第11話「セバスへの手紙」
第11話「セバスへの手紙」
KR234年も終わりを迎えようとしていた。
フォルネリアの冬は穏やかだが、夜の帳が下りれば芯まで冷える沈黙が部屋を満たす。小屋の片隅、揺れる灯火の下で、俺は羊皮紙を広げていた。
手にするのは使い慣れた剣ではなく、一本の羽根ペンだ。
(誰に書いているの? レイクス)
胸の奥で、セラの光がゆらりと揺れた。
「……セバスだ。俺は戻らないと決めたが、知らせておくべきことがある」
ヴァルトニアの家宰であり、俺の影として生きてきた男。彼ならば、俺が連絡を絶っても「主のことですから」と平然と日々の業務をこなしているだろう。だが、こればかりは、彼といえども予測し得ない事態のはずだ。
俺は思考を整理し、簡潔にペンを走らせた。
『俺は戻らない。しかし、知らせておくべきことがある。
俺は、ヴィーナという名の娘を持った。
女神と同じ名だ。偶然ではないと思っている。
いずれ、この子はエルディナへ行くことになるだろう。
その時は……頼む。 ――レイクス』
それだけを書き記し、ペンを置いた。
(……伝えたのね。あの子のことを)
「……知っておくべきだろう。俺の身に何かあった時、あいつが唯一の『窓口』になる」
(セバス、驚くわね。きっとあの無表情な顔が少しだけ崩れるわよ?)
「……ふん。あいつはいつも、何が起きても驚かない顔をしている。驚いたふりをして、その実、次の手を進めているような男だ」
(ふふ。そうね。でも、きっと喜んでくれるわ)
ふいに、奥の寝床から衣擦れの音と、か細い声が聞こえてきた。
「……おとうさん……。むし……きらきら……」
ヴィーナの寝言だ。
俺とセラは、自然と視線をそちらに向けた。月明かりに照らされた幼い寝顔は、安らかそのものだった。
(ふふ。虫の夢でも見ているのかしら。昼間の続きね)
「……あいつはどこへ行っても虫を見つけてくる。まったく、誰に似たんだか」
(それって……案外、あなたに似たんじゃない?)
「……ふざけるな。俺がいつ、虫を追って野山を駆け回った」
(形は違っても、自分が『いい』と思ったものを真っ直ぐ追いかけるところ。……そういうところ、そっくりよ)
俺は反論しようとして、言葉を飲み込んだ。
自分では気づかない何かが、この少女の中に染み渡っているのだとしたら。
「……好きにしろ」
わずかだが、俺の口元が緩むのを、夜の闇もセラも逃さなかった。
(ねえ、レイクス。この子が大きくなったら、どんな子になると思う?)
セラの問いは、祈りに似た響きを持っていた。
「……強い子になるだろう」
(なんで? 私たちの加護があるから?)
「違う。あの大虐殺を生き残った。絶望の中でも命の灯を消さなかった。……それだけで、あいつの魂は十分に強い」
(……そうね。でも、私は優しい子にもなると思うわ)
「……根拠がない」
(あるわよ。だって……あなたの娘だもの)
俺は長い沈黙を置いた。
俺のような、血塗られた道を歩んできた男の性質を継いで、なぜ「優しい」と言い切れるのか。だが、セラの確信に満ちた声は、俺の否定を許さなかった。
「……うるさい。さっさと寝ろ、セラ」
(ふふ。おやすみなさい、パパ)
書き終えた手紙を折り畳み、俺は窓の外の銀世界を眺めた。
この手紙をセバスに届けるには、また別の「窓口」を通す必要がある。彼がこれを受け取る頃、俺はまだこの小さな小屋で、ヴィーナの寝顔を見守っているだろう。
「セバス……。お前が受け取る頃、俺はまだここにいる。いつか戻る日は来る。しかし……今はまだ、ここにいたい」
二百三十二年間、居場所を求め続けた半魔族の男が、初めて見つけた「帰りたくない場所」。
この冬が明ければ、運命はまた大きく動き出す。
それでも今は、この静かな雪の夜を、手紙と共に閉じ込めておきたかった。




