第13話「アルカディア奪還作戦・前夜」
第13話「アルカディア奪還作戦・前夜」
アルカディアを包囲する丘陵地帯に、数千の焚き火が星を映すように点在していた。
KR60年、冬。魔王ザガル=モルドによる陥落から六十年、ついに人類の反撃の火蓋が切られようとしていた。
中央天幕の作戦会議室。揺れる燭台の火影が、各国の重鎮や戦士たちの顔を厳かに照らし出している。
アルカディアの騎士団、魔導大国レクシアの魔術師部隊、さらには北方の険しき山嶺から降りてきた蛮族の勇士たち。かつては国境を争った者たちが、今、一つの地図を囲んでいた。
「作戦は至極単純、かつ過酷だ」
解放戦線の総司令官が、地図上の北門を指差した。
「主力は東門と西門から同時攻撃を仕掛け、魔族の守備隊を分散させる。その隙に、別働隊が精霊の加護が薄れる北門から突入し、中央広場に座す魔将の居城を叩く。だが……」
司令官が言葉を濁す。北門には、魔将直属の親衛隊が配置されており、そこへ至る街道は死地となることが明白だった。
「北門への陽動および先行突破、俺が引き受けよう」
静かな、だが誰の言葉よりも重い声が響いた。
視線が集まる。そこには、身の丈を越える戦斧を担ぐ蛮族でも、華美な法衣を纏う魔術師でもなく、ただ一人の少年が立っていた。レイクス=ヴァルトニア。その銀髪が、灯火を反射して月光のように輝く。
「レイクス、正気か!? あそこは敵の火力が集中する。いくら君でも……」
リースバルトが声を荒らげるが、レイクスは表情を変えない。
「軍勢が動けば、魔族も相応に構える。だが、俺一人が先行すれば奴らは油断する。その隙を叩くのが最も効率的だ。……掃除は、汚れのひどい場所から始めるものだ」
その老成した確信に、場は沈黙に包まれた。レイクスが「陽動」という名の死地を志願したことで、作戦の骨子が決定した。
会議が終わり、夜気の中で焚き火を囲む。
パチパチと爆ぜる薪の音だけが、明日の死闘を前にした戦士たちの静寂を守っていた。
「……本当にお前というやつは」
リースバルトが、手にした魔剣スターレットを磨きながら溜息をついた。
「俺も一緒に行くと言っても、聞かないんだろうな」
「お前には、騎士たちの先頭に立って士気を高める役割がある。俺のような『半魔族』にそれは務まらん」
「そんな言い方をするな」
リースバルトは磨く手を止め、揺れる炎を見つめた。
「……なぁ、レイクス。もし、この戦いで俺が死んだら……お前はどうする? また一人で、どこか遠くへ消えてしまうのか」
レイクスは、左手の「女神の指輪」をそっとなぞった。五十年の間、彼が問い続けてきた「生の価値」が、若き友の言葉によって揺さぶられる。
「俺の方が先に死ぬことはない。それだけは保証してやる。……お前の死に様を見届けるのが俺の役目だ。だが、お前が明日死ぬことを、俺の『経験』は予見していない」
「はは、お前の予言なら外れない気がするよ」
「……ふふ、二人とも。随分としんみりしちゃって」
影からリランダが姿を現した。いつものドジっ子な雰囲気はなく、その翡翠色の瞳には、師としての、あるいは一人の女性としての真摯な憂いが宿っていた。彼女は二人の肩にそっと手を置く。
「気をつけるんだよ、二人とも。特にレイクス、あんたは一人で抱え込みすぎる。……死なせないわよ、私の大事な弟子なんだから」
「分かっている、リランダ。お前の爆発で死ぬよりは、魔族に殺される方がマシだ」
「もう! 皮肉ばっかり!」
リランダの短い笑い声が、夜の冷気をわずかに和らげた。
深夜。
一人になったレイクスは、野営地を離れ、小高い丘の上で星空を見上げていた。
五十年。大陸が火に包まれ、母の温もりを失ってから、この星空だけは変わらずにそこにあった。
(明日、また血が流れる。父の呪縛を断ち切るためか、それとも、この微かな温もりを守るためか)
彼の中に流れる魔王の血が、戦場の予感に疼く。だが、天使の因子が、祈るように胸を締め付けた。
天空を流れる一筋の光を見送り、レイクスは独り、詩的な静寂の中で呟く。
「星は巡り、因縁は巡る。……だが、明日の夜明けを、俺はこの目で見届ける。それが五十年の孤独の果てに、俺が選んだ『今』だ」
夜明けまで、あと数刻。
ラバリーア大陸の歴史が、大きく転換しようとしていた。




