第7話「アルカディアの光と影」
第7話「アルカディアの光と影」
アルカディア。かつて大陸の文化と誇りの中心であったその街は、KR50年の今、深い傷跡を刻まれたまま喘いでいた。
城壁には魔族の爪痕が深く残り、崩れた石造りの家々の間には、泥に汚れた難民たちの天幕がひしめき合っている。空を覆う鈍色の雲は、人々の顔から生気を奪い、絶望の色を濃く塗りつぶしていた。
「……ひどいな。数年前までは、もう少し活気があったと聞いているが」
馬を引くリースバルトが、沈痛な面持ちで街並みを見渡す。レイクスは無言でその横を歩いた。五十年前、この街が「黒い雷雨」に呑み込まれた夜の惨状を、彼は鮮明に記憶している。燃え盛る大聖堂、逃げ惑う悲鳴、そして街中を支配した死臭。それに比べれば、今の荒廃など「まだ形を保っている」部類だった。
一行が辿り着いたのは、解放戦線の仮本部として徴用された旧領主館だ。
そこには、再起を誓う各国の戦士たちが集結していた。アルカディアの騎士、レクシアの魔術師、そして荒々しい毛皮を纏った北方の戦士。彼らの放つ熱気は、絶望の街において唯一の「光」のように見えた。
しかし、レイクスがその敷地内に足を踏み入れた瞬間、その「光」は凍りついた。
「おい、待て。……なんだ、あの少年は」
「あの銀髪……まさか、半魔族か?」
喧騒が引き、代わりに鋭い殺気と疑念が場を支配する。戦士たちの手が、無意識にそれぞれの武器へと伸びる。半世紀にわたる魔族の支配は、人々の心に、混血であるレイクスへの拭い難い「恐怖」を植え付けていた。
「やめろ! 武器を引け!」
静寂を裂いたのは、リースバルトの怒号だった。彼は迷わずレイクスの前に立ち、周囲の戦士たちを睨み据えた。
「彼はレイクス。フォルネリアへの道中、俺たちと難民を幾度も魔族から救ってくれた恩人だ! 彼は俺の仲間だ! 姿形で判断するなら、この俺が相手になる!」
リースバルトの気迫に、周囲がわずかに気圧される。だが、不信の種はまだ消えていなかった。奥から一人の大男が、重厚な戦斧を肩に担いで現れた。
「……仲間の保証など、戦場では何の役にも立たん。おい、小僧。貴様に戦う力があるのか、俺が試してやる。魔族の血を引いているなら、それなりに動けるんだろう?」
「……無意味なことはやめておけ。死ぬぞ」
レイクスの冷徹な一言に、大男の顔が怒りに染まる。大男が戦斧を振り上げ、力任せに振り下ろした。
周囲が悲鳴を上げる。だが、レイクスは一歩も引かなかった。
——刹那。
重い風切り音が止まり、戦斧が空中で制止した。
レイクスは、最小限の動きで大男の懐に潜り込み、その喉元に逆手に持った鞘の先を突き立てていた。相手が力む瞬間の隙を突き、重心を完全に制する。五十年の間、数多の戦場を見て、死線を踏み越えてきた者にしか不可能な、神速の制圧だった。
「…………なっ」
「……次はない」
レイクスが鞘を引くと、大男は力なく膝をついた。自分とこの少年の間に横たわる、埋めようのない「経験」と「実力」の差。それを悟った周囲の戦士たちは、今度は恐怖とは異なる畏怖に沈黙した。
その夜。
レイクスは騒がしい仮本部を抜け出し、一人でアルカディアの廃墟を歩いていた。
月明かりが、崩れた噴水台を青白く照らし出す。
(五十年前も、こうして月が出ていた……)
ふと、記憶が蘇る。母の手を離し、闇の中を一人で走り続けた夜。
「生きろ」と言われたその言葉だけを糧に、半魔族という疎まれる存在として、誰とも交わらず、ただ時を過ごしてきた。人間にも魔族にもなれず、時間の流れだけが自分を置いていく。
リースバルトという男が現れ、「仲間だ」と叫んだ。
その熱が、レイクスにはまだ酷く異質なものに感じられる。
「……孤独には慣れているはずなのだがな」
独り言が、冷たい夜風に消えていく。
左手の「女神の指輪」が、暗闇の中で微かに、どこか悲しげに光を放っていた。
復興の足音と、近づく戦火の気配。
アルカディアの夜は、まだ明ける気配を見せなかった。




