2話 社交辞令と黄昏時と
今でも、はっきりと覚えている。
昨日のことのよう、鮮明に。
それだけ彼にとって、その記憶は大切なものだった。
『ソ、ソフィア・ローウェルです! ヴィンセント・フォン・グレイス閣下!』
初めて会った彼女は、緊張でがちがちになりながら叫んだ。
正直言えば、驚いた。
ソフィアはヴィンセントがこれまで出会って来た女性たちと違い、あまりにも飾り気がなさ過ぎたからだ。
亜麻色の髪はどこかぼさっとしていて、シニヨンにまとめてはいるがそれは整えたというより、邪魔だから避けたという印象が強い。
眼鏡もファッション性が皆無で野暮ったい。
そこまで厚みのある丸眼鏡を、ヴィンセントは見たことがなかった。
派手な服総が流行っている中に逆走する、使い古した地味な黒いワンピースは逆張りの極致を狙っているのだろうか。
絢爛豪華な王宮内にてあるまじきその外見。
何を考えているんだと思ったけれど、今はその感想が間違いだったと理解している。
シニヨンは彼女の美しさを引き出しているし、眼鏡はその知性の証。
似合っているし可愛いし改める必要もない。
そもそも、禁書管理室という役職に本を汚す程の香水や本を傷つけるような装飾品を付けることの方がおかしいのだ。
だから、彼女の本を大切にする姿勢とその服装は正しい。
知的で、勤勉で、まっすぐで。
そんな彼女を、ほんの一瞬でも毒蛾共と一緒のくくりにしたことをヴィンセントは後悔していた。
「すいませんヴィンセント様。確認よろしいでしょうか?」
ソフィアに声をかけられ、ヴィンセントは過去のソフィアから今の彼女に意識を戻した。
「ああ、もちろん」
答え、顔を上げる。
相変わらず本を傷つけない、質素かつ端的な服装。
けれど、王宮での生活に慣れたのか、あの頃よりもずっと美しくなっていた。
「こちらの古代邪教式神秘術についてなんですが……」
「ふむ。どこが問題か教えてくれるか?」
「こちらに使われるミシック法は、確かに人体汚染の問題があるため禁忌指定にするのは正しいです。ですが、ミシック法だけを置き替えたら残りはすべて古代邪教式神秘術からそのまま現代錬金術式に置き換えられ現代でも十分に応用出来ます。……と、思ったのですがどうでしょうか?」
ヴィンセントは言葉の内容を考察するために、一瞬険しい顔となる。
その後、笑みが宿った。
「……なるほど。つまり編纂により禁書を解禁することが叶うと」
「そうなんです! もちろん他に問題があればご指摘下さい!」
やる気に満ちた彼女を見て、ヴィンセントは一瞬だけ躊躇する。
禁書の解禁という非常にリスクの高い行為により得られる利点は、国のためになるという自己満足。
はっきり言って、つり合いが取れない。
確かに、禁書解除は研究の発展には役立つだろう。
だが同時に禁書された物を復活させるというのは、他方向に敵を作る行為でもある。
禁術を嫌悪する者、事なかれ主義である者、禁術解禁により利権を失う者。
そういう連中が軒並み、反対行為からの嫌がらせに動く。
最悪の場合、逮捕される可能性があるだろう。
何故国のため、煩雑な手続きをしてまで逮捕されるリスクを冒さなければならないのか。
それがヴィンセントの考えである。
けれど、彼女が楽しいと感じるなら、話は変わってくる。
そのためのリスクなら、惜しむことさえ惜しい。
「……やってみたいかい?」
「――はい!」
心からの返事を聞いて、ヴィンセントは頷く。
「わかった。ならば禁書の編纂を命じる。責任は私が取るから、すべて任せた」
「ありがとうございます!」
ソフィアはぱたぱたと足音を立て、デスクに戻りすぐに本と向き合う。
本当に、本が好きなんだと理解出来た。
彼女は、魔法や魔術、魔導といったことすべて扱うことが出来ない。
それらは血という才能が必須条件となるため、貴族のみの特権である。
つまり、彼女にとってこれらは役に立たない無駄な学問ということだ。
それでも、彼女はその知識を吸収する。
そこに理由はない。
彼女が、知識を愛しているから。
だからだろう。
ヴィンセントは、彼女ほど聡明な人を見たことがなかった。
そしてそれゆえに、心配となる。
聡明であると同時に、世間知らずと言えるほどの純粋さを持つ彼女を。
ソフィアがここに来て、もうすでに一年以上経過している。
それなのに……彼女は未だに、ここが左遷先であるということに気づいていなかった。
自らの優れた知性を持って王宮内への配属が決まったというのに、嫌がらせでこんな場所に追いやられたということに、本気で気づかない。
王宮という場所の権力や汚い部分を一切知らずにいる彼女が、ヴィンセントは心配でたまらなかった。
『禁書管理室』
そう聞けば、重要な部署のように思えるだろう。
けれどそうでなく、むしろ逆。
確かに、禁書の中には危険な魔法や技術、時には開くだけで命を奪うようなものもある。
だがそんなのはごく一部に過ぎない。
禁書認定された物の大半は禄でもない理由や下らない理由ばかりで、管理室に送られるのも、そういった書物が大半だ
彼女は、自分が不甲斐ないからヴィンセントからあまり仕事を任せられないと嘆いているが、実際はそうじゃない。
低俗な下ネタ満載の艶本や、過去の国王と奴隷男子を組み合わせた耽美本などを、純粋な彼女に見せたくないだけ。
つまるところ、禁書管理室なんて言っているが実質は単なる左遷先に過ぎなかった。
ヴィンセントは、まだ良い。
やっかみの嫌がらせによる左遷という事情も含まれるが、半分以上は自業自得。
それになにより……ヴィンセントは自分から望んで、ここに来た。
王宮の屑共やまとわりつく毒蛾の女共と関わらずに済むために。
けれど、ソフィアは違う。
王都学院主席卒業という栄光を持って王宮に雇われたものの、"出自が卑しい""外見が芋臭い"なんて陰口を叩かれ、見下され、挙句王宮に相応しくないと下らないレッテルを貼られて、禁書管理室へ勝手に左遷させられた。
ソフィアの能力は純粋な知識と記憶力、そして本に関わる時の集中力である。
なので彼女本来の適性は内政官の花形である法律や経済となるはずだ。
それ以外でも、社交性を重視しない文官としてなら、おおよそ大成するだろう。
それだけの能力を持っているのに、それを知っているのがヴィンセントだけというのは全くもって歪な話であった。
「ソフィア」
優しい声色に呼ばれ、ソフィアは意識をペンから正面に向けた。
「はい。なんでしょうかヴィンセント様」
仕事を割り振ってもらえると思い、わくわくとした気持ちで彼を見る。
けれど、彼の表情はどこか困っているような、そんな顔だった。
「えっと、何か、お仕事があるんじゃ……」
ソフィアの言葉を聞いて、ヴィンセントは本格的な苦笑に変わり、外を指差す。
集中して仕事して――気づけば外は茜色に染まっていた。
「あっ。もうそんな時間に……」
「急ぎの仕事ではないから、残りは明日からで構わない。まあ、うちに残業するほどの急ぎの仕事なんて存在しないけれど」
「あはは……すいません。お待たせしてしまったようで……」
「気にしなくて良い。さあ、そろそろ帰宅の準備を」
「あっ。はっはい!」
いそいそとカバンを取り出し、書類を入れようとして――。
「ちょっと待った」
ヴィンセントはそっとソフィアの手に触れた。
「えっ? あの……ヴィンセント様?」
ヴィンセントは呆れ顔で溜息を吐く。
「家に帰ってまで仕事をしようとするな」
「だ、駄目ですか? ちゃんと持ち出し禁止は守ってますが……」
もっと役に立ちたい。
そう思っての行動だが、彼には好まないらしい。
「必要ない。家ではしっかり休んでくれ」
「……わかりました」
しょんぼりしながら、ソフィアはカバンを閉じる。
仕事以外に持ち帰るものなんて何もないから、準備はあっという間だった。
「ところで、これはいつものなんだが……なかなかに良い鴨を出してくれる店を見つけてね。良ければ今晩どうだろうか?」
微笑みながら、少し気障ったらしくヴィンセントはそう囁く。
本当にいつもの誘い文句なのに、ソフィアの心臓はいつも勝手に驚いてしまう。
慣れるなんてことはない。
むしろ繰り返されるたびにより声色は甘く、よりときめくようになった。
だから……いつも、勘違いしないようにするのが大変だった。
こんなの、ただの社交辞令なのに。
「いつもお誘いありがとうございます。ですが、家族が待っていますので」
「残念。今日もフラれてしまった。君の家族に勝てる日はいつ来るのだろうか」
冗談めいた口調につられ、ソフィアはくすりと笑った。
「ああ、そうだ。家族と言えば、君の弟は確か『グリンスヴァルツ学園』の生徒だったかな?」
その言葉に、ソフィアは頷く。
「はい。私に似ず優秀だったようで」
「そう口にする割に、誇らしそうだが?」
図星を付かれ、ソフィアは「あはは」と照れ笑いをしてみせた。
グリンスヴァルツ学園というのは女人禁制の騎士養育所である。
爵位としての騎士ではなく、物語に描かれる本物の騎士であることを求められるため、そのハードルは非常に高い。
本当の意味での一握りしか入学が許されず、就職先には近衛兵や軍の指導教官といった花形ばかり。
ちょっと剣が上手い、馬が上手い程度では決して入れない。
剣が使え、馬に乗れ、騎士としての礼節を重んじた上で、国の運営に携わるだけの知力が入学段階で要求される。
それに、ソフィアの弟は弱冠十二歳にて認められた。
年齢だけならそう珍しいことでもない。
だが、貴族という下駄のない一代目男爵家からというのは非常に稀有な例だろう。
それだけ、彼が優秀であることを証明していた。
「とはいえ、君だって王都の貴族学園主席卒業じゃないか。謙遜する必要はない」
「ありがとうございます。でも、私の場合は運が良かっただけですので」
運で主席になれないことは、別の学院だが主席であったヴィンセントが一番良くわかっている。
貴族として生まれた存在は、その時点で特権を持ち学ぶことが許される。
それを乗り越えることが、どれほど険しい道であることか。
「……君は魅力的だが、その自己評価が極端に低いことは欠点だな」
「お戯れを」
ソフィアは困った顔で苦笑する。
自己評価が高くなんてなれるわけがなかった。
ここには一体どれだけ美しい人がいることだろうか。
長いブロンドの髪の女性。
見上げるような背の高い女性。
彼女たちみたいな、かっこいい女性にも、可愛い女性にも、自分は成れない。
外見も能力も、自分なんて。
それでも、王宮が自分を受け入れてくれたから、その恩に報いるため、出来ることを必死に頑張りたい。
もちろん、お金も大切だ。
貧乏男爵家で弟の学費が稼げているのは王宮に勤めさせていただいているから。
国への敬意だって、持たないわけがない。
その優れた頭脳を国のために役立ててくれと王じきじきに言われたことを、ソフィアは決して忘れない。
それに……。
ソフィアは、ちらりと正面に見える男性に目を向けた。
「む? 私がどうかしたか?」
「いえ、ヴィンセント様がいる中で自己評価を高められる方は、この世界のどこにもいらっしゃらないと思いますよ?」
その言葉に、ヴィンセントは苦虫をかみつぶしたような表情を見せた。




