第3話「雷光の伯爵」
第3話「雷光の伯爵」
KR65年、夏。
エルディナ聖王国の王都リュミナを襲ったレクシア神聖国の「聖戦士団」は、空から降り注いだ未曾有の災厄――隕石召喚によって、その半数以上が灰塵に帰した。
戦場に残されたのは、硝煙の臭いと、神の代行者を自称した者たちの無惨な残骸。そして、ただ一人、焦土の中心に立ち尽くしていた銀髪の少年であった。
数日後。レイクスはエルディナ王宮の最奥、白亜の巨石で組まれた「謁見の間」にいた。
高く壮麗な天井には精霊の加護を受けた極光が揺らめき、左右には銀の鎧を纏った聖騎士団が整列している。中央の通路を歩むレイクスの足音だけが、静謐な空間に不規則なリズムを刻んでいた。
「……陛下、あのような素性の知れぬ者を王宮へ招き入れるなど、あまりに危険です!」
「左様。魔族の血を引くという噂もございます。レクシアを退けた力は認めますが、あれはまさに『魔』そのもの。エルディナの聖なる法を乱す火種になりかねません」
並び立つ廷臣たちが、扇や指先を使い、隠しきれない嫌悪と恐怖を口にする。彼らにとって、レイクスは国を救った恩人であると同時に、自分たちの理解を越えた「化け物」に他ならなかった。
「お静かに」
玉座に座す女性――女帝セレーナが、低く、だが透き通るような声で短く命じた。
その一言で、広大な広間は水を打ったような静寂に包まれる。彼女は聡明な瞳でレイクスをじっと見つめた。その眼差しは、彼が人間であるか、魔族であるかといった瑣末な境界を超え、魂の純度そのものを量る天秤のようであった。
「レイクス=ヴァルトニア。まずは感謝を。あなたの力により、我が民の血がこれ以上流れることは避けられました」
セレーナは玉座から身を乗り出すようにして、まっすぐに問いかけた。
「……問いましょう。あなたは何のために戦ったのですか。この国のため? それとも、己が信じる正義のため?」
周囲の廷臣たちが固唾を飲んで見守る中、レイクスは感情の読めない瞳で女帝を見返した。
彼は跪くことも、仰々しく頭を下げることもしない。ただ、背負った剣と同じように、硬く冷ややかな声で短く答えた。
「……墓を守るためだ」
その場にいた全員が、耳を疑った。
国を救った英雄が口にする言葉としては、あまりに卑近で、あまりに個人的な動機。
しかし、セレーナはその答えを聞くと、一瞬だけ驚きに目を見開き、やがて得心したように深く頷いた。
「左様ですか。大義でも、野心でもなく。ただ、眠る一人の安寧のために。……よろしい」
セレーナは、椅子の肘掛けを強く握り、静かに立ち上がった。
【叙任の儀】
彼女は玉座の階段を下り、レイクスの目の前まで歩み寄る。聖騎士団長フィアナが緊張のあまり剣の柄を握るが、セレーナはそれを手で制した。
「黒い雷雨の子よ。あなたは、この国に計り知れぬ恩を与えた。我が民が今、朝日を仰げるのはあなたの力によるものだ」
セレーナは、近衛が差し出した純銀の長剣を手に取り、その切先をレイクスの両肩へ交互に当てた。
「その恩に報いるため、エルディナ聖王国の名において、あなたに伯爵位を捧げます。……エルディナの地が滅ぶその日まで、この『エルディナ伯爵』の称号はあなたのもの。あなたは我が国の貴顕であり、聖泉を守護する者であると、ここに宣言する」
レイクスは、廷臣たちの驚愕の叫びをよそに、ただ静かにその重みを受け止めた。
彼は片膝をつくような従属の礼は取らなかった。ただ、一人の戦士として、一人の「個」として、女帝の意志に対する敬意を示すように小さく首を傾けた。それは「感謝するが、媚びはしない」という彼なりの不器用な誠実さであった。
(……私の故郷があなたを認めてくれた。ねえ、レイクス。……私、とっても嬉しい)
胸の奥で、セラの弾むような声が響く。
(……黙っていろ)
レイクスは心の中で吐き捨てるように返した。
(ふふ。顔に出ていないけれど、少しだけ誇らしそうな顔をしてる。素直じゃないんだから)
その無邪気な指摘に、レイクスは眉根を寄せ、意識の外へと彼女の声を追いやった。しかし、内側に宿る柔らかな温もりを完全に拒絶することはできなかった。
エピローグ:墓標に刻む名
謁見の後、夕闇が王都を包む頃。
レイクスは一人、セラの眠る聖泉の丘を訪れていた。
レクシア軍に踏み荒らされた周辺の土は、すでにエルディナの僧侶たちの手によって整えられ、野の花が供えられていた。
レイクスは、その質素な石の墓標にそっと手を置く。
「エルディナ伯爵か……。お前の故郷の称号だ。俺には似合わんが……お前が喜ぶなら、持っておく」
風が吹き抜け、セラの髪の色に似た金色の穂が波打つ。
レイクスは、二度と会えない少女の微笑みを香草袋の香りに感じながら、静かに立ち上がった。
彼はもう、ただの「掃除屋」ではない。この称号は、彼がこの世界に刻んだ最初の「絆」の証であり、彼女との約束を背負って生きるための十字架でもあった。
レイクスは一度も振り返ることなく、再び歩き出す。
この日以来、レイクス=ヴァルトニアの名は、驚愕と畏怖と共に大陸中へ広まっていくこととなった。
「雷光の英雄」。
「神をも畏れぬ、魔の伯爵」。
人々は、その力がどこから来るのかを知らない。
ただ、彼の歩む後には漆黒の稲妻が走り、彼の心には常に一人の聖女の祈りが響いている。
そして――KR250年、現在。
マルターレス家の歴史が二百年を越え、時代が混迷を極める今もなお。
エルディナ伯爵の称号は、変わらぬ姿のまま彷徨う銀髪の少年の手の中にある。
〔幕間「雷光と聖火」完〕




