第6話「アルカディア再訪・老いる戦友」
第6話「アルカディア再訪・老いる戦友」
KR70年。アルカディアを解放した戦火が消えてから十年が過ぎた。
かつての焦土は、人々の絶え間ない営みによって、再び豊かな緑と石造りの活気ある街並みへと姿を変えていた。
その中心に建つマルターレス伯爵邸の門を、銀髪の少年――レイクス=ヴァルトニアがくぐった。背後には、旅の塵を微塵も感じさせない完璧な身のこなしでセバスが控え、影にはゼフィールが潜んでいる。
「レイクス! 本当に来てくれたか!」
玄関ホールに響いたのは、快活で、それでいて以前よりも厚みを増した男の声だった。
現れたのはリースバルト=マルターレス。三十八歳。
解放戦線で共に剣を振るった若き騎士の面影を残しつつも、その目尻には細かな皺が刻まれ、顎には整えられた髭がある。一領主としての重圧と、充実した生活が彼を「大人」へと変えていた。
「……でかくなったな! ……と言いたいところだが、お前は本当に、何一つ変わらんな」
リースバルトは苦笑しながら、レイクスの肩を叩いた。叩かれたレイクスは、眉一つ動かさずにその手を見やる。
「お前が老けただけだ」
「ははは、ひどいな! これでも領民からは『渋みが増した』と評判なんだぞ?」
リースバルトは豪快に笑い、レイクスを奥へと促した。その隣には、気品ある青いドレスを纏った女性――正妻のクラリッサが、穏やかな微笑みを湛えて立っていた。
「主人がいつもお話を聞かせてくださる、レイクス様ですね。お会いできて光栄です。……ラウル、ご挨拶なさい」
彼女の陰から、一人の少年が顔を出した。
七、八歳ほどだろうか。リースバルト譲りの黒髪と、クラリッサの聡明そうな瞳。将来は立派な騎士になるであろうことが予見される、活発そうな少年だ。
「……父上の友だちなの? 僕と同じくらいに見えるけど……」
ラウルと呼ばれた少年が、不思議そうにレイクスを見上げる。レイクスはその視線を真っ向から受け止め、老成した口調で短く答えた。
「……俺の方がはるかに古い」
「ふるい? 骨董品みたいに?」
ラウルの無邪気な問いに、リースバルトが慌てて「こら、失礼だぞ」となだめる。その様子を、レイクスは静かに観察していた。
主が領地を治め、妻がそれを支え、子が育つ。
魔族でも人間でもないレイクスにとって、それは最も遠く、しかしどこか眩い「人間の家族」という形だった。
(いいわね、レイクス。こういう家族って……とっても温かそう)
胸の奥で、セラの優しい声が響く。
(……ああ。脆くて、だが確かに強固な繋がりだ)
レイクスは心の中でそう答え、クラリッサが差し出したもてなしの茶を啜った。
その日の夜。
家族が寝静まった後、レイクスとリースバルトは二人、バルコニーで月を見上げていた。
供されたのは、マルターレス領で採れた果実酒だ。
「エルディナに家を構えたんだってな。……セラの墓の近くか」
リースバルトが、静かに切り出した。戦友として、彼が何を想い、なぜエルディナを選んだのかを、リースバルトは痛いほど理解していた。
「……ああ。あそこには、あいつの故郷がある。俺が守るべき範囲の、中心だ」
「そうか。……お前が根を張る場所を見つけたなら、それでよかったと俺は思う」
リースバルトは杯を傾け、遠い空を見つめた。
「俺は、こうして老いていく。あと二十年もすれば、剣を振るうのも怪しくなるだろう。だがレイクス、お前は……」
「俺は、掃除を続けるだけだ。この先、何百年経とうがな」
「頼もしいよ。……もし俺がいなくなっても、ラウルや、その先に続く俺の子供たちのことを、たまに思い出してやってくれないか」
レイクスは答えない。ただ、夜風に揺れる銀髪をかき上げ、沈黙でその願いを受け取った。
翌朝、出発の刻。
門前まで見送りに来たラウルが、レイクスの服の裾をぎゅっと掴んだ。
「レイクス、また来てね! 今度は僕も、もっと強くなって、父上の自慢の剣を見せてあげるから!」
「……強くなれ。お前の父が守ったこの場所を、次はお前が守るんだ」
レイクスは少年の頭にそっと手を置き、一度だけリースバルトと視線を交わした。
言葉は要らなかった。
馬車が動き出し、アルカディアの景色が遠ざかっていく。
レイクスの手元には、ラウルが「旅のお守り」だと言って持たせてくれた、綺麗な小石が握られていた。
「……さて。次はどこを掃除すべきか、ゼフィール」
影から「御心のままに」と声がする。
レイクスの旅は続く。老いていく友と、芽吹く命の記憶を、その不老の胸に深く刻み込みながら。




