切ないのに凄腕として。
鼻で笑えと言っているようなものだ。
国政の仕事は一切割り振られず、ただ社交界への参加を命じられる日々。
愛想も振らない。
誰とも踊らず会話もしない。
そんな精いっぱいの抵抗さえ意味なく、名声だけが積みあがっていく。
クールで素敵。
恥ずかしがりで大人しい。
ぶっきらぼうで優しい。
外見と、名門伯爵と、王家の遠縁。
その三つだけで成功者となる。
その三つだけしか、誰からも見られないままに。
一応だが、彼を理解し心配する者も居た。
王である。
同じような境遇であった王だけがヴィンセントの苦悩を理解し、目上の先輩として彼の平穏を気遣っていた。
けれど、幾ら王であろうともたった一人で、しかもすべての国民を愛する立場に居る男。
彼が幾らヴィンセントを護ろうとしてもどうしようもなくて……ある日とうとう、事件が起きる。
ヴィンセントが、大臣をぶん殴ってしまった。
いくら彼の心に深い闇があり、世に絶望していたとしても――ヴィンセントは誰かに暴力を振るうような人物ではない。当然、理由がある。
その男は歪んだ色欲を持ってヴィンセントを己が者にしようと画策した。
男であろうとも惑わすだけの色気が、最悪の形で爆発した。
大臣は大勢の部下を使い、計画的に彼を辱めようとした。
だからそれは正当防衛であり、大臣の罪となるのだが……残念なことに、大臣は保身に長けた人物だった。
いつの間にか、この事件はヴィンセントが暴行を企てたこととして処理されていた。
とはいえこれは、いい加減この馬鹿らしい状況にケリを付けたいと思っていたヴィンセントにとっても、悪くない状況であった。
辞めることは、容易い。
けれど、辞めたところでどうなる?
貴族の責務から逃げることなど出来ないし、家族の悪意は王宮内がマシに見えるほど酷い。
だから――彼は自らの意思で左遷先に移動した。
役立たずが向かう最後の場所、無能の墓場とされる禁書管理室に。
そうしてようやく、自分だけの安住の地を得たものの……その時間は、あまり長くは続かなかった。
部署を変えたところで、彼を狙う女性がいなくなるわけではないからだ。
考えたら当然の話である。
禁書管理室に所属されたら、ヴィンセントと二人っきりになれる。
それをチャンスととらえない者などいようはずもない。
気づいた者から周りを出し抜こうと女性たちは実家の権力とコネを用いて二人っきりの場を作って……彼女たちはみな揃って、地獄を見た。
彼にとって禁書管理室というのは最後の砦であり唯一の安住の地。
ここを侵そうとする者に、ヴィンセントは容赦しなかった。
侮辱、暴言、罵倒。
一言で言えばパワハラである。
とにかく徹底的に相手の心を折り、一週間以内に全員を追い出した。
まともな相手なら、誠心誠意頼んで辞めてもらい、話を聞かない奴はあらゆる手段を用いて。
彼は自らの最後の砦を守り続けた。
孤独であることを愛し続けた。
そんな時に――彼女が現れた。




