第15話「アルカディア解放」
第15話「アルカディア解放」
アルカディアを覆っていた濁った魔力の霧が晴れ、冬の澄んだ陽光が石畳の街路を照らしていた。
六十年。一人の人間が生まれ、老い、土に還るほどの年月。その間、常に死の影に怯えていた民衆にとって、この日は奇跡そのものであった。
街のいたるところで、再会を喜ぶ泣き声と、勝利を祝う乾杯の音が響いている。だが、崩れた建物や焼き払われた家財道具が、奪還のために支払った代償の大きさを物語っていた。
中央広場では、魔剣スターレットを高く掲げ、先陣を切ったリースバルトを取り囲むように、民衆が歓声を上げていた。
「解放者リースバルト様だ!」
「アルカディアの英雄に祝福を!」
揉みくちゃにされながらも、リースバルトは一人ひとりの手を握り、力強く頷いていた。その姿は、暗雲の中に差した一筋の陽光そのものだった。
そんな狂騒から離れた大聖堂の陰、厚い日影の中にレイクスは佇んでいた。
彼は銀髪に積もった灰を払い、手入れの行き届いた剣を鞘の中で鳴らした。人々が喜びに沸くほど、自分という「異物」がその光を濁らせることを、五十年の経験から知っていた。
「……やはり、ここにいたか」
不意に、鎧の擦れる音と共にリースバルトが現れた。民衆の熱狂を振り切ってきたのか、彼の髪は乱れ、肩で息をしている。
「お前のおかげだ、レイクス。お前が北門で敵の主力を引き受けてくれなければ、俺たちは今頃——」
「よせ。俺はただ、邪魔なゴミを掃除しただけだ」
レイクスは視線を上げず、冷淡に言葉を返した。
「お前が民の前に立ち、その希望になった。だから街が、人々の心が戻ったんだ。俺のような陰に住む者には、それはできん」
「レイクス……」
リースバルトは何かを言いかけ、口を噤んだ。この少年の皮を被った老練な戦士が、決して自分と同じ「光」の中には入ろうとしない理由を、彼は痛いほど理解していたからだ。
数日後。アルカディアを暫定的に統治していた解放戦線評議会により、式典が執り行われた。
KR60年。歴史に刻まれるべき「アルカディア復興の幕開け」である。
広場を埋め尽くす騎士たちの前で、リースバルトは跪き、叙任を受けた。アルカディア奪還の最大の功労者として、彼は正式に「伯爵」の位を授けられたのだ。後に「復興の伯爵」としてマルターレス家の基礎を築くことになる男の、最初の第一歩だった。
レイクスはその式典の間、会場から離れた城壁の天辺に座っていた。
隣には、同じく派手な場を嫌ったリランダが、足の下に広がる熱狂を翡翠色の瞳で見つめていた。
「いい男になったわね、リースバルトも。ねえ、レイクス。少しは誇りに思ったらどう? あんたが鍛えた弟子なんだから」
「……弟子にした覚えはない。勝手に育っただけだ」
「相変わらずね。でも、あんたのその『証人』としての役割、案外、性に合ってるんじゃないかしら」
リランダが微笑み、爆発魔法で焦げた杖を振ると、小さな花の幻影が空中に舞った。
その日の夜。
伯爵としての公務を強引に切り上げてきたリースバルトは、レイクスが逗留している古びた宿屋の一室を訪れた。
机の上には、フォルネリア産の質の良い酒が二つの杯に注がれている。
「……今日は、伯爵に乾杯だな」
レイクスが珍しく、自分から杯を上げた。リースバルトは照れくさそうに笑い、それに応じた。
「柄じゃないよ。俺はまだ、ただの剣士のつもりだ。……なぁレイクス。お前、これからどうするんだ」
酒が回り始めたのか、レイクスの口がわずかに軽くなる。
「どうもしない。俺の目的は、ザガル=モルドが残した負の遺産を消し去ることだ。アルカディアは落ちたが、まだ『影の四翼』は三柱残っている」
「ああ、そうだな。解放はまだ始まったばかりだ」
リースバルトの瞳に、厳しい現実が映る。
「北にはまだ強大な魔族の軍勢がいる。俺がこの街を守り、復興の基盤を作る。だからレイクス、お前は——」
「言われるまでもない。次は、フォルネリアを狙う残党を叩く」
レイクスは杯の中の琥珀色の液体を見つめ、静かに飲み干した。
六十年前、火と闇に包まれた夜。あの時失ったものが戻ることはない。だが、こうして隣で酒を酌み交わす「生きた人間」がいる。それが、レイクスの冷えた魂に、わずかな熱を灯していた。
「……死ぬなよ、リースバルト。伯爵が早くに死ねば、また掃除の手間が増える」
「ははっ、最期までお前を働かせてやるよ。覚悟しておけ」
窓の外では、アルカディアの街を照らす復興の灯火が揺れていた。
だが、その遥か北方——暗雲立ち込める魔領では、新たな影が動き出そうとしていた。




