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レイクス戦記  作者: ゆう
第3章「継ぐ者たち」

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第10話「中間章・200年の孤独と祈り」

第10話「中間章・200年の孤独と祈り」


 黒い雷雨暦(KR)210年。

 かつて魔王の軍勢がラバリーア大陸を蹂躙し、絶望が世界を覆っていたあの日から、すでに二百年の時が流れた。

 人間にとっての二百年は、国家が興亡し、言語が変容し、何世代にもわたる血筋が紡がれる悠久の時だ。しかし、不老の呪いか、あるいは祝福か――十五歳の少年の姿を維持し続けるレイクス=ヴァルトニアにとって、それはあまりに静謐で、それでいてひどく不確かな感覚だった。

 エルディナ聖王国の外れ、月の光が青白く降り注ぐヴァルトニア家の墓所。

 レイクスは、その中心にひっそりと佇む一柱の石碑の前に座り込んでいた。

 碑文は年月によって削れ、苔が端を飾っているが、レイクスの指先が触れる場所だけは、常に磨き上げられたように滑らかだった。

「……また、この季節か」

 夜風がレイクスの銀髪を揺らす。指先に宿る冷たい石の感触が、自分が今もなお「時間」の中に存在していることを教えてくれる。

(二百年……長かった?)

 不意に、脳裏に直接響く鈴のような声。レイクスの心の拠り所であり、たった一人の「光」――セラの声だ。

「……長い。しかし、短くもあった」

 レイクスは膝を抱え、星が瞬く夜空を見上げた。その瞳には、二百年という数字に見合うだけの重厚な知性が宿っている。

(どういう意味?)

「覚えきれないほどの日々を過ごしたはずだ。だが、脳裏に残っているのは、連続した時間ではない。……点だ。点のような出来事の集積に過ぎない」

 レイクスは、まぶたを閉じる。

「リースと出会った日の、あの土埃の匂い。お前の声が初めて聞こえた時の、内側から弾けるような衝撃。……孫リースが初めてスターレットを握り、剣を光らせた瞬間のあの清冽な空気。ルインが試験に来た時の、あの揺るぎない眼差し……」

 レイクスの脳裏に、いくつもの「点」が浮かぶ。

「セバスの奴が『ハーフエルフですので、寿命については多少の融通が利きます』と言って、当然のように俺の傍に立ち続けていること。……俺は、時間という概念ではなく、誰かと交わした出来事で生きている気がする」

(それが人生ってことかもね、レイクス)

 セラの声は、慈しむように優しかった。

 彼女は肉体を失い、レイクスの魂に寄り添う存在となってから、彼が歩んできたすべての苦難と孤独を分かち合ってきた。

(疲れた?)

 その問いに、レイクスはすぐには答えなかった。

 十五歳の少年の体は、どれほど激しく戦っても、一晩眠れば、あるいは魔力を巡らせれば元通りになる。だが、魂の磨耗までは防ぎきれない。

「……疲れはしない。だが」

 レイクスは、そっと自分の胸に手を当てた。

「たまに……重くなる。自分が生き続けていることではなく、見送ってきた者たちの重みだ。彼らが遺した想いや、託された言葉が、この体に一つずつ積み重なっていく」

(私のせい?)

「違う。……逆だ。お前がいるから、俺はこの重みに耐えられる。お前の声があるから、魂が地面に沈み込まずに済んでいる。お前がいるから……俺の心は軽い」

(……ありがとう、レイクス)

 墓所に、柔らかな光が満ちたような気がした。

 レイクスは、自分がなぜ二百年も生き長らえているのかを自問することがある。

 魔王の呪縛を解くため。

 エルディナを守るため。

 あるいは、リースバルトとの約束を果たすため。

 それらはすべて正解だが、同時に、本質ではないような気もしていた。

「守るため、だと言えば綺麗だ。しかし実際は……ただ、止まる勇気がなくて、歩き続けることしかできなかっただけかもしれない」

(それで十分よ。歩き続けることが、守ることだから。あなたが歩くたびに、その足跡から新しい命や希望が芽生えている。私は、それをずっと隣で見ているわ)

 セラの言葉は、レイクスの心に深く染み渡った。

 二百年。かつての戦友たちは皆、安らかな眠りについた。

 リースバルト、ラウル、アドリアン。

 彼らが老い、衰え、そして笑いながら死んでいく様を、レイクスは一等身近な場所で見守ってきた。自分だけが変わらぬ姿で取り残される寂しさは、慣れることのない鋭い棘のように、時折胸を刺す。

 だが、その棘があるからこそ、自分はまだ「人」としての心を繋ぎ止めていられるのだとも確信していた。

 草露が降り、東の空が僅かに白み始めた頃。

 音もなく、一人の男がレイクスの傍らに近づいた。

 初老の落ち着きと、老いを感じさせない鋭さを併せ持つハーフエルフ――セバス=グレイウィンド。

 彼はレイクスの許しを乞うこともなく、ただ自然な所作で主君の少し後ろに座り込んだ。

 二人の間に、言葉は必要なかった。

 星が一つ、また一つと朝の光に溶けていくのを、主従は並んで眺めていた。

「……セバス」

「はい、旦那様」

 レイクスは視線を空に向けたまま、静かに問いかけた。

「お前は何のために、これほど長い間、俺に仕えている。お前の人生の大半を、俺という『不変』のために費やして、後悔はないのか」

 セバスは、柔らかく目を細めた。その表情は、執事としての完璧な仮面ではなく、共に時を歩んできた戦友としてのそれだった。

「……主がいるから、でございます。そこに旦那様がおられ、私を必要としてくださる。それ以外に、私がこの世に在る理由はございません」

「……」

「旦那様が歩まれる道がどれほど険しく、どれほど長くとも、私は常に三歩後ろに控えております。それが私にとっての最上の人生ですので」

 レイクスは、長い沈黙に浸った。

 かつて孤独の深淵にいた自分に、手を差し伸べてくれた者たちがいた。その手は、時代を超えて今のセバスやゼフィール、そして騎士団の者たちへと繋がっている。

「……そうか」

 レイクスは、ゆっくりと立ち上がった。

 膝についた砂を払い、夜明けの冷たい空気を深く吸い込む。

「行くか」

(どこへ?)

 セラの問いに、レイクスは僅かに口角を上げた。それは、二百年前の「少年」には決してできなかった、穏やかで強い決意の表情だった。

(……どこへでも。俺の足が動き、お前の声が届く限り。歩けるうちは、どこまででも行く)

 レイクスが歩き出すと、セバスもまた影のように寄り添う。

 二百年の孤独は、もはや彼を蝕む敵ではない。

 それは、明日を守るための、慈しみ深い祈りへと変わっていた。

 朝陽がヴァルトニアの墓所を照らし出す。

 レイクスの背中には、託された無数の「点」が、星座のように輝いていた。

 ─ 孤独を知る者は、誰よりも強く結びつきを求める。

 ─ 安らぎの時間は終わり、運命の時計が再び大きな音を立てて動き出そうとしていた。

 ─ 次の「点」は、黒鋼の鱗を持つ、誇り高き竜の戦士。

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