第19話「大陸に残る影」
第19話「大陸に残る影」
KR230年。北翼将リルの消滅は、大陸に束の間の静寂をもたらした。しかし、それは決して平穏の訪れを意味するものではない。深淵に潜む魔族たちは、リルの脱落すらも一つの駒として扱い、より巨大な盤面を描き始めていた。
ヴァルトニア邸の深夜。窓の外では不自然なほど凪いだ夜が広がっている。
レイクスの執務室に、冷たい外気と共にゼフィールが姿を現した。
「……旦那様。不穏な動きが、全大陸規模で加速しています」
レイクスは書状を置き、赤い瞳を影へと向けた。
「言え」
「四大魔将が一人、ガルム=ネクロスが……古代の禁忌儀式を再開しました。死者を弄び、魂を糧とする冒涜の術法です。魔王の力を増幅、あるいは再定義するための儀式と推測されますが、場所は依然として特定できておりません」
ガルム。死霊を操り、生者を絶望の淵へと叩き落とす「屍の魔将」。
レイクスは軽く椅子に身を預けた。
「……もう一人はどうした。星詠みのヴェイルは」
「ヴェイル=アスタロト……。あの魔将は、未だ直接の行動を見せていません。しかし、各地で起きている小規模な衝突が、ある一点に向かって収束しているように感じられます。まるで、戦局を先読みし、我々をあるべき場所へと誘導しているかのように」
「……あいつの計算か」
レイクスは短く吐き捨てた。
ヴェイル。運命を読み、戦局を絶対の勝機へと導く知略の怪物。
かつての戦いでも、あいつの手のひらから抜け出すのは容易ではなかった。
「……今の状況は、すべて奴の計算の上か。俺たちがリルを討ったことすらも」
(なんか……嫌な予感がする、レイクス)
胸の奥で、セラの不安げな声が響いた。
(俺もだ。嵐の前の静けさというには、あまりに冷えすぎている)
(でも……今のあなたには、三柱の仲間がいるわ。百年前とは違うのよ)
「……ああ」
レイクスは部屋の扉を見据えた。
そこには、命じずとも集結したセバスとアルトミュラーの姿があった。
「セバス。領内の情報網を最大展開しろ。僅かな違和感も逃すな」
「承知いたしました、旦那様。ヴァルトニアの領土を汚す影、すべて洗い出してみせましょう」
セバスが静かに一礼する。
「アルトミュラー。騎士団の練度を上げろ。いつ、どこに叩きつけることになるか分からん」
「騎士団『一騎当千』、全五百名が即応体制にあります。……旦那様、いつでも命じられよ」
アルトミュラーが巨躯を震わせ、武人としての誇りを口にする。
「……今は、エルディナへの直接の脅威になった時にのみ動く。無意味な消耗は、奴らの思う壺だ。だが、いずれ来る。その時を逃さぬよう、準備をしろ」
三人がそれぞれの持ち場へと戻ろうとした際、ゼフィールが最後にもう一つ、影の中から声を上げた。
「……旦那様。もう一つ報告があります。大陸南部において、エゴゴブリンの群れが異常な速度で急増しています。既にいくつかの村が襲撃を受け、壊滅したとの情報が入っております」
「エゴゴブリンか……」
レイクスは地図の南端に視線を落とした。
通常のゴブリンとは異なり、人間の負の執着を魔力に変えて異能を発現させる変異体。それが群れを成し、組織的に動いている。その事実が、かつてない不気味さを漂わせていた。
「様子を見る。……奴らの『エゴ』が何に引き寄せられているのか。それが四大魔将の策の一部か、あるいは別の何かか」
大陸の南、人々の記憶から忘れ去られようとしている荒野の果て。
そこには、運命という名の糸に導かれた「再会」が、レイクスを待っていた。
KR232年。
百三十年の歳月を費やし、次代へと志を繋いできた「継ぐ者たち」の物語が、今、静かに凪の時間を終えようとしていた。
ヴァルトニア家の盤石なる「三柱」が揃い、継承の儀を終えた物語は、ここに静かな終わりを迎える。
だが、安息は長くは続かない。
運命の歯車は、失われた神の遺産と一人の少女を巡る新たな動乱へと、重々しい音を立てて回り始めた。




