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レイクス戦記  作者: ゆう
第4章「忘却の聖女」

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第16話「声が薄くなっていく」

第16話「声が薄くなっていく」


 晩秋の風は、もはや冬の鋭利な牙を隠そうともしていなかった。

 KR235年、フォルネリアの山々は燃えるような赤を脱ぎ捨て、骨ばった枝を寒空にさらしている。地表を埋める枯葉の乾いた音だけが、世界の終わりを告げる秒針のように響いていた。

 俺の内に響く声は、今や限界まで薄まっていた。

「……セラ」

 意識の深淵へ向かって、石を投げ入れるように呼びかける。かつてなら即座に返ってきた波紋が、今はなかなか戻ってこない。

(……ん?)

 数拍、奇妙な「間」が空いてから、声が届いた。

 音量は変わらない。だが、その声が発せられている場所が、俺の魂のすぐ隣から、霧の深い彼方へと遠のいている。

「……聞こえているか。意識がはっきりしているか」

(聞こえてるわよ。大丈夫。……ただ、少しだけ、遠いの。眠っている時に、隣の部屋で誰かが話しているのを聞いているような……そんな感じ)

 彼女は努めて明るく振る舞っている。だが、その「間」こそが、引き留めようのない境界線の存在を物語っていた。

「おとうさん! ほら、しもばしら! ふむとサクサクするよ!」

 庭先でヴィーナが跳ね回っている。彼女はまだ、何も知らない。俺の胸の中で、この世界の光そのものだった魂が剥がれ落ちようとしていることも、俺が今、どれほどの重圧を肺の奥に押し込めているかも。

 俺はいつもと変わらぬ無愛想な顔で、薪を割る手を止めなかった。

 動揺を見せることは、セラとの契約に反する気がした。彼女が「怖くない」と言った別れを、俺の勝手な悲哀で汚したくはなかったのだ。

「……転ぶなよ。霜柱は滑る」

「平気だよ! ヴィーナ、もうおっきいもん!」

 彼女の無邪気な笑い声が、今の俺にとっては唯一のいかりだった。もしヴィーナがいなければ、俺はセラの気配を追って、そのまま精神の深淵へと沈み込んでいただろう。

(ねえ……レイクス。ヴィーナに、伝えてほしいことがあるの)

 薪を積む俺の動きが、僅かに止まる。

「……何をだ」

(「あなたは祈りの力を持っている。それは人を助ける力だ」って……いつか、ちゃんと教えてあげて。……私の代わりに)

「……断る。お前の代わりは俺にはできない。聖女の言葉は、聖女が直接伝えろ」

(ふふ、意固地ね。……そのままでいいのよ。あなたの不器用な言葉で、あなたの声で、伝えてあげて。あの子は、あなたの言葉を信じているんだから)

 セラの声に、一瞬だけ強い意志が宿った。それは彼女がこの世界に残す、最後にして最大の「願い」だった。

「……努力はする。だが、期待はするな」

(それでいいわ。期待してるわよ、パパ)

 夕暮れ。茜色の光が小屋の中に差し込み、長い影を作っている。

 ヴィーナが疲れ果てて膝の上で微睡み始めた頃、セラが再び口を開いた。その声は、昼間よりもさらに透き通っていた。

(ねえ……もう一つだけ、いい?)

「……言え」

(次に会う時……私は、あなたのことを覚えていないかもしれない。名前も、一緒にいたこの時間も。……でも、絶対に、また会える。魂が、あなたを見つけてくれるから)

 俺は何も言えず、眠るヴィーナの肩を抱く手に力を込めた。

(だから……そんなに悲しまないで、レイクス)

「…………悲しくなどない」

 嘘だった。胸の奥が、熱い鉄を流し込まれたように痛い。

(嘘つき。……私には全部わかるんだから)

 長い、長い沈黙が流れた。

 俺はゆっくりと息を吐き出し、独り言のように漏らした。

「……少しだけだ。少しだけ、……惜しいと思っているだけだ」

(ふふ。正直ね。……ありがとう)

 その言葉を最後に、セラの気配は眠りに落ちたように静かになった。

「……おとうさん?」

 いつの間にか目を覚ましていたヴィーナが、じっと俺の顔を覗き込んでいた。その小さな手が、俺の頬に触れる。

「……なんだ。騒がしいぞ」

「おとうさん……なんか、かなしそう」

 子供の直感は、時に何百年もの経験を凌駕する。俺は慌てて視線を逸らし、咳払いを一つした。

「……そんなことはない。腹が減っただけだ」

 ヴィーナはしばらくの間、俺の横顔を見つめていたが、やがて「そっか!」と明るい声を上げた。

「なら、いい! おなかペコペコなら、あそぼ! あそんだら、ごはんがおいしいよ!」

 彼女が俺の手を力一杯引く。その強引な明るさに、俺はとうとう耐えきれず、小さく、鼻で笑った。

「……まったく。お前は、強いな」

(ヴィーナ……本当に、いい子ね)

 遠い遠い場所から、満足げなセラの声が届いた気がした。

 俺は、立ち上がった。

 薄くなっていく光と、これから輝きを増していく光。

 その両方をこの腕に抱えながら、俺は一歩、冷え切った冬の入り口へと足を踏み出した。

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