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レイクス戦記  作者: ゆう
第2章幕間 

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第3話「黒銀の誇り・戦死者ゼロの記録」

第3話「黒銀の誇り・戦死者ゼロの記録」


 KR130年。エルディナ聖王国の空は、かつての絶望的な黒雲が薄れ、柔らかな光が差し込む日が増えていた。しかし、地上の平穏は依然として、見えない刃の上で保たれている。

 ヴァルトニア伯爵邸の広大な練兵場には、四百名の騎士たちが整列していた。

 彼らが纏うのは、鈍い光を放つ黒銀の甲冑。それは、いかなる国の正規軍とも異なる、ヴァルトニア家独自の誇りの象徴であった。

 整列するだけで、場の空気が重力を持ったかのように変わる。人間、エルフ、ドワーフ、獣人――。本来ならば言葉さえ通じ合わぬこともある異種族たちが、ここでは一つの呼吸、一つの意志を持って立っている。

「……壮観でございますね、旦那様」

 バルコニーから見下ろすセバスが、静かに言った。レイクスは無言で、その四百の黒銀を見つめていた。

 この家では、種族の壁は食事の場にさえ存在しない。訓練の後、彼らは同じ大きなテーブルを囲み、同じ釜の飯を食う。それがセバスの徹底した教育であり、レイクスが許容した「ヴァルトニアの流儀」だった。

 訓練の喧騒の中、一人の新人騎士が先輩の肩を叩いた。

「……なぁ。本当に、この騎士団には死者がいないって本当なのか?」

「ああ。記録上も、事実としてもな」

 先輩騎士は、黒銀の籠手を磨きながら淡々と答えた。新人は信じられないといった風に首を振る。

「戦死者が一人もいない。俺がここを志願したのは、その噂を聞いたからだ。運が良いのか、それとも……」

「運? 違うな。強いから死なないのではない」

 先輩騎士は手を止め、真っ直ぐに新人の目を見た。

「主が……レイクス様が、俺たちを『守らせてくれている』からだ。誰一人置いていかない。その誓いが、俺たちの防具よりも硬い盾になっているんだ」

 その言葉の真意が試される時が来た。

 KR140年。エルディナ北部の峻険な山岳地帯に、魔王亡き後の残党軍――五百名を超える魔族の大軍が侵攻した。彼らは餓えた獣のように村々を焼き、聖王国の守備隊を蹂躙した。

 出撃したのは、ヴァルトニア騎士団二百名。

 指揮を執るのは執事長セバス。そして影には、ゼフィール率いる隠密隊が潜む。

 戦地は凄惨を極めた。敵は死を恐れぬ狂戦士の集団であり、その数は騎士団の倍以上。

「各隊、定位置へ! 飛竜隊、上方より敵後衛の分断を開始せよ!」

 セバスの鋭い号令が飛び、黒銀の翼を広げた飛竜たちが空を覆った。地上では、第一騎兵隊が鉄の奔流となって正面から敵陣を突き崩し、第二騎兵隊が鮮やかな弧を描いて側面を包囲する。後方からは魔法師隊が、精密な魔力制御による広域支援を展開し、歩兵隊はセバスが構える本陣を岩のように守り抜いた。

 しかし、激戦の中で数人の騎士が包囲され、深い傷を負った。

「ぐっ……、俺はここまでだ。お前らは行け!」

 一人の若き戦士が、膝をつき、迫り来る魔族の刃を前に叫んだ。

「馬鹿を言うな!」

 隣にいたドワーフの重装歩兵が、巨大な盾を叩きつけて割り込んだ。

「この家で誰かを置いていく奴は、セバス様に顔向けできん。立て、小僧! お前の背中は俺が守る!」

 二百名が、五百名を退ける。それは単なる武力の差ではなく、隣に立つ仲間への絶対的な信頼から生まれる「崩れぬ陣形」の勝利だった。ゼフィールが影から敵指揮官の喉元を寸断した瞬間、均衡は決定的に崩れた。

 戦闘が終わった後の戦場には、静寂と硝煙が立ち込めていた。

 セバスは返り血を拭うこともせず、全隊員の前に立った。

「……全員いますか」

 いつもの穏やかな紳士の声が、少しだけ低く響く。

「第一小隊、全員います!」

「第二小隊、欠員なし!」

「飛竜隊、帰還確認!」

 次々と上がる報告に、セバスはふっと目を閉じ、わずかに、本当にわずかに声を震わせた。

「……よくやりました。全員で、我が主の元へ帰りましょう」

 戦場跡に、一人の少年が現れた。レイクス=ヴァルトニアである。

 彼は血の臭いが立ち込める中、無言で歩き、手当てを受ける負傷者たちの間を通り抜けた。

「……全員生きているか」

「はい。負傷者は十四名。ですが、命に別状はありません。全員、自力で戻れます」

 セバスの言葉に、レイクスは騎士団員一人ひとりの顔を見渡した。恐怖に耐え、誇りを守り抜いた者たちの瞳。

「……よし」

 短く、それだけを告げてレイクスは踵を返した。

(よかった……本当に。誰も欠けなくて)

(……ああ。……セバスが、よくやった)

(ふふ、素直じゃないんだから。でも、あなたのその『よし』の一言、みんなの心に深く響いたみたいよ?)

(……余計なことは言うな、セラ)

 その夜、邸の医務室や食堂では、騎士たちが互いの無事を祝い、傷の手当てを行っていた。

「なぁ、なんで俺たちは死なないんだと思う?」

「主が最後に確認に来るからだろ」「セバス様が地獄まで追いかけてきそうだからな」「いや、隣の奴が馬鹿みたいに盾を出してくるからだ」

 様々な冗談が飛び交うが、全員の顔には共通した誇りがあった。この家だから死ねない。この主君のためなら、何度でも生き残って見せる。

 深夜、月明かりだけが照らす書斎で、レイクスは独り、アルカディアから届いた書簡を眺めていた。

 扉が開き、セバスが静かに入ってくる。

「主……今日も全員、でした」

「……ああ」

「これからも、そうあり続けたいと思っています。それが執事としての、私の『義』でございます」

 レイクスは書簡から目を上げ、セバスをじっと見つめた。

「……俺も、そう思う。お前たちが欠けるのは……好まない」

 滅多に感情を言葉にしないレイクスの「本音」に、セバスは深く、幸せそうに微笑んだ。

「……かしこまりました。主の御心のままに」

 翌朝、レイクスは庭園の木陰で、一枚の古い紋章に指を触れていた。

 マルターレス家の紋章。

 リースバルトが死の間際に遺した言葉が、風に乗って蘇る。

「リースが俺に言った。孫リースとエレオノーラを頼む、と」

 リースバルトの孫、リース。あの日、まだ小さかった少年は、今や十五歳。ちょうど、レイクスがその姿を止めた年齢になった。

「……そろそろ、剣を本格的に教える時期か」

(楽しみね、レイクス。あの子、あなたにそっくりな真っ直ぐな瞳をしてるもの)

(……うるさい。教育など、面倒なだけだ)

(あら、でも口元が少し緩んでるわよ?)

(……少しだけだ。……あの男との約束だからな)

 不老の伯爵は、自らの騎士団が築き上げた「戦死者ゼロ」の伝説を背負い、次なる守護の対象へと歩み出す。

 ─ KR150年。ヴァルトニア騎士団の戦死者はいまだゼロのまま。

 創設から八十五年。大陸ではその鉄の結束を、畏怖を込めて「黒銀の誓い」と呼び始めていた。

 そして不老の伯爵は、亡き友との誓いを果たすべく、新たな物語の舞台へと足を進める。

〔第2章幕間「誓いの後に」完〕

〔第3章「継ぐ者たち」へ続く〕

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