第16話「平定の戦火」
第16話「平定の戦火」
アルカディアの奪還は、大陸全土に反撃の狼煙を上げたに過ぎなかった。
KR60年から始まった解放戦線は、アルカディアを起点として各地に波及し、人間と魔族の勢力図は激しく塗り替えられていった。しかし、六十年に及ぶ魔族の支配は大地に深く根を張っており、残党の掃討と治安の維持——「平定」という名の泥沼の戦いが、その後の数年を支配することとなった。
KR61年、春。
アルカディア領近郊の街道。かつて魔族の砦があった廃墟に、アルカディア伯爵となったリースバルトが率いる正規軍の陣が張られていた。
「左翼、展開を急げ! 逃げ遅れた民を最優先で保護するんだ!」
前線で指揮を執るリースバルトの姿には、かつての騎士候補生の面影はあるものの、その眼差しには指導者としての重厚な責任感が宿っていた。彼は今や、剣を振るう一戦士ではなく、数千の命を預かる「伯爵」として立派に成長していた。
その様子を、少し離れた枯れ木に背を預けて眺めている少年がいた。レイクスだ。彼は相変わらず、軍の階級にも組織にも属さず、ただ「そこにいるから手を貸す」という傍観者のような立ち位置で戦い続けていた。
「……様になってきたな、伯爵」
戦闘が一段落した夜。陣幕を訪れたレイクスに、リースバルトは少し照れくさそうに笑い、一通の手紙を差し出した。
「レイクス、報告がある。……俺、結婚することになった」
「……結婚?」
レイクスは、その言葉を理解するのに数秒を要した。五十年の孤独を生きてきた彼にとって、誰かと生涯を共にするという契約は、あまりに現実味の薄いものだったからだ。
「ああ、アルカディアの復興を支えてくれている貴族の娘さんだ。……お前にも、式に来てほしいんだが」
「……断る。俺のような『掃除屋』が、祝いの席を汚すわけにはいかん」
レイクスはそっけなく答えた。だが、彼が背を向ける間際、その足が止まった。
「……せいぜい、その女を泣かせないことだ。……おめでとう、リースバルト」
不器用で、短い祝福。リースバルトは驚いたように目を見開いた後、今日一番の笑顔を見せた。
KR62年。
リースバルトの間に、長男ラウルが誕生したという報せがレイクスに届いた。
戦場を転々とするレイクスのもとに、その報せを持ってきたのはリランダだった。
「ラウル、っていう名前なんですって。リースバルトの奥さんに似て、元気な赤ん坊よ」
「……そうか」
レイクスは、手にしていた剣の手入れを続けた。
出会った頃はまだ若造だったリースバルトが、家を興し、妻を娶り、次代を育てている。
彼ら人間にとっての数年は、劇的な変化に満ちている。一方で、自分という存在は、五十年前から何一つ変わっていない。この銀髪も、十五歳前後の外見も、内側に抱える魔王の呪いも。
(人間の時間は、速いな……)
自分だけが静止した時間の中に取り残され、周囲が恐ろしい速度で移り変わっていく。その残酷なまでの対比に、レイクスは微かな眩暈を覚えた。
しかし、感傷に浸る暇を世界は与えてくれない。
KR64年に差し掛かろうとする頃、平定戦の様相が変わり始めていた。
「最近の魔族の動き……統制が取れすぎている。ただの残党の暴走じゃないな」
地図を見つめ、レイクスが独りごちる。
アルカディア周辺の戦火は収まりつつあったが、北方の特定地域での不穏な動きが加速していた。
「……次に動くのは、ザグラムだ」
「あら、あんたも気づいた? さすがね、レイクス」
爆煙と共にリランダが姿を現した。彼女の翡翠色の瞳には、珍しく真剣な光が宿っていた。
四大魔将「影の四翼」の一柱——冷酷な知将として知られるザグラム。
「私の調べだと、ザグラムは北方の聖泉地帯に巨大な拠点を築いているわ。精霊の力を歪めて、新たな軍勢を作り出そうとしているみたい」
「聖泉……。かつて母が、最も愛していた場所の一つか」
レイクスの瞳が、冷徹な殺意で細められた。
父の血を引く者が、母の愛した地を汚す。それは彼にとって、看過できない「汚れ」だった。
「準備をしろ、リランダ。……掃除の場所が決まった」
その時、天幕の外から兵士の悲鳴に近い声が響いた。
「報告! 北方より大規模な瘴気の雲が接近! 前線拠点が壊滅しました! ……四大魔将、ザグラムの軍勢です!!」
ついに、最大の影が動き出した。
KR64年。それはレイクスの人生において、最も消えることのない「光」と、最も深い「喪失」を刻むことになる一年の幕開けであった。




