第2話「変わらぬ館」
第2話「変わらぬ館」
王都リュミナの喧騒を離れ、小高い丘の上に建つヴァルトニア邸へと続く私道を歩く。黒鉄の門柱に刻まれた「雷・翼・指輪」の家紋が、春の陽光を受けて赤金に輝いていた。
門を潜る直前、邸宅の外周に張り詰めたような緊張感が走る。〈黒影一族〉による封鎖だ。
「……相変わらず、隙のない警護だな。ゼフィール」
俺が低く呟くと、虚空から、あるいは木々の影から、くぐもった声が響いた。
「……お帰りなさいませ」
姿は見えないが、ゼフィール=ナイトレイスが闇から俺を見守っているのがわかる。寡黙で冷徹、しかしその忠誠心は、二百年前から一寸の揺らぎもない。
正面玄関の重厚な扉が開かれた。
燕尾服を纏ったハーフエルフの紳士、セバス=グレイウィンド。
そしてその隣には、黒鋼の竜鱗鎧を纏ったドラグーンの巨漢、アルトミュラー=ヴァルハイト。
二人は示し合わせたかのように、深く、静かに頭を下げた。
「主のお帰りです。当然の儀礼でございます、レイクス様」
「……派手にするなと言っておいただろうに」
「左様でございましたか。主が十五年ぶりに帰還されるのです。我ら三柱、そして騎士団一同、この日を一日たりとも忘れたことはございません」
セバスはそう言って、わずかに口元を緩めた。隣に立つアルトミュラーは、相変わらず一言も発しないが、その深紅の瞳に宿る熱い忠義が、何よりも饒舌に彼の歓喜を物語っていた。
大広間に足を踏み入れ、長椅子に腰を下ろす。セバスが手際よく茶を淹れていく。
「……ヴィーナは、どうしている。王都の『指定した商家』に、あいつからの便りは届いているか」
俺の問いに、セバスは微かに微笑んで頷いた。
「はい。お嬢様は、そこが我が家の息がかかった中継所だとは露ほども疑わず、定期的に『お父さんへ』と手紙を届けておいでです。先日も『王都へ向かう護衛依頼を受けた』という報告がございました。我らも主人の命に従い、彼女がこの館の正体に気づかぬよう、影から細心の注意を払って参りました」
「……そうか。あいつには、俺はただの『少し腕の立つ、偏屈な父親』だと思わせてあるからな。まさか自分の家が、五百人の精鋭騎士を抱える伯爵家だとは夢にも思っていないだろう」
「左様でございますな。お嬢様が戻られた際、この広壮な館と我々を見てどのような顔をされるか、今から楽しみでございます」
「……驚いて逃げ出しかねん。セバス、あいつが来たらまずは『父親の知人の古い家』だと言って誤魔化せ。いきなり騎士団長が膝を突くような真似はさせるなよ」
「心得ております。アルトミュラー殿、まずはその鎧を脱ぎ、笑顔の練習から始めましょうか」
「……努力、します」
アルトミュラーが、その強面の顔を無理やり歪ませてポツリと溢した。彼にとってはそれが最大の「配慮」なのだろう。
茶を飲み終えた俺は、一人で館の裏手にある丘へと向かった。
そこには、小さな、けれど誰よりも大切に手入れされた墓碑が立っている。
セラの墓。
俺の中にあった彼女の魂は旅立ったが、ここにあるのは、かつて俺と共に歩んだ「聖女セラ」の生きた証だ。
俺は墓前に立ち、十五年前と同じ香りがする香草袋に触れた。
「……帰ってきたぞ。セラ」
返事はない。静寂だけがそこにある。
ヴィーナがこの家と、そしてお前の歩んだ歴史をどう受け止めるか。それを確かめるのが、俺の新しい役目だ。
「待っている、と言った。……お前を見つけるまで、俺はここにいるぞ」
夕闇が迫るエルディナの空を、レイクスは静かに見上げた。




