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レイクス戦記  作者: ゆう
第4章「忘却の聖女」

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第20話「空白の旅路、そして」

第20話「空白の旅路、そして」


 KR235年の終わり、フォルネリア辺境侯国には例年よりも早い初雪が舞っていた。

 天から降り注ぐ白い結晶は、音もなく大地を覆い、世界を静寂の中に閉じ込めていく。

 レイクスは、小屋の窓際に座り、銀世界へと変わりゆく景色を眺めていた。

 かつて、この内側には常に「声」があった。思考の隙間を埋めるように、あるいは荒んだ心を嗜めるように響いていたあの透明な響きは、もうどこにもない。

「……静かだ」

 ふとした瞬間に、独り言が漏れる。

 以前なら、即座に「静かすぎて寂しいんじゃない?」と茶化すような返答があったはずだ。だが、今はただ、冷えた空気が肺を通り抜ける音だけが返ってくる。

 百七十年間、彼の魂に刻まれていた一部が欠落したという事実は、時折、言いようのない喪失感となって彼を襲う。しかし、その「空白」を埋めるように、別の賑やかさが今の彼にはあった。

「おとうさーーん! みて! お外、まっしろ!」

 バタン、と勢いよく扉が開く。

 寒風と共に飛び込んできたのは、防寒着を丸く着込んだヴィーナだった。彼女は冷たくなった手でレイクスの膝を叩き、窓の外を指さして目を輝かせている。

「……ああ。雪だ。あまり外にいると凍えるぞ」

「平気だよ! ヴィーナ、雪だるまつくるもん!」

 以前のレイクスなら、「勝手にしろ」と一言で切り捨てていたかもしれない。だが、今の彼は、少しだけ視線を柔らかくして、彼女を見守っていた。

「……無理はするな。後で、温かいスープを作る」

「わーい! おとうさんのスープ、だいすき!」

 ヴィーナはそう叫ぶと、再び元気よく外へと駆け出していった。

 「声」がない。しかし、その不在を嘆くだけの時間もないほどに、目の前の少女は懸命に生き、彼を求めている。

 それだけで、今は十分だと、レイクスは自らに言い聞かせるように頷いた。

 夜、暖炉の火が爆ぜる音だけが響く室内で、レイクスは腰のポーチから古びた香草袋を取り出した。

 それを見ていたヴィーナが、興味津々に寄ってくる。

「おとうさん、それ、なに?」

「……大切なものだ」

「だれのもの? きれいな刺繍だね」

 レイクスは、指先でセラの残した刺繍の跡をなぞった。

「……昔、大切だった人のものだ」

「いまは?」

「……今も、大切だ。おそらく、これからも変わることはない」

 ヴィーナはしばらくの間、じっとその香草袋を見つめていた。やがて、小さな鼻を近づけて、ふんわりと微笑む。

「……いいにおい。お花と、お日さまのにおいがする」

「……そうだな。お前も、気に入ったか」

 レイクスは、その香草袋を大切に懐へと仕舞い込んだ。

 セラはもういない。だが、彼女が愛した香りは、こうして次の世代を担う少女にも届いている。

「ヴィーナ。お前がもう少し大きくなって、自分の足でどこへでも行けるようになったら……連れて行きたい場所がある」

「どこ?」

「エルディナだ。そこには、俺の古い友人がいる。……お前のことを、ずっと待っているはずの男だ」

 セバスへの手紙は、すでに出した。

 いつか、この子をあの「家」へ連れて行く。それが、俺に託された最後の責任であり、彼女への約束でもある。

 ヴィーナが深い眠りに落ちた深夜。

 レイクスは独り、天窓から見える冬の星空に向かって、声に出さない言葉を紡いだ。

(……聞こえているかどうかわからないが)

 習慣とは恐ろしいものだ。返事がないと分かっていても、彼は内に向かって語りかけることを止められなかった。

(ヴィーナは元気だ。飯もよく食う。……お前が言った通り、優しい子に育っているようだ。俺は……まだここにいる。お前という光を失っても、まだ、この世界を歩いているぞ)

 風が小屋の壁を叩く。

(お前がどこで、どのような命として生まれ直したのかは知らない。……だが、俺は待っている。たとえ何年、何十年かかろうとも。お前が再び俺を見つけ出し、その香草の香りを思い出させる日まで)

「……待っているぞ、セラ」

 その呟きは、もはや祈りに似ていた。

 百七十年の共生を経て、彼は知った。愛する者を待つ時間は、決して「空白」ではないことを。それは、再会という名の光に向かって、魂を研ぎ澄ませ続ける旅路なのだと。

【エポローグ】

 時は流れ、大陸の季節は巡る。

 ―― KR235年。こころのセラが旅立ってから、15年の月日が流れた。

 ―― KR250年。

 聖泉領アルフェリア。その片隅にある小さな巡礼村に、一人の少女がいた。

 名は、セリス=アルフェリア。16歳になったばかりの彼女は、透き通るような亜麻色の髪と、深い群青色の瞳を持つ、村でも評判の心優しい娘だった。

 ある朝、彼女は目覚めると共に、頬を伝う熱い涙に気づいた。

 夢を見ていた。

 名前も知らない、けれど、とても懐かしくて、とても大切な「声」が、ずっと自分を呼んでいる夢を。

「……この声。夢の中で……ずっと、探していた気がする……」

 窓を開けると、春の風が彼女の髪を揺らした。

 その風には、どこか遠い記憶を呼び覚ますような、清涼な香草の香りが混じっていた。

 運命の歯車が、再び音を立てて回り始める。

 二百五十年の時を超えた、再会の約束を果たすために。

第4章「孤独な旅路、最後の光」 完

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