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レイクス戦記  作者: ゆう
第1章幕間

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第1話「こころのセラ、最初の対話」

第1話「こころのセラ、最初の対話」


 KR65年、春後半。

 アルカディアを解放し、大陸に希望の火を灯したはずの「解放戦線」は、その輝きの裏側で一人の聖女を灰に変えた。

 荒野を渡る風は、いまだ冬の名残を含んで冷たい。

 レイクスは一人、エルディナ聖王国へと続く寂れた街道を歩いていた。馬も連れず、食料も最低限。ただ腰に一振りの剣を帯び、懐に小さな、焦げ跡のついた香草袋を忍ばせて。

 彼の背後は、彼を「英雄」と呼び、あるいは「化け物」と恐れる者たちの喧騒で満ちていた。だが、今のレイクスにとって、それらは遠い異界の雑音に過ぎない。

 夕闇が迫り、レイクスは街道脇の岩陰に小さな焚き火を熾した。

 パチパチと爆ぜる薪の音。揺らめく火影。その赤橙色の光を見つめるたび、網膜の裏にはあの日の光景が焼き付いて離れない。

 断罪の松明。セレニアの冷徹な宣告。そして、炎の中に消えていった金色の髪。

 レイクスは拳を握りしめ、深く頭を垂れた。

 感情を殺して生きてきた五十年の歳月。魔王の血を継ぐ自分には、心などないと思っていた。だが今、胸の奥には、黒雷でも焼き切れない「後悔」という名の毒が深く沈殿している。

(レイクス……どうして泣かないの)

 不意に、耳元ではなく、胸の最奥から声がした。

 鈴を転がすような、透明感のある声。昨日まで、すぐ隣で笑っていたはずの少女の声。

「……誰だ」

 レイクスは反射的に剣の柄に手をかけ、周囲を睨んだ。だが、荒野には風の音以外に何もない。

(私よ、レイクス)

 その声は、焚き火の温もりのように、優しくレイクスの意識に浸透してくる。

 レイクスは息を呑んだ。聞き間違えるはずがない。それは、彼が守りたかった、そして失った、セラ=ミルティアの声だった。

「……幻聴か。俺も、ついに狂ったか」

(幻じゃないわ。今の私は、あなたの記憶と魂の欠片。あなたが私を強く思ってくれたから、こうしてここに残れたの)

「お前はもういない」

 レイクスは、自分自身を切り刻むような冷たさで言い放った。

「灰になった。俺の目の前で。神を騙る奴らが、お前を奪ったんだ。……だから、消えろ。死者が生者の邪魔をするな」

(そうね。私はもう、あなたの隣を歩くことはできない。でも、あなたが私のことを覚えていてくれる限り、私はあなたの心の中で生き続けるわ)

 声は少しも揺らがず、むしろレイクスの頑なな拒絶を包み込むような静けさを湛えていた。

 レイクスは長い沈黙の後、力を抜いて剣から手を離した。抗う気力さえ、その声の優しさに吸い取られていくようだった。

「……勝手にしろ」

 吐き捨てるように呟くと、不思議なことに、セラの気配がより鮮明に感じられた。

 目をつぶれば、そこには彼女と共に過ごした、短くも濃密な四季の情景が浮かび上がる。

(覚えている? あの春、初めて会った日のこと)

「……ああ。騒がしい拠点だった。お前は場違いなほど白くて、危なっかしかった」

(ふふ、そうね。夏の旅も楽しかったわ。レイクスさんが病人や子供たちを守ってくれる姿を見て、私はとても誇らしかったのよ)

 夏の強い日差しの中、巡礼の旅で立ち寄った村々。レイクスは「ただの掃除だ」と言いながらも、セラの隣で魔族を退け、彼女が癒した人々を、その影から守り続けた。

 秋、色づく山々の麓。村の子供たちに祈りを教えるセラの横で、木の枝を振るう子供たちを見守った穏やかな午後。あの時、レイクスは初めて「明日」という言葉を肯定的に捉えていた。

(冬の小屋も。焚き火の前で、たくさんお話ししたわね。私が『守ってあげる』って言った時、レイクスさん、本当に驚いた顔をして……)

「……当然だ。五十年、誰かに守られるなんて考えたこともなかった」

 レイクスの言葉に、滲み出るような悔恨が混じる。

 あの時、彼女は守ると言った。だが、現実に起きたのはその逆だ。彼女はレイクスを庇い、独り、炎の海へ消えた。

「守れなかった」

 レイクスは掠れた声で呟いた。

「俺には力があった。魔王の血も、黒雷も、ザグラムの指輪さえあった。なのに、お前一人、救えなかった。俺が戦う理由は、結局、何も生み出さなかった」

(そんなことない。あなたは私を守ろうとしていたわ。その心だけで、私は救われていたの。だから、自分を責めないで)

「……綺麗事だ」

(ええ、そうね。でも、私にとってはそれが真実。レイクス、あなたの物語はまだ続くのよ)

 夜が更け、焚き火が静かな炭火へと変わっていく。

 レイクスは膝を抱え、眠ることなく夜の闇を見つめ続けた。心の中のセラは、時折、古い歌を口ずさむように柔らかな気配を漂わせ、彼の神経を落ち着かせてくれた。

 やがて、東の地平線が白み始める。

 レイクスはゆっくりと立ち上がった。体中の関節が軋むような重さを感じるが、その足取りには昨日までなかった「目的地」への確かな意志が宿っていた。

「……行くぞ、セラ」

(ええ。私の故郷、エルディナへ)

 レイクスは懐の香草袋を確かめ、再び街道へと歩き出した。

 朝日が彼の銀髪を照らし、二つの影を長く引き伸ばす。一つは物理的な少年の影。もう一つは、彼自身の魂に深く刻まれた、決して消えることのない光の影。

「お前の故郷に連れていく。……それが、今の俺にできる唯一のことだ」

 こころのセラは、微笑むような気配と共に、静かにレイクスの歩調に寄り添った。

 彼女の遺した香りと声が、荒野に、微かな、けれど確かな祝福となって響いていた。

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