第2話「孫リースの剣、開花する」
第2話「孫リースの剣、開花する」
KR100年。英雄リースバルトが風に還ったその翌日。
アルカディアの空は、悲しみさえも洗い流すような澄み渡った青が広がっていた。
マルターレス家、謁見の間。二代目当主であるラウルは、厳粛な面持ちで一つの長櫃の前に立っていた。その中には、かつて解放戦線の最前線で魔族を切り裂き続けた「正義(義)の剣」――スターレットが静かに眠っている。
「リース。……前へ」
父に呼ばれ、十三歳の少年――孫リースが膝をつく。その背後には、同じく目を赤く腫らしながらも兄を見守る十二歳のエレオノーラの姿があった。
「我がマルターレス家の家訓は『功により栄え、義により在る』。父上……お前の祖父は、その生涯をもってこれを示された。今日、この剣をお前に託す。……抜いてみよ」
リースは震える手で、純銀の装飾が施された柄を握った。重い。物理的な質量以上に、一人の英雄の人生そのものが詰まったような重圧。だが、リースが覚悟を決めて引き抜いた瞬間、鞘から溢れ出したのは、濁りのない清冽な光だった。
スターレットが持ち主を選んだのだ。この少年の心に、祖父と同じ「清き心」が宿っていることを証左するように。その様子を、部屋の隅で腕を組んで見ていたレイクスは、沈黙をもって肯定とした。
数日後。マルターレス家の訓練場に、二人の姿があった。
「お前の祖父は……この剣を持つに値した。例えどれほど汚れた戦場にあっても、奴の魂は一度として錆びつくことはなかったからな」
レイクスは訓練用の木剣を無造作に構える。その姿は、十五歳の少年そのものだが、放たれる威圧感は対峙するリースを竦ませるに十分だった。
「お前がこの剣を持つに値するかどうかは、お前自身が証明しろ。……来い。本物の稽古をつけてやる」
それが、十年に及ぶ「継承」の始まりだった。
**KR103年。孫リース、十六歳。**
少年から青年へと差し掛かる身体を躍動させ、リースはレイクスの懐へと飛び込んだ。何度も地面を舐め、木剣を折られ、絶望的な実力差に涙した三年間。だが、この日、リースの放った一撃が、レイクスの頬を僅かに掠めた。
「……当たった」
呆然とするリース。レイクスは掠れた頬を指で拭い、小さく頷いた。
「足腰が安定したな。……だが、慢心すれば次は腕が飛ぶぞ」
突き放すような言葉。だが、その裏にある確かな進歩への評価を、リースは聞き逃さなかった。
**KR107年。孫リース、二十歳。**
レイクスは、ヴァルトニア領での政務や騎士団の選別のため、常にアルカディアに留まれるわけではない。数ヶ月ぶりに訪れたアルカディアの訓練場。夜の帳が下りる中、月明かりを浴びて一人、一心不乱にスターレットを振るうリースの姿があった。
その背中は、かつてのリースバルトを彷彿とさせた。誰に命じられたわけでもない。ただ、己に課した「義」を貫くための研鑽。
(孫リース……リースに似てきたわね。あの無骨なまでのひた向きさ)
胸の奥で、セラの優しい声が響く。
(……ああ。目が同じだ。曇りがない)
レイクスは声をかけず、影の中から静かにその成長を見守り続けた。
**KR110年。孫リース、二十三歳。**
リースの剣は、もはや迷いのない一閃へと昇華されていた。隣で見守る二十二歳のエレオノーラもまた、立派な淑女へと成長していた。彼女はレイクスの教えを守り、どれほど政争に巻き込まれようとも、決して「人を信じる心」を捨てなかった。その輝きは、殺伐とした時代の光となっていた。
手合わせを終え、レイクスは手にした木剣を置いた。
「もう教えることはない。……型は完成した。あとは、お前がその剣で何を斬るかだ」
「……先生」
リースは深々と頭を下げた。彼にとって、レイクスは祖父の盟友であり、人生の導き手でもあった。
「先生。……いつかまた、ここへ来てくれますか。僕が迷った時、あるいは、大きな壁にぶつかった時」
レイクスは、若き騎士となったリースの瞳を真っ直ぐに見据えた。
「お前が守るべきものができた時、来い。エルディナの、ヴァルトニアの門を叩け。……だがな、リース。その時、例え俺がいなかったとしても、お前はもう一人で戦えるはずだ」
レイクスの言葉は冷たい突き放しではない。不老の存在である自分が、いつまでも人の世に関与し続けることの危うさを知っているがゆえの、最大級の信頼であった。
「……はい。約束します。このスターレットに誓って」
リースが腰の剣を握り、誓いを立てる。その横でエレオノーラが穏やかに微笑み、レイクスを見送る準備を整えていた。
一人の男が死に、その意志が若い芽へと引き継がれる。不老の者が見届ける「時間の流れ」は、時として残酷だが、時としてこのように美しい連鎖を見せる。レイクスは、成長した二人を背に、再びエルディナへと馬車を走らせた。
─ KR110年。孫リースはアルカディアの若き獅子として名を馳せ始める。
─ しかし、北の地では、かつて討ち漏らした因縁の影が、再び胎動を始めていた。




