第9話「剣を教えろ」
第9話「剣を教えろ」
アルカディアの仮本部の裏手に広がる石畳の訓練場は、戦士たちの荒い息遣いと、木剣が打ち合う乾いた音に包まれていた。かつては領主の親衛隊が腕を磨いた場所だが、今は各地から集まった寄せ集めの解放戦線が、明日の生存のために必死に汗を流している。
その喧騒から離れた隅の木陰で、レイクスは一人、静かに愛剣の手入れをしていた。周囲の戦士たちは、先日彼が見せた圧倒的な「黒雷」の威力を思い出し、遠巻きに畏怖の視線を送っている。
「レイクス! 頼みがある」
迷いのない足取りで近づいてきたのは、リースバルトだった。彼はレイクスの前に立つと、迷わず深く頭を下げた。
「俺に剣を教えてくれ。……昨日の戦いで分かった。俺には、魔将を倒すための『何か』が決定的に足りない。それを、お前から学びたいんだ」
レイクスは手元の布を動かす手を止めず、視線すら上げなかった。
「断る。俺は教師じゃない。それに、お前に教えるような正当な剣技など持ち合わせていない」
「構わない。正当だろうが異端だろうが、結果を出せる力が欲しいんだ。このままじゃ、俺は仲間を守れない」
「守る、か」
レイクスは短く鼻で笑った。五十年の放浪の中で、何人の人間がその言葉を口にし、そして力及ばず消えていったか。
「……教える義理はない。消えろ」
突き放すような一言。だが、リースバルトは顔を上げると、不敵な笑みを浮かべてみせた。
「なら、教わらなくてもいい。俺が勝手にお前から盗む。今日から毎日お前に挑む。無視しようが叩きのめそうが、俺は食らいついてやるぞ」
その真っ直ぐすぎる宣言に、レイクスは僅かに眉を動かした。
内面で、五十年前の自分が凍りつかせていた感情が、かすかに解けるような感覚を覚えた。
(……やれやれ。これだから若造は面倒だ)
だが、その不快感の裏側には、奇妙な高揚感があった。この男の無鉄砲さは、かつてリランダに「死にたくないなら動け」と無理矢理鍛えられていた頃の自分を、微かに思い出させた。
「……好きにしろ。ただし、死んでも文句は言うなよ」
レイクスが立ち上がり、腰の剣を抜かずに鞘のまま構えた。それが合図だった。
「はあぁぁっ!」
リースバルトが踏み込む。彼の剣は速い。さらに、理屈ではなく野生の直感で最短距離を抜いてくる。レイクスは最小限の足捌きでそれをかわし、鞘でリースバルトの鳩尾を軽く突いた。
「ぐっ……!」
「腰が高い。お前の剣には形がない。……それだけじゃないな。お前の剣には、本当の意味での『心』が宿っていない」
「心が……宿っていない?」
リースバルトは膝をつきながら、自身の愛剣を見つめた。
「お前は正義のために振るっているつもりだろうが、それは借り物の正義だ。いずれその剣は折れる。……本当に守りたいもののために、己の魂を預けられる『器』を見つけろ。さもなければ、魔将の影すら斬れん」
それは、後にマルターレス家に伝わることになる聖剣「スターレット」への、運命的な伏線となる言葉だった。
それから数時間、二人の仕合は続いた。
倒されても泥にまみれて立ち上がるリースバルト。その成長速度は、レイクスの予想を超えていた。最初は当てることすらできなかった剣が、徐々にレイクスの衣を掠めるようになる。
夕暮れ時。朱色に染まった訓練場の隅に、二人は並んで腰を下ろしていた。
「……はぁ、はぁ。本当に、バケモノだな、お前は……」
リースバルトが荒い呼吸を整えながら、隣のレイクスを見やる。レイクスは汗一つかいていないが、その瞳には僅かな充足感が浮かんでいた。
「お前が鈍すぎるだけだ」
「はは、言うね。……でも、ありがとう、レイクス」
二人の間に、言葉にならない連帯感が生まれていた。五十年の孤独を貫いてきたレイクスにとって、こうして誰かと肩を並べて座る時間は、酷く非現実的で、それでいて悪くないものだった。
「あらあら、いい雰囲気ね。特訓というより、仲良しこよしに見えるけれど?」
不意に背後から、楽しげな声が響いた。
いつの間にか現れていたリランダが、銀緑色の髪を揺らしながら、翡翠色の瞳を細めて微笑んでいた。
「リランダ師匠……」
「レイクス、あなたが誰かに剣を教えるなんて、太陽が西から昇るかと思ったわ。……いい傾向よ。世界は、一人で救うには広すぎるんだから」
リランダの言葉に、レイクスは無言で視線を逸らした。
だが、その指先が触れた「女神の指輪」は、夕闇の中で優しく、温かな光を宿しているように見えた。




