第9話「セラの話」
第9話「セラの話」
聖泉領の奥、木々に囲まれた小さな墓碑の前に、セリスは立っていた。俺がこの十五年間、誰にも触れさせず、ただ一人で守り続けてきた聖域だ。
「ここに……誰かが眠っているんですか」
セリスが、壊れ物に触れるような静かな声で尋ねる。
「……ああ」
「大切な人、ですか」
「……ああ」
俺の短すぎる答えに、彼女はそれ以上踏み込むことをせず、ただ静かに膝をついた。胸の香草袋を握り、目を閉じる。その祈りの姿は、あまりにも完成されていて、見ていて胸が締め付けられた。
祈りを終えた彼女が立ち上がり、俺をまっすぐに見つめた。
「レイクスさん。……話してもらえますか。彼女のこと」
俺は重い口を開いた。
「……セラ=ミルティア。二百年近く前、戦乱の中で出会った。……お前と同じ、聖泉の巫女だった」
言葉にすると、記憶は鮮やかな色彩を持って蘇る。
「……髪の色も、瞳の色も、お前とは違う。だが、お前を見ていると、時折……重なって見える瞬間がある」
二人でこの地を歩いたこと。四季が巡るのを共に眺めたこと。
そして、十五年前――彼女の魂が俺の中から旅立ち、最期に「香草袋」と「ある願い」を託したこと。
俺は感情を排し、淡々と事実だけを語った。
「……お前は、セラではない。顔も違う。名も違う。……しかし、お前が作った香草袋の香りが、俺が守ってきたものと同じだ。お前が夢で探していた声が、俺の声と同じだ。祈りの仕草さえ……。俺には、何が起きているのかわからない」
セリスはしばらくの間、風の音を聞くように黙っていた。やがて、彼女は悲しげな色を一切見せず、力強い光を宿した瞳で俺を見た。
レイクスさんが語る「セラ」という女性。その話を聞いている間、私の中の「空白」が、温かな、けれどどこか切ない涙で満たされていくのを感じた。
「……レイクスさん。私にも、本当のことはわかりません。なぜ同じ香りを調合したのか、なぜ夢を見ていたのか」
私は一歩、彼に近づいた。彼が見ているのは、私なのか。それとも、私の向こう側にいる彼女なのか。その迷いを取り払いたかった。
「でも……一つだけ、はっきり言えることがあります。私はセラじゃありません。私は、セリス=アルフェリアです。……でも、セラが願ったものを、私が果たしたいと思っています」
レイクスさんの瞳が、微かに揺れた。
「彼女の記憶から湧いた想いじゃありません。これは、私があなたと数日間過ごして感じた、私自身の気持ちです。……あなたに、もう孤独でいてほしくない。……そう、思っています」
レイクスさんは、驚いたように目を見開いた。
そのまま長い沈黙が訪れる。彼は自分の懐にある古い香草袋と、私の胸にある新しい香草袋を交互に見て、やがて視線を落とした。
「……そうか」
二人で並んで、夕闇に沈みゆく墓碑を眺める。
彼女はセラではない。その宣言は、俺の執着を否定するものではなく、今ここにいる一人の少女として向き合ってほしいという、彼女なりの誠実さだった。
「……来てくれてありがとうな、セリス」
不意に零れた言葉。セリスは弾かれたように俺を振り返り、驚きに目を見開いた。
「……今、名前を……」
「……言ったか?」
「言いました! 初めて、名前を呼んでくれました!」
彼女は満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、俺の記憶にある「セラ」の微笑みとは違う、もっと生命力に溢れた「セリス」だけのものだった。




