第4話「エゴゴブリンの村」
第4話「エゴゴブリンの村」
KR234年、春。
森を抜けた先に広がっていたのは、絶望を絵に描いたような光景だった。
かつては名もなき平和な農村だったのだろう。だが今、そこにあるのは黒焦げた家屋の残骸と、鼻を突く死の臭気だけだ。数日前まで続いていたはずの穏やかな時間は、暴力的な「エゴ」の奔流によって完全に断絶されていた。
ギィ、ギィ……。
不快な鳴き声と共に、廃屋の影から数体の怪物が這い出してきた。**エゴゴブリン**。
ある個体は異常に肥大した右腕を地面に引きずり、またある個体は獲物の衣服をマントのように羽織り、歪な優越感に浸っている。通常のゴブリンにはない、汚濁した自我の輝きがその濁った瞳に宿っていた。
「……目障りだ」
俺は歩みを止めず、右手の指に嵌まった『雷光の指輪』に意識を向ける。
魔族としての真の力を解放する必要などない。この程度の歪み、指先一つで十分だ。
パチ、と小さな火花が爆ぜた。
刹那、不可視の雷光が空を裂き、最前列のエゴゴブリンの眉間を正確に貫く。絶叫すら許さぬ一撃。
驚愕に固まる残党たちに対し、俺は無造作に右手を振った。
放たれた数条の電光は、まるで意志を持つ蛇のように軌跡を描き、残りの個体を次々と沈めていく。派手な爆発はない。ただ、静かに、確実に。死神の鎌が通った後のように、村に再び沈黙が訪れた。
「……全滅か」
死体となった魔物を見下ろし、俺は村の奥へと足を進めた。
どこを見ても、希望の欠片すら残っていないように見えた。納屋の影、井戸の底、打ち捨てられた馬車の下。どこを確認しても、冷たくなった亡骸があるだけだ。
守れなかった。
その苦い味が口の中に広がる。二百年以上生きても、この無力感にだけは慣れることができない。
だが、村の端にある、半分崩れかけた一軒の廃屋。その奥底から、微かな「音」が届いた。
木材が擦れるような、あるいは、喉を鳴らすのを必死に堪えるような気配。
(……レイクス。誰かいるわ。あそこ、地下貯蔵庫の入り口!)
セラの緊張した声が響く。
(……ああ。わかっている)
俺は慎重に廃屋の中へ入り、埃の舞う板床を剥がした。そこには小さな空間があり、ボロ布の山が震えていた。
「……生きているか」
俺が声をかけると、ボロ布がびくりと跳ねた。中から現れたのは、泥と涙で顔を汚した、五歳にも満たないであろう幼い少女だった。
少女は恐怖に目を見開き、奥の壁に背中を押し付けてガタガタと震えている。声も出せないほど、彼女の心は極限まで摩耗していた。
俺はためらい、ゆっくりと腰を落として、彼女と視線の高さを合わせた。
騎士団を率い、魔将を討ち、王と渡り合ってきた俺だが、目の前の小さな命を前にすると、どう接すればいいのか正解が一つも浮かばない。
「……怖くない。もう、外に怪物はいない。安全だ」
精一杯、声を低く、穏やかに保とうと努める。しかし、戦場に馴染みすぎた俺の声は、どこか硬く、不器用な響きを帯びてしまった。
少女は俺の瞳をじっと見つめていた。赤い瞳。魔族の血を引く俺の目は、彼女にとって別の怪物に見えているのではないか。
だが、俺の背後から差し込む日の光が彼女の頬を撫でた瞬間、少女の瞳から大きな涙が溢れ出した。
「う、あ……あうぅ……っ」
堰を切ったように、幼い叫びが廃屋に響き渡る。
(……かわいそうに。たった一人で、暗い場所でずっと耐えていたのね)
(……村で、一人だけか。生き残ったのは)
(みたい。……レイクス、そんな風にじっとしてちゃダメよ。早く助けてあげて)
セラの急かすような声に、俺は困惑した。
助ける。それはわかっている。だが、その具体的な「手順」がわからない。
敵を斬る方法なら千通りは知っているが、泣きじゃくる子供をあやす方法は一つも学んでこなかった。
「……おい。立てるか」
手を差し出すが、少女は泣き続けるばかりだ。
仕方なく、俺は彼女を抱き上げようと両手を伸ばした。
「…………」
そこで俺の動きが止まった。
どの程度の力で握れば、この細い腕を折らずに済むのか。
泥だらけの彼女を、自分の旅装のどこに密着させれば安定するのか。
(レイクス? 何してるの。早く「抱っこ」してあげてってば!)
(……わかっている。しかし、重心が……いや、壊れそうで……)
(壊れないわよ! 優しく、包み込むようにするの。ほら、やって!)
ヴァルトニアの主、伝説の半魔族レイクス。
かつてないほどに脂汗を流しながら、彼は石のように固まった手で、震える少女を恐る恐る引き寄せた。




