第14話「北翼将リルとの最終決戦①」
第14話「北翼将リルとの最終決戦①」
KR215年の冬。エルディナ聖王国の平穏は、あまりにも唐突に、そして暴力的に引き裂かれた。
国境付近の街道が一夜にして「幻影の迷宮」へと変貌し、物流は途絶。霧の中から現れる異形の軍勢が、エルディナの喉元を締め上げようとしていた。
ヴァルトニア邸の地下会議室。ゼフィールが実体化すると同時に、周囲の温度が急速に下がる。
「……旦那様。リルが、ついにエルディナを直接の標的に定めました。迷宮の最深部に彼女の本体を確認。シャーラが供給した魔道具により、幻術の規模がかつての数倍に膨れ上がっています」
レイクスは椅子から立ち上がり、窓の外の不自然な深い霧を見据えた。その瞳には、すでに常人のそれとは異なる、鈍い紅色の輝きが宿っている。
「……来るか」
かつてラバリーアを焦土に変えた魔族の将。百年の時を経て、なおその執着を捨てぬ魔女。
レイクスの右手の指輪が、主の静かな怒りに呼応して高周波の唸りを上げた。
「……それは、させない」
## その一言と共に、レイクスの周囲の空気が重く、熱く、歪んだ。
エルディナ近郊の平原。
迷宮の入り口では、ヴァルトニア騎士団五百名が、漆黒の竜鱗鎧を纏った巨漢――アルトミュラーの下に集結していた。
視界を奪う銀世界の霧。そこから、かつて死んだはずの戦友や、愛する家族の幻影が這い出し、騎士たちの心を激しく揺さぶる。
「動揺するな!」
アルトミュラーの怒号が、霧を切り裂いた。彼は背負った巨剣を抜き放ち、地面へと突き立てる。
竜血が沸き立ち、彼の鎧の隙間からどろりとした漆黒の熱気が放射された。
「幻術に惑わされるな。偽物の声に耳を貸すな! 俺が前にいる。俺が、貴様らの不落の盾だ。……俺の背中だけを見ろ!」
文字通り「竜壁」となったアルトミュラーの背中は、五百の騎士たちにとって、この迷宮で唯一の真実だった。アルトミュラーが巨剣を振るうたびに、炎と雷が混じり合った一撃が幻影を焼き払い、騎士団は一歩も崩れることなく、迷宮の奥底へと突き進んでいく。
一方、迷宮の「隙間」では、目に見えぬ死闘が繰り広げられていた。
霧そのものが刃となり、影が触手となって絡みつく。ゼフィールは姿を見せぬまま、リルの展開する幻術の「核」を次々と断ち切っていた。
「……お前の影遣いは本物だな、ゼフィール。ヴァルトニア家には、いつからあんな化け物が居着いたのかしら」
虚空から降るリルの声に、ゼフィールは影の底から冷徹に応じる。
「貴方こそ。百年経っても、その底意地の悪さは衰えていないようだ」
迷宮の中央。
鏡のように静まり返った空間に、レイクスは一人で立っていた。
目の前の霧がゆっくりと晴れ、そこには百年前と変わらぬ、しかしどこか虚脱した美しさを湛えたリルが浮遊していた。
「ねえ……レイクス。私がこの長い、長い時間の中で、本当に欲しかったものが何かわかる?」
リルは子供が問いかけるような無邪気さで微笑んだ。
「……わからない。お前の愉悦など、俺には理解できない」
「ふふ。愉悦? そうね、昔はそうだったわ。でも、今は違う。……私が欲しかったのは、あなたに勝つこと。それだけよ」
「……それが、エルディナを襲う目的か」
「違うわ。それは……手段」
リルの瞳から笑みが消え、底知れぬ深淵のような「渇望」が顔を出す。
「私が欲しかったのは……」
彼女がその答えを口にすることなく、レイクスの足元から巨大な氷の棘が噴出した。
同時に、千もの幻影の刃が四方八方からレイクスを襲う。
瞬間、レイクスが指輪に込めた魔力が限界を超えて励起した。
少年の姿をした深淵から、物理的な重圧を伴う「黒雷」が爆発的に吹き荒れる。それは周囲の幻像を一片の慈悲もなく消滅させ、迷宮そのものを内側から焼き焦がしていった。
「話は終わりだ、リル」
黒雷と幻影。
百年の因縁を懸けた最終決戦の、火蓋が切られた。




