第15話「北翼将リルとの最終決戦②」
第15話「北翼将リルとの最終決戦②」
迷宮の最深部は、物理法則が崩壊した精神の吹き溜まりとなっていた。
黒雷と幻影の衝突。レイクスが放つ圧倒的な魔力によって迷宮は絶えず震動し、焼けた大気がオゾン臭を漂わせる。
宙に浮くリルは、深手を負いながらも恍惚とした笑みを浮かべ、その両腕を広げた。
「ふふ……あははは! 素晴らしいわ、レイクス。その力、その瞳。私が欲しかったのは、あなたのその『本気』よ。……さあ、見せてあげる。私が百年、あなたの影を追い続けて完成させた最高傑作を!」
リルの魔力が極限まで励起し、迷宮内の霧が形を成していく。
それは単なる化け物の幻ではない。レイクスの記憶の深淵、彼が「守れなかった」と悔恨する過去の残滓の再現だった。
「あなたが過去に失った全てを……ここで再会させてあげるわ」
霧の中から、かつて彼を庇って命を落とした母が現れる。
傍らには、穏やかな笑みを浮かべた生前のセラの姿。
そして、威風堂々とした立ち姿で剣を携える英雄リースバルト。
彼らは無言で、しかし慈愛に満ちた、あるいは責めるような眼差しでレイクスを見つめる。
アルトミュラーが「……これは」と巨剣を構え直し、影の中でゼフィールが息を呑むのがわかった。死者を冒涜する最悪の幻影。
しかし、レイクスは動じなかった。
「……全部知っている」
レイクスは静かに歩を進める。幻影たちが伸ばす手を見つめ、その瞳に迷いの色は微塵もない。
「お前が幻を作る必要はない。母の温もりも、リースの背中も、セラの隣も……。全部、俺の中にある。俺はもう、何一つ手放していない」
不老の旅路で得た絆は、失われることで消えるほど柔ではない。それらはすでに、彼という存在を構成する芯となっていた。
(レイクス)
脳裏に響く本物のセラの声。
(……見ていろ。今の俺を)
レイクスがストームリングに左手を添え、低く呟いた。
「……それは、させない。死者の安らぎを、お前の愉悦の種には」
トリガーが引かれた。
爆ぜたのは、ただの雷ではない。意思を持った黒い稲妻の濁流だ。それはリルの生み出した「過去の幻」の全てを一片の容赦もなく貫き、浄化するように焼き尽くしていった。
「が、はっ……!」
核であった幻影を破壊され、リルが地面に叩きつけられる。迷宮がガラス細工のように砕け散り、周囲は元の冬の荒野へと戻っていった。
雪の上に横たわるリルの体は、霧のように希薄になり始めている。
レイクスは彼女の傍らに立ち、赤い瞳で見下ろした。
「……なんで。あなたにとって……私は、何だった……?」
消え入りそうな声で、リルが問う。その瞳からは、かつての残酷な愉悦は消え、ただ一人の理解者を求めた少女のような孤独が滲んでいた。
「……敵だ。しかし」
レイクスは僅かな沈黙の後、続けた。
「お前は俺に、過去と向き合う機会を何度もくれた。俺が俺であることを忘れないよう、鏡のように立ち塞がった。……悪い敵ではなかった」
リルは目を見開き、やがて満足げに、かすかな笑みを浮かべた。
「……ふふ。……そう。それで十分、かな。……あの日、あなたに殺されるべきだった私を……ここまで連れてきてくれたんだから……」
それが、北翼将リル=ナーレスの最期の言葉だった。
彼女の体は細かな光の粒子となって冬の風にさらわれ、後に残ったのは、冷たい雪の上に落ちた、もう動くことのない魔道具の破片だけだった。
(……終わったわね)
「……ああ」
(リル……。なんか、不器用で、複雑な子だったわね。結局、あなたに本当の意味で向き合って欲しかっただけなのかも)
「……そうだな」
レイクスは静かに空を見上げた。かつて解放戦線時代に大陸を恐怖させた四翼将。その最後の一柱が、今ここに潰えたのだ。
足音が近づき、アルトミュラーが巨剣を背負い直しながらレイクスの横に並んだ。
「お見事でした、旦那様。……これで四翼将は全員、討伐完了ということですか」
「……ああ」
レイクスは、霧散していくリルの魔力の残滓を感じながら、その視線をさらに「先」へと向けた。
「だが、四翼将はあくまで先兵だ。残るは……四大魔将の三名。ヴェイル、ガルム、そしてシャーラ」
一騎当千の騎士団、そして三柱。
戦力は整った。しかし、リルの死は、大陸の裏側で糸を引く「紅の外交卿」シャーラにとって、次なる謀略の合図に過ぎないことを、レイクスは直感していた。




