第16話「東翼将バルガ、最終決戦」
第16話「東翼将バルガ、最終決戦」
黒い雷雨暦(KR)97年。大陸東部を拠点とする東翼将「屠竜将軍」バルガ=ザルドは、ついにその牙を剥いた。かつて主君であったザグラム=ヴァルドの戦死を受け、統率を失い狂奔していた彼は、積年の恨みを晴らすべく、エルディナ聖王国への最終侵攻を開始したのである。
「進め! 我が竜血の精鋭どもよ! 軟弱な人間どもの国を蹂躙し、あの忌々しい銀髪のガキを引きずり出せ!」
三メートルを超える巨躯。黒鱗に覆われた漆黒の肌。双角の兜を被ったバルガは、城砦をも粉砕する膂力で大地を鳴らし、一直線に王都郊外――聖泉のほとりにある「セラの墓」を目指していた。
「……ゼフィール、状況は」
「は。主が指示された通り、影より敵の兵站および指揮系統を寸断。後続の魔族軍は混乱の極みにございます。……ですが、バルガ本人だけは止まりません」
ゼフィールが影の中から冷徹に報告する。レイクスは、王都を遠くに望む丘の上で、独りバルガの進路に立ちはだかっていた。
「……ここで終わらせる。エルディナの土は、奴らには過ぎた代物だ」
地響きと共に現れたバルガは、レイクスの姿を認めるや否や、竜炎を纏った大剣を猛然と振り下ろした。レイクスは最小限の動きでそれを回避し、左手の指に嵌められた『雷光の指輪』を微かに光らせる。
「『ライトニングボルト』」
白銀の電撃が刹那に走り、バルガの分厚い胸元を貫く。だが、竜血による凄まじい耐久力を持つバルガは、皮膚を焼かれながらも止まることなく笑い飛ばした。
「ははは! 蚊が刺したような魔法だ! その程度の指輪の力で、我が竜鱗が砕けると思うか!」
レイクスは淡々と、指輪による初級から中級の雷撃と、極限まで磨き上げられた剣技の合わせ技で対応した。派手な演出はない。ただ確実に、確実に敵の関節を刻み、魔力の流れを乱していく。それが「ヴァルトニア伯爵」として、三十余年にわたり守り続けてきた戦い方だった。
しかし、バルガは咆哮を上げ、無理やりレイクスの側をすり抜けた。その視線の先にあるのは、聖泉の丘――セラの墓所だ。
「無駄だ、小僧! 貴様と遊ぶ暇はない! まずは貴様の大事な『墓』を灰にし、その絶望した面を拝んでやる!」
バルガが振り回した大剣から、巨大な竜炎の塊が放たれる。その紅蓮の火柱は、セラの墓碑を囲む純白の花々を焼き、聖なる静寂を汚した。
ピシリ、と。レイクスの内で、何かが決定的に音を立てた。
(レイクス……!)
胸の奥で、セラの悲痛な声が響く。レイクスは静かに足を止めた。彼は左手の指先を見つめ、あえて『雷光の指輪』だけを右手で抜き取った。
『女神の指輪』を残し、『雷光の指輪』のみを外す。それは、世間に見せてきた「道具に頼る魔導師」という偽りの仮面を捨てることを意味し、同時に、セラから託された「女神の慈悲」をギリギリの境界で保ちつつ、自らの内なる魔の力を直接解放するという、不退転の宣告であった。
「……それは、させない」
刹那、世界の色彩が反転した。レイクスの右目が金色に、左目が赤色に光り輝く。指輪という触媒を介さず、少年の細い指先から、空間を塗りつぶすほどの漆黒の雷――『黒雷』が溢れ出した。
「な、なんだその眼は……!? 指から直接、黒い雷を……貴様、何者だ!」
バルガが初めて、本能的な恐怖に顔を歪める。だが、もう遅い。
「必要ない限り使いたくなかった力だ。……不浄は、ここで絶やす」
レイクスが右手を一閃させる。指輪の制御から解き放たれた純粋な『黒雷』が、音速を超えてバルガを飲み込んだ。盾とした大剣も、誇りとした竜鱗も、そしてバルガという存在そのものも、漆黒の極光の中で一瞬にして塵へと還元された。
雷光が収まった後、そこには巨大な陥没跡と、静寂だけが残った。消滅の寸前、バルガが絞り出した言葉が風に溶ける。
「……これが……本当の……力か……」
レイクスはゆっくりと瞳の色を元に戻し、抜き取っていた『雷光の指輪』を再び左手の指に嵌めた。
(……レイクス。守ってくれてありがとう。少し……怖かったけど、やっぱりあなたは優しいのね)
「……。……ただ、掃除が終わっただけだ」
レイクスは乱れた燕尾服の袖を整え、影から跪くゼフィールに視線を向けた。
「残るはセリュとリルだけだ。……戻るぞ」
彼が去った後の戦場には、焦げ付いた大地を癒やすように、冷たい雨が降り始めていた。




