第3話「マルターレス家の代替わり」
第3話「マルターレス家の代替わり」
不老の者にとって、時間は川の流れのように一定ではない。ある時は緩やかに淀み、ある時は激流となって、大切なものすべてを奪い去っていく。
KR110年を過ぎた頃から、アルカディア領を訪れるたびに、レイクスは「時間の質量」を突きつけられるようになった。最初にそれを感じたのは、二代目当主ラウルの変化だった。かつて父リースバルトの背中を追っていた精悍な男も、今やその髪に混じる白が黒を凌駕しつつある。執務室でペンを握る手には深い皺が刻まれ、眼鏡越しに見るその瞳は、確実に衰えの兆しを見せていた。
さらに十年が過ぎ、KR120年。孫リースが正式に三代目当主の座を継いだ。二十歳の頃の青臭さは消え、その体躯は鎧が窮屈に見えるほどに逞しくなった。彼の傍らには、穏やかに微笑むエレオノーラがいる。彼女もまた、領民から「アルカディアの慈母」と慕われる立派な貴婦人へと成長していた。
ある夜、屋敷のバルコニーで、レイクスと孫リースは二人きりで夜風に当たっていた。三代目当主となったリースが、ふと隣に立つ不変の少年に問いかける。
「先生は……寂しくないのですか。私たちはこうして、先生を置いて瞬きするように老いていく」
レイクスの視線は、遠くの街明かりに向けられていた。十五歳のままの横顔は、彫刻のように無機質だ。
「……俺に寂しいという感情があるかどうか、自分でもわからない」
「あると思います」
リースは迷いなく言った。
「寂しくなければ、これほど長い間、私たちの成長を見届けに来てはくれません」
レイクスは長い沈黙を置いた。胸の奥で、セラの鈴のような声が小さく響く。
(……図星ね、レイクス)
内なる声に背を向け、レイクスは短く「……そうかもしれない」とだけ呟いた。
さらに時は加速する。KR125年。エレオノーラがエルディナ聖王国の有力貴族へと嫁ぐことが決まった。それは、アルカディアとエルディナ、二つの国に跨る「絆」の象徴でもあった。
エルディナで行われた祝宴。純白のドレスに身を包んだ彼女の前で、レイクスは不器用に立ち尽くしていた。
「……これを持っていけ。守りになる」
差し出したのは、魔除けの加護を施した小さな護符だった。
「まあ、ありがとうございます、レイクス様。これからは同じエルディナの地におりますのね。時折、あなたの邸へお茶を飲みに行ってもよろしいかしら?」
「……。セバスが良いと言えばな」
(お祝いの言葉、もう少し上手く言えないの? おめでとう、とかさ。同じ国に住めるんだから嬉しいでしょ?)
(……うるさい。物があれば十分だ)
(もう、素直じゃないんだから。でも、彼女が近くにいてくれるのは、あなたにとっても救いになるはずよ)
不器用な主人の代わりに、心の中のセラが温かく彼女を祝福していた。
そしてKR127年。アルカディアに新たな命が産声を上げた。三代目当主リースの息子、四代目候補となるアドリアンである。数年後、初めて対面したアドリアンは、まだ幼いながらも父や祖父とは違う「鋭さ」を瞳に宿していた。
「……おじちゃん、だれ?」
「……レイクスだ」
屈み込んで子供の視線に合わせる。アドリアンは怖がることもなく、レイクスの赤い瞳をじっと見つめ返してきた。
「おじちゃん、つよそう。ぼくもつよくなれる?」
「……お前次第だ」
短く突き放しながらも、レイクスはその小さな肩に手を置いた。この掌の感触も、あと数十年もすれば硬く、逞しく変わっていくのだろう。そして最後には、また土に還っていく。
KR130年。隠居し、寝台で過ごすことが多くなった二代目ラウルの元を、レイクスは訪れた。死期を悟った老人は、かつての「先生」の手を弱々しく握った。
「レイクス様……。わがままばかり言う父と私を、そして、息子たちを……。先生に頼んで、本当によかった」
ラウルの瞳に、満足げな涙が浮かぶ。レイクスはその言葉を真正面から受け止め、何も言わずに一度だけ深く頷いた。
リースバルトとの約束は、こうして世代を超えて守られ続けている。人は死ぬ。家も変わる。だが、その底流にある「義」の心だけは、レイクスという不変の岩が堰き止めることなく、次代へと流し続けていた。
レイクスは、眠りについたラウルの部屋を後にした。背負うべき「魂の記憶」が、また一つ増えたことを実感しながら。
─ 時代は流れる。
─ ヴァルトニアの伝説は語り継がれ、マルターレスの血は広がり続ける。
─ だが、真の脅威は、平和に慣れた人間たちの死角から忍び寄っていた。




