第5話「聖泉領へ」
第5話「聖泉領へ」
王都リュミナを背にし、俺はエルディナ北西部に位置する「聖泉領」へと向かう街道を歩いていた。
三柱には「現状を直接この目で確認してくる」とだけ告げた。セバスはすべてを見透かしたような微笑みを浮かべ、アルトミュラーは「主の行幸に栄光あれ!」と拳を震わせていたが、俺自身、自分の行動に明確な論理付けができているわけではない。
「……確かめに行くだけだ」
独り言が、春の乾いた風に流される。
ゼフィールが持ってきた「セリス=アルフェリア」という名。
それがただ、十五年前に去った彼女の名と響きが似ているだけかもしれない。
特異な聖魔法の素質というのも、この魔力が活性化しつつある時代においては珍しくない瑞兆なのかもしれない。
しかし、理屈を並べ立てる脳とは裏腹に、身体は疾うに答えを出していた。
『香草袋』。その単語を耳にした瞬間、俺の足は執務室の出口へと向かっていたのだ。
聖泉領へと続く山道の入り口。そこには、俺が十五年前に築いた小さな墓がある。
俺は墓前で足を止めた。
「……行ってくる」
墓石に刻まれた「セラ」の名を指先でなぞる。
石は冷たく、何の返事も返さない。
「ただ……確かめるだけだ。お前ではないかもしれない。全くの別人であっても、俺は驚かない」
だが、もし。
もしそこに、彼女と同じ魂の輝きを持つ者がいたとしたら。
「……もしそうなら、俺はどうすればいいのか」
二百五十年という時を生きた。
解放戦線の戦乱を潜り抜け、数多の決断を下し、迷うことなく剣を振るってきた。そんな俺が、十五歳の子供のような戸惑いを抱え、「どうすれば」と自らに問いかけている。
セラの転生。それは十五年間待ち望んだ奇跡であるはずなのに、いざその可能性が目の前に現れると、俺の心は言いようのない畏怖に震えていた。
やがて、街道の先に聖泉領の境界を示す古びた石門が見えてきた。
門を潜ろうとした瞬間、風に乗って、微かな「歌」が届いた。
透き通るような、けれどどこか力強い歌声。
複雑に絡み合う旋律。それは、この大陸のどの聖歌にも属さない、独自の調べ。
「……この旋律は」
俺の心臓が、鐘を叩いたように激しく鳴った。
記憶の奥底。KR64年。
まだ彼女が実体を持ち、俺と共に戦場を歩んでいた頃。焚火の傍らで、傷ついた兵士たちの心を鎮めるために彼女が口ずさんでいた、あの『安らぎの旋律』と全く同じものだった。
足が止まった。
動けない。一歩踏み出せば、その瞬間に、積み上げてきた十五年の静寂が崩れ去ってしまう気がした。
「……セラ、か」
喉が震える。
いや、違う。彼女はもう死んだ。俺の中にいた魂も、十五年前に旅立った。
今そこにいるのは、全く新しい人生を歩んでいる、別の人間のはずだ。
しかし、これほどまでに魂を揺さぶる「一致」が、単なる偶然で片付けられるはずがない。
不意に、歌が止まった。
世界から色が抜け落ちたような、奇妙な喪失感が襲う。
代わりに聞こえてきたのは、村の広場の方向から響く、朗らかな笑い声だった。
子どもたちがはしゃぎ回り、それを優しく嗜める少女の声。
平和そのものの、幸福な日常の響き。
俺は深く息を吐き出し、止まっていた足を再び踏み出した。
言い訳はもう必要ない。
ただ、そこに「彼女」がいる。それだけで、俺がここへ来た理由は十分だった。




