第8話「距離を縮める日々」
第8話「距離を縮める日々」
レイクスさんがこの巡礼村に滞在するようになってから、数日が過ぎた。
彼は村の外れにある古い詰所に身を置き、昼間はふらりとどこかへ消え、夕方になると広場のベンチや聖泉のほとりに静かに佇んでいる。
「不思議な人……」
聖泉の清掃を終えた私は、遠くで木陰に寄り添う彼の横顔を盗み見た。
外見は私と同じか、少し年下に見えるくらい。銀色の髪が風に揺れる様は、どこか儚げな美少年のようにも見える。けれど、ふとした瞬間に彼が纏う空気は、この村のどんな年寄りよりも重く、深い。
発せられる言葉は少ないけれど、その一言一言に、何十年分もの重みが詰まっているような気がして――なぜだろう。その傍にいると、私はひどく安心するのだ。
「レイクスさん」
私が声をかけると、彼はゆっくりとこちらを見た。
「ねえ……聞いてもいいですか。あなたは何年、生きているんですか?」
普通の男の子なら「何を言ってるんだ」と笑うような質問。でも、彼なら答えてくれる気がした。レイクスさんは少しだけ視線を空へ流し、淡々と答えた。
「……二百五十年だ」
普通の人間なら寿命を三回繰り返しても足りない時間。でも、私は驚かなかった。むしろ、すとんと胸に落ちた。
「そうなんですね。じゃあ……私が生まれた十六年前も、この世界のどこかにいたんですね」
「……ああ。いた。今よりずっと不機嫌にな」
少しだけ口角を上げた彼に、私は思わず笑みを返した。
「ふふ、やっぱり。私が生まれるずっと前から、レイクスさんはレイクスさんだったんだ。……私、その頃から、あなたの夢を見ていたのかもしれません」
自分でも突飛なことを言っている自覚はあった。けれど、魂の深い場所が「そうだ」と囁いているような気がしてならなかった。
村の小さな広場で、セリスが村人の小さな傷や病を癒している。
巡礼衣の袖をまくり、膝をついて子供の傷口に手を翳す彼女の姿を、俺は少し離れた場所から眺めていた。
(……癒し方が、似ている)
掌から溢れる柔らかな光。祈りの言葉を紡ぐ際の間。そして、何より傷ついた者に寄り添う際の、あの慈しみに満ちた眼差し。
それは、百七十年前。セラが名もなき村で病人を癒していた時の所作と、あまりにも重なって見えた。
だが、見続けているうちに、俺は自分の中の違和感に気づく。
セラはどこか自分を削るように、悲しみを分かち合うような癒し方をした。だが、セリスは違う。彼女の癒しはもっと……そう、太陽に近い。相手の痛みを認めながら、それを明るい光で塗り替えていくような強さがある。
(……セラではない。この子は、セリスだ)
そう自分に言い聞かせた直後、セリスが不意にこちらを振り返った。目が合う。
「見てたんですか?」
「……通りかかっただけだ」
反射的に目を逸らす。そんな俺を見て、彼女は確信に満ちた悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「嘘つき」
「…………ッ」
言葉に詰まった。その「嘘つき」という言葉には、俺の言い訳など一切通用しないという、凛とした芯の強さが宿っていた。
「……セラも、そう言った」
止める間もなく、その名が口から零れ落ちていた。
セリスの動きが、一瞬だけ止まる。彼女は聖泉の縁に座り、蒼に翠を帯びた瞳で俺を見上げた。
「セラ……って誰ですか」
短い問い。だが、その瞳は誤魔化しを許さない。
俺は懐の香草袋に手をやり、長い沈黙の後、ようやく答えた。
「……いつか、話す。お前が、お前自身として、俺の前に立ち続けてくれたら」
夜。窓から差し込む月明かりの中で、私は自作の香草袋をぎゅっと握りしめていた。
「セラ……」
その名前を口にした時、レイクスさんの声は確かに変わった。
凍っていた氷が、内側から熱を帯びて溶け出すような。ひどく悲しくて、けれど、世界で一番大切にしている宝物に触れるような、そんな声。
レイクスさんが見ていた「セラ」という女性。
私の中に眠る夢の断片。
なぜだろう。会ったこともない、知っているはずもないその人のことを、私は懐かしく感じてしまう。
「私は……セリス。セラじゃない」
暗闇の中で、自分自身に言い聞かせるように呟く。
彼女はもういない。でも、彼女が大切にしていた何かを、私は知っている気がする。
知っているはずがないのに。
香草袋の香りが、夜の風に混じって鼻をくすぐる。
その香りは、まるでもう一人の私が「それでいいのよ」と微笑んでいるかのように、優しく私を包み込んでいた。




