第2話「鉄の試験官・一騎当千への道」
第2話「鉄の試験官・一騎当千への道」
KR65年、エルディナ聖王国の外縁にヴァルトニア伯爵邸が建立されて以来、そこは大陸で最も「風通しが良く」、そして「門が狭い」場所として知られるようになった。
領地の訓練場には、今日もまた奇妙な一団が集まっていた。筋骨隆々の人間、しなやかな身のこなしの獣人、無骨なドワーフ、そして数少ないエルフ。
「本当に、種族を問わないのか……?」
受験者の一人が、信じられないといった面持ちで隣の獣人に囁く。大陸のどこを見渡しても、これほど多種多様な種族が「主君に仕える」という同一の目的のために並んでいる光景は存在しない。エルディナの奇跡、あるいは異端。ヴァルトニア家とはそういう場所だった。
喧騒を切り裂くように、一人の男が静かに歩み出た。
仕立ての良い燕尾服を寸分の乱れもなく着こなし、白手袋を嵌めたハーフエルフ。執事長、セバス=グレイウィンドである。
「ヴァルトニア家にようこそ。私が執事長のセバスでございます」
柔和な笑みを浮かべ、深々と頭を下げるその姿は、どこからどう見ても温厚な紳士そのものだった。受験者たちの間に、安堵に近い空気が流れる。だが、セバスが顔を上げた瞬間、その碧眼に宿る冷徹な「鑑定」の光に、誰もが背筋を凍らせた。
「ただし、ここから屋敷の敷地を跨げる方は、ごくわずかです。戦えるだけでは足りません。武勇、忠誠、そして秘密保持。この三つを兼ね備えた方のみが、我が主に仕える資格を持ちます」
試験は、その言葉が終わるか終わらないかのうちに始まった。
第一試験は、単純明快な戦闘力の選別である。セバスは無造作に受験者の集団から五名を指名した。
「私を相手に、三撃。かすらせるだけで合格といたしましょう」
五人の受験者は、馬鹿にされたと憤慨し、あるいは好機と見て一斉に躍りかかった。だが、その結末は一瞬だった。セバスは一歩も動いていないように見えて、柳のように攻撃を捌き、最短の軌道で五人の急所を指先で突いた。崩れ落ちる男たちを見下ろし、セバスは埃を払うように手袋を整える。
「……何者だ、あなたは」
その問いを投げたのは、アルカディア領から鳴り物入りでやってきた騎士だった。彼は、あの英雄リースバルトの膝元で最強格の一人と謳われた男である。
騎士は剣を抜き、全身の闘気を練り上げた。踏み込み、一閃。だが、彼の必殺の一撃は、セバスの手のひらによって軌道を逸らされた。次の一撃は、セバスの肘に阻まれる。
攻撃は全て捌かれ、防御は紙のように崩された。気がつけば、騎士の喉元にはセバスの指が添えられていた。
「……執事でございます。それ以上でも、それ以下でも」
セバスは穏やかな笑顔のまま、短く告げた。
「不合格です。お引き取りを」
「なぜだ! 俺はアルカディアで部隊長を——!」
「アルカディアで何番目かは関係ありません。ここでの基準は、ここで決めます。……お疲れ様でした」
後にアルカディアへ戻ったその騎士が「あの家の執事は、穏やかな皮を被った化け物だ」と震えながら語り伝えたことは、ヴァルトニアの武名を高める伝説の一ページとなる。
第二試験は、セバスとの対話による「忠誠」の選別だった。
「あなたはなぜ、ここに来たのか」
「主君が間違えた時、あなたはどうするか」
正解のない問いを投げかけ、セバスはその者の瞳の奥を覗き込む。
訓練場の端、陽光の届かない影の中から、ゼフィール=ナイトレイスが沈黙のまま観察していた。彼はダークエルフ特有の鋭敏な感覚で、受験者の心拍、発汗、瞳孔の揺らぎを読み取る。
「……セバス、左から三番目。言葉が浮いている」
影から届くゼフィールの耳打ちに従い、セバスは即座に失格を言い渡す。武勇があっても、その魂が私欲にまみれている者を、この家は必要としない。
第三試験、秘密保持。
残った候補者に、セバスは「ヴァルトニア家の秘密の情報」を一つずつ与えた。そして、一週間の猶予を与える。
「漏れた者は、即失格。理由は問いません」
その一週間の間、ゼフィールとその影の配下たちが、街の酒場から候補者の実家までを徹底的に監視した。情報を売ろうとした者、酒の勢いで口を滑らせた者。それらは音もなくリストから消えていった。
最後に残ったのは、百名の受験者のうち、わずか七名だった。
レイクス=ヴァルトニアが訓練場に姿を現すと、空気は一変した。十五歳前後の少年の姿をしながら、その場にいる誰よりも峻厳な空気を纏う主君の前に、合格者たちが膝を突く。
「旦那様、今回の合格者、七名でございます」
「……百人受けて、七人か」
レイクスは無言のまま、七人の顔を一人ずつ見定めていく。その赤い瞳が、ある一人の戦士の前で止まった。
「……お前はいらん」
理由すら告げられない宣告。戦士は絶望に顔を歪めたが、セバスは表情を変えず「……かしこまりました。お引き取りを」と、即座に従った。主の直感は、時にセバスの論理を超える正解を導き出すことを、彼は知っていた。
「残り六名。……よし」
レイクスは生き残った六人に告げた。
「この家に来たことを後悔させない。だが、裏切れば……命で購うことになる。わかるな」
「はい!」
種族の異なる六人の声が、一点の曇りもなく重なった。
(六人か。相変わらず厳しいわね、レイクス)
(……百人の烏合の衆より、六人の精鋭だ。セラ、俺は数に興味はない)
(……確かに。でも、これでまた少し、賑やかになるわね)
この苛烈な選別は、KR65年からKR150年にかけて、一度の例外もなく繰り返された。
最初は数十名に過ぎなかった。それが十年で五十名、三十年で百五十名、五十年で三百名。セバスは一度として基準を下げず、不適格者は容赦なく切り捨てた。
そして百年が経ち、五百名の「ヴァルトニア騎士団」が完成した時、大陸はその名に戦慄することになる。彼ら一人ひとりが、他国の精鋭百人に匹敵する「一騎当千」の怪物へと成長していたからだ。
その日の夜。選別作業を終えたセバスは、書斎で次の候補者リストを整理していた。窓のカーテンが揺れ、ゼフィールが影から現れる。
「……終わりのない仕事だな、セバス」
「ええ。だからこそやりがいがあります。我が主の安寧を守る盾は、常に磨き上げられていなければなりません」
「主は……変わったと思うか」
ゼフィールの問いに、セバスは羽根ペンを置き、少しだけ考え込んだ。
「……少しだけ。でも確かに、変わられました。最近、アルカディアから戻られた際、玄関で私に『ただいま』とおっしゃったのです」
「……そうか」
仮面の下で、ゼフィールが微かに微笑んだ気配がした。主の心の氷が、永い時を経てわずかに溶け始めている。それを守ることこそが、自分たちの真の使命なのだと、二人は言葉を交わさずとも理解していた。
(セバス、ゼフィール。……二人とも、本当にありがとう。レイクスを支えてくれて)
誰にも届かないセラの感謝が、月明かりと共に部屋に満ちる。
セバスはふと、何もない空間に微笑みかけ、再びペンを走らせた。
「次の選抜は、春にいたしましょう。この家が続く限り、この仕事は私の誇りです」
(セバス、疲れないの? もう何十年も同じことをしてるじゃない)
(……。お嬢様。主のために働く時間に、疲れなどという無粋なものはございません)
(ふふ、そう言うと思ったわ。レイクス、聞こえた?)
(……変わらんな、お前は)
どこか呆れたような、それでいて深い信頼の混じったレイクスの思念が、セバスの耳に届いた。
「ハーフエルフですので。……まだまだ、これからでございますよ、旦那様」
一騎当千の伝説は、一人の執事の、穏やかで苛烈な情熱から始まっていた。




