第10話「中間章・250年目の問い」
第10話「中間章・250年目の問い」
セリスを村の寄宿舎まで送り届けた後、俺は再び、夜の帳に包まれたあの場所へと戻っていた。
木々に囲まれた小さな墓碑。そこには、俺が十五年前にこの手で土に還した、一人の女性の亡骸が眠っている。
静かだった。
耳を澄ませても、十五年前まで四六時中聞こえていた、あの穏やかで少しお節介な「こころの声」は聞こえてこない。
脳内に響くのは、ただ夜風が葉を揺らす音と、遠くで鳴く夜鳥の声だけ。
この圧倒的な静寂こそが、彼女がもう俺の中にはおらず、一つの生命としてこの世界に解き放たれた証左だった。
俺は墓碑の前に腰を下ろし、月明かりに照らされた石の肌に指を触れた。
「……お前が言っていた通りだったな、セラ」
独り言が、冷たい空気の中に溶けていく。
「『次に会う時は、私のことを覚えていないかもしれない』……そう言ったな。そして、『でも絶対に、また会える』とも」
あの時は、そんな不確かな約束に縋るしかなかった。
魂が巡り、再び出会うなどという奇跡、半魔族として長く生きすぎた俺には、お伽噺よりも現実味のない話に思えたのだ。
「……会えたぞ。お前の言った通りにな」
だが、再会の歓喜と共に、俺の胸には新たな、そしてあまりにも重い問いが居座っていた。
二百五十年という永い歳月をかけて、ようやく一区切りついたはずの運命が、再び動き出した戸惑い。
「……俺は、あの子を……セリスを、どう思えばいい」
自らへの問いかけに、答えはすぐには返ってこない。
彼女を「セラ」として見るべきか。
それとも、全くの「別の人間」として突き放すべきか。
セリスの瞳に宿っていた蒼と翠の光を思い出す。
彼女は言った。『私はセラじゃありません。私は、セリス=アルフェリアです』と。
その言葉は、拒絶ではなく、今を生きる一人の人間としての、矜持に満ちた宣言だった。
「……どちらも、違うんだろうな」
セラとして接するのは、今を懸命に生きているセリスに対して失礼だ。
かといって、全く無関係の赤の他人として振る舞うには、彼女が持つ魂の輝きはあまりにも既視感に溢れている。
「あの子は……あの子だ。セラの魂を持ち、セラの願いを継いで、けれど自分の足で歩いている別の人間だ。……それでいい。それが、お前が最期に望んだことだったんだろう?」
俺の中から魂が旅立つ時、お前は「自由になりたい」とは言わなかった。「レイクスを助けたい」と言った。その結果が、あの子なのだとしたら、俺がすべきことは一つしかない。
俺は目を閉じ、KR64年から現在に至るまでの、気が遠くなるような旅路を振り返った。
百八十六年前。
泥濘と血臭に塗れた戦場で、俺はお前と出会った。
人からも魔族からも疎まれ、死ぬ場所を探していた俺に、お前は「あなたも傷ついているの?」と、呆れるほど真っ直ぐな言葉を投げかけてきた。
それから百七十年間。
お前は肉体を失い、俺の意識の中に留まる「こころの声」となった。
俺が闇に堕ちそうになるたび、その声は俺を繋ぎ止めた。俺が振るう黒雷が、憎しみの色に染まりきらないよう、ずっと隣で祈り続けてくれた。
そして十五年前。
お前は旅立った。俺の中に、耐え難いほどの虚無を残して。
それからの十五年は、余生のようなものだと思っていた。ヴァルトニアの家を整え、三柱に後を託し、ただ緩やかに朽ちていくための準備。
だが、運命は俺を隠居させるつもりはないらしい。
「……長い旅だったな、セラ。……そして、おかえり」
墓碑から手を離し、俺はゆっくりと立ち上がった。
膝についた砂を払い、夜の聖泉領を見渡す。
遠く、セリスが眠っているであろう寄宿舎の灯りはもう消えていたが、俺の目には、彼女が放つ魂の燐光がはっきりと見えている気がした。
かつての俺は弱かった。
お前を守ると言いながら、結局は俺がお前に守られていた。
お前を死なせ、お前の声を失い、十五年もの間、ただ墓を撫でることしかできなかった。
だが、二百五十年経った今の俺は、あの頃の無力な少年ではない。
「……次は、俺が守る」
右手の指輪――「雷光の指輪」が、俺の決意に応えるように青白く明滅した。
これから再び、四大魔将が動き出し、大陸に混沌が訪れるだろう。
宿命という名の嵐が、再び彼女を飲み込もうとするかもしれない。
「今度こそ、奪わせない。……何があってもだ」
それが、二百五十年という永すぎる歳月をかけて、俺がようやく辿り着いた答えだった。
俺はもう、墓碑を振り返らなかった。
前を見据え、一歩、また一歩と、確かな足取りで夜の街道を歩き出す。
夜明けは近い。
巡り合う魂たちが、新しい物語を紡ぎ始める時間が、すぐそこまで来ていた。




