第6話「解放戦線の使者」
第6話「解放戦線の使者」
フォルネリア辺境侯国の中心にそびえるフォルネリウス城の一室は、精霊の守護を受けた重厚な静寂に包まれていた。だが、その静寂は、もたらされた「報せ」によって鋭く切り裂かれることとなる。
リランダの隠れ家を離れ、城に招かれたレイクスとリースバルトの前に、一人の男が立っていた。全身を黒い革鎧で固め、顔に深い傷跡を持つその男こそ、各地で胎動を始めた「解放戦線」の使者であった。
「各国から、腕に覚えのある強者が集まりつつある。アルカディアの正義漢、レクシアの魔術師、そして北方の蛮族までな。……だが、それ以上に事態は急を要する」
使者の声は、地を這うように低かった。
「魔王ザガル=モルドの直属——四大魔将『影の四翼』の一柱が、北の境界線を越えて南下を開始した」
その名が出た瞬間、レイクスの視界がわずかに歪んだ。
(ザガル=モルド……)
内面でその名をなぞるだけで、全身の血が逆流するような不快感と、魂の奥底を冷たい鎖で縛られるような感覚に襲われる。レイクスにとって、その名は単なる「魔王」ではない。自分の中に流れ、五十年間、一度として休まることなく拍動し続ける「呪われた血」の根源。すなわち、父の名でもあった。
憎悪と、拭い去れない恐怖。そして、なぜ自分をこの世に生み落とし、母を、大陸を蹂躙したのかという答えの出ない問い。レイクスの無表情な面の裏で、老成したはずの精神が、五十年前のあの日と同じ幼い痛みを持って軋んだ。
「四大魔将が動いた……。ついに、反撃の狼煙を上げる時が来たということか!」
沈黙を破ったのは、リースバルトの熱を帯びた声だった。彼は椅子から立ち上がり、使者を真っ直ぐに見据える。
「俺は、アルカディアの騎士候補生としてだけではなく、一人の人間として、解放戦線への参加を志願する! この剣が、絶望を切り裂く力になるなら、どこへでも行く!」
その熱血さに、使者は満足げに頷いた。しかし、レイクスは冷めた目で、手元の「女神の指輪」を見つめていた。
(……解放戦線か。烏合の衆が集まったところで、あの『影』に届くとは思えん。だが、奴らが動くというなら、俺もいつまでも隠れているわけにはいかない)
父の軍勢が動けば、自ずと自分の居場所も狭まる。それは五十年の経験から学んだ、逃れようのない現実だった。
部屋を退出したレイクスは、そのまま迷いのない足取りで自室へ戻った。
無言で簡素な荷をまとめ、腰の剣を確かめる。その背中に、扉際で見守っていたリランダが声をかけた。
「……行くのかい、レイクス?」
その問いに、レイクスは手を止めなかった。
「……長居しすぎた。それに、掃除の続きが必要なようだ」
「ふふ、強がりね。でも、一人で戦うことだけが『強さ』じゃないって、そろそろ認めたらどうかしら?」
リランダの翡翠色の瞳には、すべてを見透かしたような慈しみが宿っていた。彼女はレイクスが背負う血の重さを、誰よりも知っている。
城の門扉へと向かうレイクスの前に、息を切らしたリースバルトが走り寄ってきた。
「レイクス! 待ってくれ! お前、まさか一人で行くつもりじゃないだろうな。解放戦線の本隊と合流するなら、道中も危険だ、俺たちが——」
「……リースバルト」
レイクスが静かにその名を呼ぶ。リースバルトは言葉を呑み込み、足を止めた。
「俺の歩調は、普通の人間には早すぎる。ついてこられるか?」
一瞬の静寂の後、リースバルトの顔に弾けるような笑みが浮かんだ。
「当たり前だ! 俺の脚力を舐めるなよ。……地獄の果てまで、付き合ってやる!」
「地獄は、五十年前にもう見た」
短く吐き捨て、レイクスは歩き出す。だが、その足取りは以前のような「拒絶」に満ちたものではなかった。
「少しだけだ。……少しだけ、付き合ってやる」
銀髪の少年と、黒髪の騎士。
対照的な二人の影が、精霊の森を抜け、嵐の予感に満ちた平原へと伸びていった。




