第7話「残る四翼将の動き」
第7話「残る四翼将の動き」
KR70年代。エルディナ聖王国にヴァルトニア邸を構えて数年が経過した。
かつての戦乱の熱は冷めたかに見えたが、大陸の深層では、主を失った狂犬たちが次なる牙を研いでいた。
ヴァルトニア邸、深夜の執務室。
卓上に広げられた大陸全図の上で、ゼフィールが音もなく指を滑らせる。
「主。……四翼将の動向を整理いたしました。ザグラム=ヴァルドが討たれた今、奴らは完全に統率を失い、各地で独自に暴走を始めております」
「……あいつらは、ザグラムという『芯』があって初めて機能する刃だったからな」
レイクスは椅子に深く腰掛け、左手の指に嵌まった『雷光の指輪』を弄んだ。
四大魔将の一角、血戦侯ザグラムを失った魔族軍は、残る三名の魔将――「星詠み」ヴェイル、「死食らい」ガルム、「紅の外交卿」シャーラが未だ背後で沈黙を保っている。その空白を埋めるように、ザグラムの直属部下であった「四翼将」が、それぞれの歪んだ野心を剥き出しにし始めていた。
「南のドラマ=シハルは砂漠地帯で疫病を撒き、東のバルガ=ザルドは竜血の勢力を糾合して山脈を荒らしております。そして……」
ゼフィールが言葉を切った瞬間、窓から夜風と共に一人の女性が飛び込んできた。
「ただいま。……厄介なことになってるわよ、レイクス」
各地の調査から戻ったリランダが、旅装を解きながら険しい表情で地図を指した。
「一番の懸念は北翼、リル=ナーレスよ。あいつは幻術で人間を操り、内側から国を腐らせる。今、北方の諸公国で不可解な内紛が多発しているわ。すべてリルの仕業と見て間違いないわね」
リランダの言葉に、ゼフィールも深く頷く。
物理的な破壊を行う他の翼将とは違い、リルの「幻影」は、誰が敵で誰が味方かすら不透明にする。
「……主、各国の要請に応じ、討伐に赴くべきでは? 放っておけば、いずれ奴らの毒はこのエルディナにも届きます」
ゼフィールの進言に対し、レイクスは沈黙を保った。
赤い瞳が地図を冷徹に見下ろす。六十五年、そして今は七十年。長い歳月を生きた彼には、自らが背負う「範囲」の限界を誰よりも理解していた。
「……エルディナを脅かすまでは、動かない」
「……それでよいのでしょうか。被害が拡大してからでは遅いのでは」
「俺の仕事はここを守ることだ。他国の争いに首を突っ込む理由はない。俺は世界の救世主になるつもりも、正義の騎士になるつもりもない」
老成した、一切の迷いがない断絶の言葉。
彼が根を下ろしたのはこの地であり、彼が守ると誓ったのはセラの眠る場所だ。それ以外の土地で流れる血に、彼は無関心を装った。
(全部一人で背負って戦おうとしないでね、レイクス)
胸の奥で、セラの少し心配そうな声が響く。
(……二柱がいる。俺一人の問題ではない)
(ふふ、そうね。セバスさんもゼフィールさんも、とっても頼もしいわ。でも、あなたの心がささくれ立つのは、私が嫌なのよ)
(……黙っていろ)
心の中で返し、レイクスは再び地図に目を落とした。
だが、ゼフィールが次に差し出した一通の報告書が、その沈黙を破った。
「……しかし主、これをご覧ください。黒影一族の最新の諜報です。北翼リル=ナーレス本人が、エルディナ近郊の関所に『高名な巡礼者』に化けて潜伏している形跡があります」
レイクスの眉が、わずかに動いた。
「……エルディナへの、直接の脅威か」
「はい。王都の治安を揺るがし、女帝セレーナ様の命を狙っている可能性が極めて高いかと」
レイクスはゆっくりと椅子から立ち上がった。
その瞬間、執務室の空気が氷点下まで下がったかのように張り詰める。左手の指輪が、主の意思に呼応してパチリと小さな紫電を放った。
「……ならば、先手を打つ。我が家の庭を汚そうとする不浄は、入る前に掃き清めるのが鉄則だ」
レイクスは背負った剣を確認し、夜の闇を見据えた。
防衛ではなく、迎撃。
エルディナ伯爵レイクス=ヴァルトニアとして、初めての「本格的な掃除」が幕を開けようとしていた。




