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レイクス戦記  作者: ゆう
第4章「忘却の聖女」

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第6話「娘として育てなさい」

第6話「娘として育てなさい」


 夜明け前の蒼い光が、森の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせていた。

 焚き火の最後の一片が爆ぜ、白い灰となって崩れ落ちる。傍らでは、俺のマントに包まったヴィーナが、昨夜の恐怖が嘘のように穏やかな寝息を立てていた。

 二百三十四年生きてきても、この時間はいつも静寂が重い。

 沈黙の中、胸の奥で光が微かに瞬いた。

(ねえ、レイクス)

「……何だ」

 声に出さず、意識の底で応じる。

(この子……育てなさい)

 セラの言葉は、唐突で、それでいて揺るぎない確信を孕んでいた。

 俺は思考を止めたまま、長い、長い沈黙を挟んだ。

「……俺が?」

(そう。あなたの娘として)

「……冗談はやめろ。俺には無理だ」

 即座に否定した。

 魔将を斬り、軍を動かすことならできる。だが、一人の幼子の「親」になるなど、俺の設計図(人生)には書き込まれていない機能だ。

(なんで? なんで無理なの?)

「……俺は、子供の育て方を知らない。食事の与え方も、服の着せ方も、その心が何に傷つくのかも……何一つ、学んでこなかった」

(私も知らなかったわよ。……もし、あのまま生きていたとしても)

 セラの声が、一瞬だけ寂しげに揺れた。だが、すぐにそれは春の陽だまりのような暖かさを取り戻す。

(でもね、レイクス。あなたはもう、知ってるはずよ)

「……何をだ」

(あなたは、孫のリースに剣を教えた。エレオノーラに「怖い顔のおじちゃん」って言われて、困りながらもそれを受け入れた。ルインの真っ直ぐな目を見て、「よし」と言って背中を押した……。それが全部、あなたが積み上げてきた『慈しみ』じゃない。あなたはもう、立派に人を育てる心を知ってるわ)

 俺は何も言えなかった。

 それはかつて「ヴァルトニアの主」として、責任上果たしてきたことだと思っていた。だが、セラはそれを俺の「心」だと言う。

「お前が……そこまで言うのか」

(うん。この子は……絶対に、あなたの娘にならなきゃいけない子だと思うの。……名前が、そう言ってる気がするのよ)

 ヴィーナ。女神の名を持つ少女。

 セラの言葉の裏には、直感以上の、何か「魂の義務」のような重みがあった。自分がいつか消えることを見越して、俺の隣に新しい席を用意しようとしているような……そんな、痛切なまでの配慮。

「…………」

 俺が再び沈黙に沈んでいると、マントの山がもぞもぞと動き出した。

 寝ぼけ眼をこすりながら、ヴィーナが顔を出す。俺の姿を認めると、彼女の顔にパッと花が咲いたような安堵が広がった。

「……おにいちゃん、まだいた。どっかいっちゃったかと思った」

「……俺は、おにいちゃんではないと言っただろう」

 少しの間をおいて、俺は彼女を直視した。その真っ直ぐな瞳から逃げてはいけない気がした。

「じゃあなに?」

「……お前の……」

 言葉が喉に引っかかる。「父親」という三文字が、あまりに重くて、不器用な俺の唇を通過できない。

(お父さん、って言って。ほら、練習!)

(……うるさい、セラ。黙っていろ)

 俺はひとつ、大きなため息をつき、ヴィーナの頭にぎこちなく手を置いた。

「……しばらく、一緒にいる。お前が一人で生きていけるようになるまでな」

 ヴィーナは俺の言葉の意味を咀嚼するように数秒止まり、やがて満面の笑みで頷いた。

「うん!」

(「しばらく」じゃないのよ、レイクス。一生よ)

(……わかっている)

(ふふ。いいパパになりそうね)

 セラが揶揄うように笑う。俺は不機嫌な顔を隠すように、焚き火の跡を足で崩した。

「……ここを発つぞ。南西に向かう」

「どこにいくの?」

「フォルネリア辺境侯国だ。あそこの田舎なら……静かに、お前を育てられる」

(フォルネリア……。懐かしいわね。あなたが昔、少しだけ立ち寄った場所)

(……ああ。あそこならヴァルトニアの影も薄い。エルディナの王宮からも、三柱の監視からも……しばらくは離れられるだろう)

 レイクス=ヴァルトニアとしてではなく。

 ただの、名もなき「父」として。

 俺は小さなヴィーナの手を引き、深い森を歩き出した。

 背後で笑うセラの光が、いつもより少しだけ、透き通って見えた。

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